四話
ユキは珍しく机に向かい、教科書を開いていた。新学期のための復習である。
室内にはしばらくの間、カリカリというペンの動く音と、勉強タイマーの音だけが響いていた。いつもは集中力が続かないユキだが、今日はなぜかそれが切れることなく目標以上を熟すことができた。
「…ふぅ、今日の分終了っと」
持っていたペンを置き、ぐーっと背伸びをすると、ユキは背もたれに寄り掛かった。
脳みそをしっかり使えたのか糖分を欲して、ぱっと浮かんだココアを入れに一階へ降りていった。
お湯を沸かすその僅かな時間で、数日前の濃い一日を思い出す。結局クレープを食べた後、またショッピングモール内を案内したが、そこからが大変であった。自分の世界にはないものを見つけては“あれは何”“これは何”と、服を引っ張られて一から全て説明させられるという拷問を受けたのだ。そして最後の一言を思い出し、少女は口から大きな溜め息を吐いた。
「…まさか“また見学したい”なんて精神的ダメージを与えて帰ってくとか、リオくんは悪魔だ…」
ユキはあの日の疲労感を思い出し自嘲的な笑みを浮かべると、口の端からフッと空気を吐き捨てた。
少年の職業を考えれば、別世界を知れるというのはとても貴重な経験だということは十分理解している。今後仕事に役立つことはもちろん、日常生活でも見習えることは多いだろう。魔法のない世界で発展してきたものをどう消化し、自分の世界に取り入れ、より良いものにしていくのかと、そんな事まで考えているような、そんな好奇心が抑えられない瞳をしていた。
だからこそ、絶望的単語を聞いた時に“嫌だ”と即答できなかったのだ。
「お互いの世界のことを教え合うのは、わたしも面白いし良いんだけど…」
少女の一番の問題は“振り回されること”ではなく、少年に連れ回されていた時の周囲の反応だった。少年は何故かあの後から認識阻害の魔法をかけずにそこら中を歩き、そして至る所で「あの子たち、仲良しだね。羨ましいー」や「あの子すごくカッコ可愛くない?」と口々に話されていた。
リオは小学生のような見た目をしているが、それでも顔が整っているのは隠しようもない。そして服装はシンプルなものだったが、それがかえって少年の魅力を引き立てていた。そんな見た目百点の隣に立つ少女が注目されないわけもなく、周囲の温かい視線を浴び続けるしかなかった。
(なんとかしなきゃ。またわたしが恥をかく…っ!)
そんなことを考えているとお湯が沸き、手早くココアを入れて自室に戻る。ゴクリと一口飲むと程よい甘さが口の中に広がり、疲れていた体が幸福感で満ちていく。ふぅ…と一息ついて、ある事をふと思い出す。
「…そう言えば、ここ数日リオくん来てないな。お仕事忙しいのかな」
「当然。忙しかったけど?」
ぽつりと呟いた独り言に、あるはずのない言葉が返ってきて少女は飛び上がった。
「ひぎゃあっ!!…ッあっつ!もうっ、突然声かけないでって言ってるでしょ!この…、生首少年!手にココアかかって熱かったんだけど!」
「そーなんだ」
「…いや、心配する素振りくらい見せようよ」
呆れ顔でリオを見ながら話すが、少年からはそれ以上何のレスポンスもなかった。ユキは火傷した手にふーふーと息を吹きかけながら自室を出ようと立ち上がった。
「…リオくん。手首、痛いです……」
ドアに向かって歩き出すと突然手首を掴まれ、ユキは驚いて振り向いた。
「どこ行くの」
「どこって、手を冷やしに行こうかと…。だから離してほしいかな…?」
優しくそう声をかけるが、相手は手首を掴んだまま動かない。早く冷やした方がいいだろうと、ユキは手を引き抜くよう「前後に動かしてみるが、相手がグッと力を入れていてびくともしない。じんじんと痛む手を気にしながらどうしようかと宙を見つめていると、手首を勢い良く引かれて椅子に座らされる。
「っ!…ど、どうしたの?」
「じっとしてて」
火傷した手はぱあっと光に包まれていき、徐々にひやりとする感覚になっていった。
「…リオくんが冷やしてくれるの?」
ユキは少年の顔をちらりと見てそう聞いたが、相手は無言のままだった。
「…罪悪感はあるんだね。リオくんってかわいいね〜」
「………五月蝿い。黙って冷やされてて」
リオは横を向き居心地悪そうにしながらも介抱し、その姿にユキは「貴重なデレですなー」と小さく笑うのだった。




