四話
「冷やしてくれた上に包帯まで…。至れり尽くせりだねぇ〜」
「ホントに口数減らないよね」
「もしかして褒めてる?」
「……どこをどう取ったらそんな前向きな思考になるの?そんな訳ないでしょ。はい、おしまい!」
くるくると包帯を巻いたリオはぽんぽんと軽く叩くと、ユキから離れた。面倒そうにしながらも最後まで丁寧にやってくれた少年に、少女ははじめてのおつかいを見守った時のような気持ちになった。そんな雰囲気を察したのか、リオは嫌そうな顔をして今の立ち位置からもっと下がり、ユキと距離を空けた。
少女は少年の行動を気にする事なく、すっかり冷めてしまったココアに口を付けた後、口を開いた。
「そう言えば、何か用事があって来たんじゃないの?お仕事のこととか」
「あ、そうだった。前に伝えたけど、魔力制御の訓練をしてもらおうと思って。今から」
「あー、言ってたね!………今からっ!?」
「そ。今から。だから“こっち”に来てもらおうと思って」
形勢逆転と言わんばかりにニヤリと意地悪く笑うリオを見て、ユキは苦笑いを浮かべた。
「急じゃないっ?それに今怪我したばっかだしっ」
少女がほら!と包帯を巻いてもらった手をずいと突き出して見せると、相手はにっこりと微笑んだ。
「そう、なら仕方ないか。———なんてオレが言うと思う?心配しなくてもちゃんと治してあげるから訓練行くよ」
「…リオくんの鬼ぃ!!!」
「ハイハイ。どーも」
叫び声をあげる少女の声量に少年は耳を塞ぎながら、雑にあしらった。
「それとアンタは自分の状況理解してから言葉を口にした方がいいと思うよ」
「今はそんなことより行きたくないの!」
ジタバタと暴れるユキはリオによって再度手首を掴まれたがその手は火傷とは反対側で、少年の気遣いに少女の心は浮き立った。しかし行きたくないという心のが勝ったのか“ならば、見逃してくれ”と一瞬で乙女だった顔が元に戻り、またジタバタと暴れ出した。
「五月蝿いな。つべこべ言わずに黙ってついてくる」
「い〜や〜だぁ〜〜〜っ!!!」
その抵抗も空しく、少女は強制的に鏡の向こうへ押し込まれた。
片手で数えられるくらいしか訪れていないリオの仕事部屋はユキにとって慣れていない場所のはずだが、何故か落ち着くような雰囲気があって、少女は肩の力を抜いてソファに腰をおろした。
「それで、わたしはどうすればいいの?」
無理矢理連れてられたことに納得がいっていないユキは思い出したようにブスッとした顔でそう聞くと、リオは手に持っていたそれを相手に見せた。
「誰かさんが蛇口蛇口って言うから“蛇口”をつけてみたよ」
以前見た時は神秘的な雰囲気を纏っていたガラス玉は、上に蛇口ハンドルが付けられていて、素直に言うならば不恰好な姿にされてしまっていた。
「うわー…見た目が絶妙にダサい。魔法は神秘的なものだとか言ってたのに、これは冒涜でしょ…」
「…五月蝿い。アンタのせいでしょ、この蛇口マニア。それに、これを付けたのには理由があるの」
不恰好なスフィアを憐れみながらも自分が使うのは嫌だなと思っていた少女は、少年の言葉にきょとんとした顔をした。
「理由?」
「そ。ここは空気同様、魔法があって当然の世界。だから小さい頃から魔力制御も兼ねて、誰もが日常的に魔法を使ってた。ここまでは理解できるよね」
少年はアホの子にも分かるように、一から順に話をしていく。すると少女は一本だけ立てた人差し指を左右に振って、余裕そうな顔をした。
「ふっふっふ…バカにしてもらっちゃ困りますよ、ダンナ」
「…誰がダンナだ。意味分かんないこと言ってないで話続けるよ」
「ノリが悪いな〜…。それでつまり?」
少年は突っかかるところにはしっかり突っかかるものの、少女の扱いに慣れてきたのか受け流すのが上手くなっていた。
「つまり、魔法って存在も知らなかったアンタが急に魔力制御なんて不可能だし、無謀だよねって話。何故なら“魔力の流し方”を知らないから」
