二話
「うーん、考えが正しければ、あれがあーなって、これがこーなって、こーなるはずなんだけどな…」
ゆったりとした時間を割くように聞こえてきたその声に、ユキは反射的に目をやった。
周囲を気にすることなくブツブツと独り言を呟き続ける男性は、白衣を着用しているが足元はサンダルというアンバランスな格好をしていた。そんな男性の第一印象は野暮ったい人、だった。伸び切った前髪のせいで目元は隠れており、鬚も少し伸びてきているのか掻くと特有の音が鳴る。
(…あれって、前見えてるのかな?)
気付かれないように相手を観察していたユキのそんな疑問は、次の瞬間小さな窪みに足を取られて転んだ男性を見てすぐに解決した。
(やっぱり見えてなかったかー…)
ユキは“ですよね”と言ったふうに顔を両手で覆い、その状況に嘆いた。
一向に物音がしてこないことを不思議に思ったユキは指の隙間からちらりと覗くと、“何故転んだのか?”と状況が理解できていない様子で、男性は膝をついたままキョロキョロと周りを見ていた。普段ならば「大丈夫ですか?」と声をかけに行くユキだが、今回ばかりは戸惑ってしまう。
理由の一つはリオにこのベンチから動くなという最重要命令を受けているからだ。これ以上少年からの冷たい視線を受けるのは、身体的にも精神的にもキツイものがある。
そしてもう一つは、この男性には清潔さが感じられないからだ。そしてそのマイナスなイメージを上書きするように、男性は立ち上がると首を左右に傾けながら歩き出した。これを不審者と言わず何と言うのだろう。そんな目に見えてヤバそうな人物に話しかけようという勇者はまずいないだろう。
(…流石にこんな大きな独り言を言う人とは関わらない方がいいよね)
ユキは今までの反省を踏まえて、何があろうと反応してはいけない、況してや行動が不審者っぽい白衣の男性と接触したら面倒事に巻き込まれる確率が高そうだ、と本能で感じ体を強張らせる。それと同時に目もぎゅっと瞑ってしまったためユキから状況が分からない。しかし今更目を開けるのも怖いので、情報は耳に頼ることにした。
(早くどっか行って…!色んな意味で怖いから!!)
ザリッザリッと砂の上を歩く音がユキに近づいてくる。
———ザリッ
足音は残念なことにユキの真横で音が止まり、同時にベンチが軋んだ音をたてる。
確実に横にいる……と確信はしているが、怖くて目を開けるという行為が憚られる。しかし自分が恐怖に屈し、目を開かなかったことで誘拐などの事件に巻き込まれるのは御免だと、ユキは勇気を出して相手にバレないよう薄目を開けて横をちらりと見た。
すると白衣の男性はユキを気にする様子はなく、というより自分の世界に入っていて少女の存在に気付いていないようで、腕を組みうーんうーんと唸りながらベンチに座っていた。
(…え、普通他の人がベンチ座ってたら横に座らなくない?この人メンタル強っ!)
