一話
それから数時間が経った頃だろう。それまでの静寂を壊すようにガチャッと扉の開く音が響く。
部屋の端で静かに体育座りをしていたユキは伏せていた顔をゆっくりと上げて扉の方を見ると、先程と何も変わらないリオが立っていた。
「お疲れ、様……」
「別に。疲れてない」
ユキはリオがどんな仕事をしてきたのか知らない。だからこそ疲労で顔が不機嫌なのかとも思ったが、やはりその解答は違うらしい。
「あの、もしかしてだけど…、さっきのこと……気にしてたり、する?」
「何で?」
明らかに不機嫌な態度でユキを睨み付けながらそう言うリオにこちらが正解だと確信し、ユキはその気まずさから「イエ、ナンデモ」とだけ返して押し黙った。一方のリオはユキに視線を逸らされたことで更に眉間に皺を寄せたが、何かを諦めたようにはぁと溜め息を吐くと外方を向いてネクタイを緩め始めた。
身に付けていた物を一通り外してローテーブルに座った少年は、また魔法で紅茶らしき飲み物を出し、カチャッと小さな音を立ててユキの方にも同じカップを差し出した。
(…わたしのも用意してくれるんだ)
そんなことを思いつつもユキは「…ありがと」と小さい声でお礼を伝えた。少年は不機嫌な顔のまま紅茶に口をつけていて返事がくることはなかったがそんなことは気にせず、ユキは淹れてくれた飲み物に口をつけた。
「じゃあさっきの続きをみようか」
一段落してからそう告げられ、目の前で映像が流れる。
『おじさーん今日も来たよー!なんか掘り出し物ないー?ゲームがいいんだけど』
『おぉ、そっちの奥の棚にあったと思うぞー。俺はこっちの整理で忙しいから自分で探してくれ』
片手をヒラヒラさせながら言うガタイのいい叔父に軽くお礼を言って店の奥へと入っていく。店の中には他に誰も居らず、二人は他愛もない会話を大声で続けた。
ユキはある程度物色し終えるとニ、三個ソフトを持って叔父に声をかけた。レジで会計を済ませて袋に入れてもらっている間、辺りを見回す。
『汚いなぁ…』
レジ付近の棚には本がびっちりと陳列され、床には行き場のない本たちが段ボールに詰められていたり、積み重なっていたりしている。『もっと綺麗にすればいいのに…』と文句を言いながら棚の前にしゃがみこむと———『真っ白い本』が目に入った。
「あー!これだよ、これ!これ開いたらここに来ちゃったの!」
突然の大声にリオはビクリと肩を上下させ、苛つきをアピールするように少女を睨み付けたが、そんな少年の射抜くような鋭い視線にも気付かず勢いよく指差し続ける少女にまた何かを諦め、リオは素直に画面に視線を戻した。その映像に映っている真っ白い本を呆れ顔で見つめていたリオは、突然ハッと何かに気付き、静かに声を発した。
「…これ“ここ”に保管されてた『オーパーツ』の一つ、『空白の書』だ。確か、紛失届が出されてたやつ」
『オーパーツ』とは、場違いな遺物という意味で、その時代にあったはずがないほど、高度な技術や近年の知識が使用されている遺跡や遺物のことを指す。
その手に詳しい…という訳ではないが時々テレビで取り上げられているため、なんとなくだがユキも『オーパーツ』というものについて知識はあった。そして何よりその単語自体が思春期真っ只中のユキの『中二病心』をくすぐった…という理由もあるのかもしれない。
「オーパーツって“アノ”?でもこれ叔父さんは“願いのノート”とか言ってたよ。自分たちが学生の時に流行ったとかなんとかって。お母さんも持ってたし。なんかノートに“願いを書くと叶う”っていう一種のおまじない的な…」
「…違う。これは明らかに“本物”だよ。どういう経緯でかは分からないけど、“本物”がなんらかの理由でアンタの世界に紛れ込んで、それを運良く手にして願いを叶えたやつもいるってことじゃない?」
「でもそれって一人がずっと持ってたら流行らなくないかな…」
ふと頭に浮かんだそれを無意識に口に出していたのか、リオがそれについて自然に答えた。
