第10話 目醒める紋章
「シシシッ……ここまで来れば、もう大丈夫だぜ」
そこは村から少し離れた林の中。
太い大木がそびえ、身を隠すには十分な場所だった。
「坊、お嬢、大丈夫か? 疲れてねぇか?」
エルはいつもの調子で気を配ってくれる。
「うん、僕は平気。ステラは?」
「……うん。私も平気……」
声は小さく、どこか震えていた。
無理もない。村が襲われ、命からがら逃げてきたのだ。
俺はステラの手をそっと握る。
それに応えるように、妹は小さく微笑んだ。
だが、頭の中には引っかかることがいくつもある。
一つは、なぜステラが狙われたのかということ。
あの黒頭巾の男の刃は、間違いなく妹を狙っていた。
そしてもう一つ。
ヨーダの言葉。
彼は俺を呼び捨てにしたのに、ステラのことを「ステラ様」と呼んだ。
あれは反射的に出た言葉だったように思える……影ではそう呼んでいる可能性が高い。
しばらく経つと、村の方角から二つの影が近づいてきた。
「エル? メナト? ステラ? どこだぁ? もう大丈夫だぞー!」
先頭を歩く男、スカージャーだった。
ほっと息を吐くエル。
「シシシッ……今回は久しぶりに焦ったぜ」
そう言って、木陰からけもの道へと出る。
俺もステラの手を握り、エルの後へと続く。
「エル、よくやったな。みんなが待ってる。行くぞ」
スカージャーがにこっと笑みを浮かべ、先頭に立って歩き出す。
その隣には、槍を持った村の男。
彼も周囲に目を配り、油断のない足取りだった。
ただ……歩くうちに、違和感が胸をよぎる。
村へ戻る道筋にしては、少し西に逸れていないか?
「ちょっと遠回りするぞ。西門付近はまだ気が抜けないからな」
スカージャーの言葉に、エルが軽く頷く。
確かに油断は禁物。そう思って、俺も歩を進めた。
山の斜面を風が撫でる。
夜が明け、木々の隙間から朝日が差し込んだ、そのときだった。
「……お兄ちゃん……」
ステラが小さな声で、俺の袖を引っ張る。
「この匂い……」
「匂い? どんな匂いだ?」
「甘くて……ツンと刺すような匂い……先頭から……」
それってまさか――
反射的に前方へ視線をやる。
スカージャーのすぐ後ろを歩いていた村の男と、目が合った。
鋭い、冷たい目。
こいつ……十五人の中にいたか?
胸の奥で警鐘が鳴る。
瞬間、男の瞳に殺気が灯った。
「エル! 下がって!!」
叫びながら、エルの腕を引き寄せる。
直後、空気を裂く音とともに、槍の穂先がエルのいた場所を貫いた。
「なっ……!?」
地面に突き立った槍を見て、息が詰まる。
こいつ……帝国の者か!?
ってことは、スカージャーも!?
と、その瞬間。
スカージャーは腰に下げていた短剣を抜いた。
刃には、紫黒に濁る液体がこびりついている。
――ヴェノムモリスだ。
その刃が、エルを襲おうとした男の胸を正確に貫いた。
男は一言も発せず、血を吐いて崩れ落ちる。
助かった……スカージャーは、味方だったんだ。
そう思ったのも、束の間だった。
「おめぇ……殺るときは、一撃でやらなきゃダメだろぉ?」
にやりと笑ったスカージャーの声に、背筋が凍る。
その口調には、明確な悪意が滲んでいた。
「どうすんだよ……メナトに俺のことがバレちまったじゃねぇか」
――え?
「俺はステラを殺して、その首を帝国に持っていけば名誉男爵だ。アイシャとメナトの三人で、新しい人生を送るって夢……お前が台無しにしてくれたなぁ?」
薄ら笑いを浮かべながら、すでに息のない男を何度も刺す。
こ、こいつ……狂ってる!?
エルが無言で俺とステラをかばうように立ちはだかる。
腰を低くし、鎌を構えながら低く笑った。
「シシシッ……笑えねぇ冗談だぜ」
スカージャーは一瞬、目を細めると、ゆっくりと笑みを深めた。
「悪りぃな、エル。恨むなら伯爵家の嫡子ってだけで、俺からアイシャを奪ったホークにしろ。ま、もうオーロラ王国は滅んじまったけどな……俺の遠縁のおかげでな」
オーロラ王国?
もしかして、ホークは帝国に滅ぼされた国の出身……?
スカージャーの口が、さらに饒舌になる。
「本当はもっと楽に殺せたはずだったんだよ。最初からヴェノムモリスを使わせてくれりゃ、ステラはとっくに死んでいた。ただ、バレるのが怖ぇって言って、オブタース侯爵家の奴らは俺に弱い毒を渡してよ。さらにその毒を食事に盛ると、なぜかステラは少ししか食わねぇんだ。おかげで視力を失って、長ぇこと苦しむハメになったんだ。もっと楽に死なせてやれたのによぉ」
――こいつが……ステラの目を……!?
瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
ずっと靄がかかっていたメナトの記憶が、鮮明に蘇る。
あの日――高熱で倒れた日。
ステラを庇って、メナトはスカージャーの毒針を受けた。
信じたくなくて、記憶を閉ざしていた。
すべて、こいつのせいだった。
「誰もいねぇときに、ステラにヴェノムモリスを塗った針を刺そうとしたんだよ。まさかメナトが庇うとは思わなかったけどな。ま、毒で記憶が飛んじまったみてぇだし、都合がよかったぜ?」
違う……記憶が飛んだんじゃない。
メナトは、スカージャーを信じたくて、信じたくて……。
だからあの日の記憶を、心の底に封じたんだ。
胸の奥で、痛みと怒りと悲しみがごちゃまぜになって爆ぜる。
スカージャーは薄く笑い、毒刃を構え直す。
紫黒の刃が、朝日の中で不気味に光った。
「さぁ、今度こそ終わりにしようぜ――ステラ」
刹那、短剣が投げ放たれる。
風を裂く音。
だが、その軌道は甘い。俺の腕の中のステラには届かず、草むらへ吸い込まれた。
しかし、スカージャーの狙いは別にあった。
「ぐはっ――!」
ナイフの行く末を見ていたエルの腹に、もう一本のナイフが突き刺さる。
「前回の毒でメナトを殺せなかったから、今回はたっぷりと染み込ませてある。ものの数分で楽になれると思うから安心しな。それにステラとホークもすぐ送ってやるよ」
スカージャーの言葉を聞きながら、エルは血を吐き、それでも俺に訴える。
「坊……お嬢を連れて……逃げ……ぐふっ」
血の泡を吐きながら、それでも俺たちを守ろうとするエル。
その姿に、喉が焼けるほど叫びたくなる。
「おいおい、エル。もういいんじゃねぇか……ってお前!? その右手!?」
見ると、エルの右手――【草の紋章】が淡く輝いていた。
緑色の光が、エルの命の灯のように脈打っているのだ。
どうして? もしかして、ヴェノムモリスの毒が回って魔力が!?
そう思ったその瞬間。
鋭い痛みが、俺の右手に走った。
「――ッ!」
手袋の中から、眩い光が漏れ出す。
この痛みは転生してきたときの!?
「お兄ちゃん!? どうしたの!?」
涙に濡れた声で叫ぶステラ。
「大丈夫、ちょっと待ってくれ」
そっとステラを離し、手袋を外すと、俺の手の甲――雫のような……涙のような形をした紋章が明滅を繰り返していた。
まるで【草の紋章】と呼応するように。
その光景を見ながら、エルがかすれた声で笑った。
「お、思い出した……坊、その……紋章は……死んだ時に……現れる……紋章だ……効果は……知らねぇ……けど……古文書には……こう書かれてた……」
血を吐きながら、最後の力で言葉を紡ぐ。
「【追憶の紋章】、ってな……坊――いやメナト! ステラ様を頼んだぜ……シシシッ」
その瞬間、エルの右手にあった【草の紋章】がふっと光となって剥がれた。
それはゆっくりと宙を漂い、俺の紋章――【追憶の紋章】の前にたどり着く。
次の瞬間、世界が白に染まった。
同時に、頭の奥に何かが流れ込んできた。
――記憶だ。
誰かの……いや、エルの記憶。
笑い声。仲間の声。痛み。戦い。孤独。力。知識。願い。
そして――想い。
それらすべてが、【草の紋章】と共に吸い込まれてくる。
ああ、そうか。
だからステラが狙われているのか。
だからステラに敬称をつけるのか。
今は亡きオーロラ王国アルバ女王の遺児にして、正統なる王位継承者のステラに。
ホークは宮廷魔法師団長嫡男で、
アイシャは第一魔法師団長嫡女。
ヨーダは近衛兵長、エル――いや、エーテルは王宮庭師。
次から次へと記憶が流れてくる。
だが、今は考える余裕はない。やるべきことがある。
俺は手袋をスカージャーへと投げつけた。決闘を申し込むサインだ。
「スカージャー。帝国の名誉男爵になるんだろ? なら決闘で決めようぜ。帝国の貴族になる奴が、俺の決闘から逃げるわけないよな?」
しばし呆然と顛末を見つめていたスカージャーが、我に返る。
「使えねぇ紋章をかき集めたところで何ができる? いいだろ、受けてやる。ただし、俺が勝ったら、お前はすべてを忘れて俺の息子となれ」
「シシシッ、いいぜ! その時は何度忘れようが、必ず想い出してお前を殺す!」
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