関わってはいけなそうな雰囲気を持っている男性から一刻も早く離れたい、というのが本音ではある。しかしこの八割不審者であろう男性が、もし一般人だったら…と思うと、すぐにベンチを離れるのは失礼なのでは…という考えも頭に浮かぶ。
相手に気付かれないようユキは脳内で頭を抱えて悩んでいたが、リオからの命令を思い出し「あ、考えても意味ないや」と思考を放棄し、相手を警戒することだけに努めた。
「うーん。何が問題なのだろう。何か足りないのか?」
先ほどと変わらず、ずっとブツブツ呟いている白衣の男性は手に何かを持っていた。それなりに硬さがあり、部品もいつくかあるのか男性が動かすたびにカチャカチャと小さく音を立てていた。ユキはその物音に視線を移すと、一瞬目を見開いた。
銃だ。
それはどこからどう見ても拳銃……だが、本物ではないのだろう。見た目はおもちゃのような安っぽさをしていて、銃口は透明なカバーがしてあった。例えるならば光が点滅するだけのおもちゃの銃で、殺傷能力は皆無のようだ。
そんなものをあれ?あれ?と首を傾げながら色々な角度から見るこの男性はなんなのだろう…と、やれることがないユキは観察と考察を繰り返して、少しだけ探偵気分を楽しんでいた。
「はぁ…、こりゃもう一回バラさないと駄目だな……っおっと!」
落胆した男性は、相当疲れてますと張り紙が貼ってありそうな体をなんとかベンチから引き剥がして立ち上がると、手元が狂ったのか銃を地面に落とした。
それは神様のイタズラか、落ちたのはユキの足の真横であった。流石にこれを無視することはできないし、落としたものを拾って渡すくらいで怒られることはないだろう、とベンチから立ち上がり銃に触れる。
———パァァァァ
とその時突然銃が光出した。
「な、何だっ!?」
「えぇ!?な、なにこれっ!ちょっと光らないで本当に!リオくんにまた怒られるから!」
そんなユキの願いも虚しく、銃は光続けた。
「…っ!嘘でしょ…。アンタ本当に有能すぎるトラブルメーカーだよ、怒るの通り越して呆れた。はぁ…なんかオレ、すごい頭痛してきた………」
様子を見終わったのかそれとも光に気付いたのか、帰ってきたリオは状況を見るなり落胆する。それはもう第三者からでもはっきり分かるくらいに。
ズキズキと痛む頭を抑えつつ、ユキを睨む。視線が合わさると、ユキは誤魔化すように視線を逸らし、口笛を吹き始める。しかし口笛のセンスはなかったのか、掠れてて綺麗な音は出せていなかった。それがまたリオを苛つかせる。しかし人がいる以上、ユキに変な態度を取ることもできない。リオはにっこりと微笑みながら、その苛つきを込めた手をユキの肩に乗せた。
「…とりあえず、その銃をお返ししてあげてくれるかな“ユキさん”」
「………ハ、ハイ」
ユキは何も起きないよう恐る恐る男性に銃を差し出す。
「ド、ドウゾ…」
「…ぁ、あぁ、ありが…」
———バン!!
「っきゃあ!」
三人はフリーズする。
暴発した銃の先から光線が出て、それは垣根を越えて反対側にいた人に当たってしまったようだ。意識を飛ばしていた男性は我に返ると「せ、成功か…?」と意味不明な言葉を呟いた。そしてはっと思い出したように、ユキに再度お礼を言うと銃を受け取り足早に垣根を越えていった。
残されたユキも我に返り、その場を離れようと走り出そうとした時、少女の肩にあった手は襟の後ろを掴んでいた。逃亡は失敗である。
「…ア・ン・タさーーっ!」
「イタタッ!?ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!でも地面に落ちたのを拾ってあげようとしただけなの!そしたら光って、それで光線も…。わざとじゃないのー!ひっぱらないへぇー!」
ぐいーっと引っ張られたユキの頬は、小動物の頬袋のようによく伸びてすごい顔になっていた。しかし少女は変顔よりも痛さに涙を浮かべ、必死に謝罪する。ぐいぐいと引っ張られていた頬が解放されると、少女はその頬を労わるように優しく摩った。沈黙の後、リオのはぁ…という溜め息が聞こえてきた。
「わざとじゃないのは分かるけど、流石にあとで一緒に報告に行ってもらうからね。ローゼベルトさんに事情を説明しないとオレの首飛ぶから」
「はい…。ほんとにごめんなさい」
「…取り敢えず仕事は片付いたし、帰ろう。“ここ”にはもう、オレ達はお役御免のようだし」
木々の中に、“あの扉”と同じものがいつの間にか出現していた。リオはユキを置いてすたすたと歩いて行き、扉のノブに手をかけた。
「早く」
そうリオに急かされ、ユキは慌てて扉に近づいた。
リオがガチャリと開けると、来た時とは違い、扉を開けてもそこには眩しい光で溢れてはいなかった。