三話
「…話を戻すよ。さっき話した“忘却”の魔法なんだけどとにかく厄介で、魔力を奪う量はダイレクトなんだ」
「えっと、……つ、つまり?」
少年の言うダイレクトの意味が分からず、少女は首を傾げながら質問した。
「つまり疲れにくいっていう補正はなし。しかもその消費量は物語への関与した度合いによって、個人差がある。だから人によっては大量の魔力が一気に消費されることになる」
「じゃあ、わたしが倒れたのって…」
「魔力の酷使と“忘却”の魔法が発動した事による魔力欠乏症だね、確実に。しかもアンタの世界は魔力の素になるものが極端に少ない。だから消費した分を補えず、気絶したってところかな」
最後の方は興味がなさそうに、リオは両手を頭の後ろで組んで天を見つめながら話していた。ユキもつられて天を見ていたが、何か思うことがあったのか体育座りをすると足元に視線を落とす。
「怖いね、魔法って…」
「まぁ、世の中等価交換ってやつでしょ。何かを得るためには何かを失うもんだよ、多かれ少なかれ」
「…確かに。ご飯を食べるために、食材とお金を交換してるようなもんか……ぁあ!!」
しんみりした空気を破るように、ユキは大きな声をあげると同時に勢い良く立ち上がってローテーブルに近付いた。少女の奇行に余程驚いたのかリオは肩をビクッと震わせた後、ユキを恨めしそうにジロリと睨んでいた。
「あぁ〜〜〜……、わたしの夕食が……」
少年を気にすることなくバッと勢いよくカップ麺の蓋を開けると、水分をしっかりと含み、本来の姿より醜くなった麺たちと再会を果たす。
伸びてしまった麺を見て“もう正規の食べ方をすることはできない”と、ユキの心は表現できない悲しみで埋め尽くされた。しかしそうは言っても捨てるのは勿体ないし空腹はピークだ。ユキの頭は考えることを放棄し、自分の欲に従うように素早い動きで箸を手に取らせた。麺を掬い口に持っていこうと体を動かした時だった。
「なにそれ」
かけられた声に少女は手をぴたりと止めて、言葉を返した。
「カップ麺だよ、知らない?」
「…今オレいるの忘れて食べようとしてたでしょ」
「ソンナコトナイヨー、ヤダナー。…そ、それでリオくんはカップ麺知らないの?」
ユキは「忘れてたーっ」と心の中で叫んでいたが、相手に悟られないよう必死に取り繕った。しかし察しのいい少年は、図星であることを分かった上でスルーする事に決めたのか、特に追求する事なく会話を続けた。
「…食べたことはない。ローゼベルトさんのデスクに空のカップが置いてあるのをたまに見るよ。そんで部屋中こーゆー匂いさせてて、気分悪くなるからよく換気してる」
「あの見た目でカップ麺!?ローゼベルトさんって意外と庶民派なのね…っ!」
「それ、そんなに美味しいの?」
「ふっふっふー、これはね、代償なしには食べられない罪な食べ物なんだよ!匂いが籠もるし体にあんまりよくないけど、それでも摂取したくなる代物なんです!よっ、謎の引力持ち!」
「何で無駄にテンション高いの」
疲労からなのか空腹からなのかテンションがおかしくなってしまったユキを、リオは冷たい目でチクチクと刺しているが、注意力が散漫になった少女はそんなことにも気付かない。
「それにしても…、ローゼベルトさんって忙しいんだね。カップ麺食べるくらいだもん」
「あの人はいつも弁当だよ、ここ最近は忙しくてカップ麺なだけ。ま、主にアンタのせいだけど」
「…あ〜……スミマセン」
最後の一言が気まずかったのか、少女は横に目を逸らした。
別に“全て彼女が悪い”とはを誰も思っていない。しかしよくトラブルを背負って来る少女、そしてそんなことがあっても何故かその少女を放っておくことも心の底から嫌いになることもできない自分に腹が立っての、少年からのちょっとした仕返しだった。
しかしユキはそんなことにも気付かず、リオから視線を外したままだらだらと額に汗を流す。そんな姿が滑稽だったのか、リオはフッと軽く笑い、鏡へ近付く。
「…あれ?もう帰るの」
「アンタの生死…いや、安否は確認できたからね」
「生死って………」
ユキは勝手に人を葬るなと言いたげな目でじっとりとリオを睨んだ。しかし少年はそんな態度もお構いなしに、見た目通りの無邪気さを出しつつも大人っぽい顔で上品に笑った。
「明日の朝、また来るから」
「え、何でっ?」
「…なに。何か困ることでもあるわけ?」
「いやいや〜、困ることなんてないですよっ?何の目的で来るのかな〜って思っただけですよっ。あははは〜」
地雷を踏んだらしく先程まで楽しそうだったリオの雰囲気が冷たくなるのをユキは肌で感じ、今度は額だけでなく背中にも汗が流れる。ユキは苦笑いを浮かべ、リオからの返答を待った。
「あー。…前に言ったじゃん」
「え…それって……」
あまり興味がなさそうな声で返事をした少年だったが、“前に言った”という単語に何故が不穏な空気しか感じられず、少女は口角をひくひくと引き攣らせた。そんな少女の行動に、少年はにやりと意地悪な笑みを浮かべて、現実を突きつけた。
「そ。デート、という名の———“異世界見学”よろしくね」
甘美な響きなはずのその言葉は、ユキに低音の鍵盤が鳴った時ような圧倒的な絶望感を与えた。しかし意地悪な笑みの裏に黒いオーラを控えさせている少年に、少女は「いやだ」の三文字さえ発することができなかった。
斯くして、世界一したくない全くときめきのない“デート”が予定されたのだった。