「独占してたとは思うよ、何でも願いが叶うからね。だけど人って愚かな生き物だから、隠しておきたいっていう『防衛機制』と自慢したいっていう『承認欲求』、その矛盾した感情が湧いてくるのも仕方ない。そして『承認欲求』が『防衛機制』を上回った時それは起こる」
「…どーゆーこと?」
「例えばアンタが…」
「結局呼び方は“アンタ”に戻るわけね」
「話の腰を折らないでちゃんと聞く。愚鈍なアンタの質問に態々答えてあげてんだから」
「…ハイ、スミマセン」
久しぶりのアンタ呼びにユキは若干納得がいかないと口を尖らせながら抗議をしたが、リオはそれについて華麗にスルーを決め込んだ。そのまま話す気が失せるかと思ったが、意外にも少年は嫌そうな顔をしながらも話を進めるために分かりやすいよう例え話をしだした。
「もし、アンタが友人から“これは内緒の話なんだけど…”って言われたら?」
「それは…、内緒にするでしょ」
「それを別の友人、しかもアンタが一番信頼してる人に突っ込まれたら?」
「あー…」
リオの言わんとした展開は態々言葉にしなくても予想ができたと、ユキは苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「流行ったってことは、真相はそんなもんじゃない?悪い大人の耳にでも入ったら金儲けに利用しようと何の効力もないただのノートを大量に作って売ってた…ってのも想像つくし。本当にくだらない」
吐き捨てるように言葉を発したリオは、違った意味でまた不機嫌な顔になった。
『オーパーツ』というのはその存在だけでも価値があるものだが、この『空白の書』は願いも叶う優れものだ。それが何故かユキの世界に迷い込み、一世を風靡し、汚い人間たちに利用された。管理していた側からすれば、“そんな貴重なものがぞんざいな扱いを受けたのだから、関係者は皆万死に値するという思考になるのも無理はない”とユキは思ったが、静かにしながらも背中から怒りの炎が上がっているリオの顔は怖くて覗けないとそっと目を閉じ、今後出会ったら命はないであろう知らない人物たちに手を合わせたのだった。
「それにしても新発見だよ。分かってる範囲では“転移”なんて効果はなかったはず…」
目を閉じて現実逃避していた少女は、少年の声の様子に自身の安全を確認すると徐に目を開いた。
リオは少し焦った顔でブツブツ言いながら考え込んだあと、透かさずユキの両肩を強く掴んだ。
「さっき開いたって言ってたけど、何か書いたりしてないよね」
「ッいたたたたっ!!力つよッ!?書いてなっ、書いてないからっ、ギブギブギブ!」
そう言いながら両肩に置かれた手をユキは涙目でバシバシ叩くと、かかっていた力が一気に弱まる。
「っ!……ごめん。あれはとても貴重なものだったから」
ユキはヒリヒリする肩をさすりながら座り直すと、申し訳なさそうにしたリオが魔法で痛みを和らげてくれた。
(おぉ…!これが世に言う“治癒魔法”か!)
ユキは呑気にそんなことを考えていたがお礼を伝え忘れていたことを思い出し、慌てて声を出した。
「あ、ありがとう。ちょっと痛くなくなったかも。原因は分かったけど帰れないし、これからどうすれば………」
「あ、いや…」
———ティロン。
また音と共にリオの前に通知が出る。それを見た瞬間少年は「げ!」と短く声を上げたかと思えば、ユキを見て数秒黙る。
「今度こそ静かにしてて。そんであっち行ってて」
先程までの優しさはどこに行ったのかと問いたいくらいその態度は打って変わり、迷惑そうな顔でしっしっとユキを部屋の隅に追いやるように手で追い払った。その一変した態度にむっとしながらもユキが素直に移動したのを確認すると“しーっ”とポーズをとって念を押す。通知に触れると先程の文章のものより大きい画面がリオの前に現れ、遠目だが人が映っているように見えた。
「…お疲れ様です」
画面の向こうにリオが声を掛けると———
《あ、リオちゃ〜ん?やっほ〜〜っ!お疲れぇ〜〜〜!》
という口調と一致しない、男性の声が聞こえてきた。