そしてこれの出番…と言いたげな目で、ユキに蛇口ハンドル付きのスフィアを突き出し、話を続けた。
「このハンドルを捻ることで魔力が流れる。しかも捻る度合いで魔力に強弱が付けられて、それを体で覚えることができる」
「それは凄いけど…。なんかすんごい細かいメモリついてない?見た目フラスコみたいに可愛いのに、試験管以上に細かくて可愛くないしえげつない!」
「そりゃ魔力制御の訓練だからね。ただ本当はメモリなんて付いてないから、オレが細かく付けた。———アンタのためにね」
「…す、素直に喜べないのは、何故だろう……」
「まぁ、とりあえず触ってみなよ」
ん、と差し出されたハンドル付きのスフィアを手に取り、嫌そうな顔をしながらハンドルを握る。キュッと回そうとするが、ハンドルは固定されていて回る構造ではないようだ。試しに手をハンドルの上で滑らせるように動かすと、体から何かが出ていく感覚と共に、スフィアが光り輝き、水色の液体が波打ちながら溜まっていく。
「…お、おぉ〜〜〜〜!!!なにこれなにこれっ!凄い…っ!」
「これが、今アンタが流した魔力の量。…やっぱりダダ漏れさせるだけあって少し流しただけでフルか。道のりは長そうだね」
「はいはいっ、リオ先生!」
「…なに」
「魔力制御ができるようになったら、ご褒美が欲しいです!」
先生呼びを無視されたことも気にせず、ユキはキラキラした目でリオの返答を待った。
「じゃあ、オレが言ったメモリ通りに魔力溜められるようになったら、簡単な魔法から教えてあげるよ」
「…それなら、頑張れる気がするっ!よーし、やるぞー!」
「すぐにだよ、一秒もかけずに…って、聞いちゃいない……」
少年の言葉は相手の耳には一切届かず、空中へと消えていき、室内には少女の「おー!」という意気込んでいる声だけが響いていた。
一向に相手から苦情の声があがらないことを不思議に思った少女は、ちらりと視線を向けると、少年はネクタイを結び直し服装を整えていた。
「どうしたの?」
「オレはこれから仕事だから、アンタはここでそれやってて」
「えぇー!結局放置っ?」
「魔力制御は他人から教わるものじゃなくて感覚で覚えるものだから、一緒にいたって意味ないの」
「…ケチ」
ぷくっと頬を膨らませて拗ねるユキに対し、リオは鏡を見ながら口を開いた。
「あーハイハイ。愚痴はオレが行った後ご自由に。それと、一つ忠告。液体が水色から黄色になったらすぐやめて。それは魔力の使いすぎによる警告のサインだから。もし言いつけを破ったら帰れなくなっても、オレは助けないからね」
「肝に銘じておきます…」
ユキが視線を外してそう答えたことでリオの心には一気に不安が募っていった。しかし今から仕事をキャンセルすることもできないため、はぁ…と重い息を吐いた。
「あと、さっきの顔。もうするのやめた方がいいよ」
「………ん?」
「全然可愛くないから」
何のことか分からず目をぱちくりとさせる少女に、少年は無表情のまま自分の頬を人差し指でトントンと軽く叩いてみせた。すると意味を理解した少女は顔を真っ赤にして怒り出した。
「何ですって!?ちょっとリオくん待ちなさいよ!」
火山が爆発したように叫ぶ少女を無視して、少年は中央の扉に近寄った。いつものように何かを呟いた後、「じゃ」と短く返事をして扉の中に入っていった。
「“じゃ”……じゃない!戻ってこーい!!この卑怯者ー!!!」
いつもの如く、目を開けていられないくらいの眩しい光を浴びながらユキはそう叫んだが相手は戻ってくるはずもなく、扉はぱたりと閉じられた。
「というか言いつけって、わたしは“ペット”じゃないんだけど…!」
少女はむすっとした顔で、誰に聞かせるでもない不満をぶつぶつと言い続けた。暫くするとある程度スッキリしたのか、少女は晴れやかな顔になっていた。
「さて、すっきりしたし、やりますかっ」
ユキはスフィアに向き直ると、魔力制御の練習を開始させた。




