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三話


 ストーリアから戻ってきたユキは、未だに続く謎の脱力感でダウンしていた。干物のようにげっそりしたユキを見兼ねて、リオは魔法で簡易的なソファを出すと、そこに少女をもたれさせた。先程までと違い全く会話をしないしおしおの少女に戸惑いながらも少年は声をかけた。


「……どお?」

「うーん。さっきよりは、だいぶ楽になった…、かな」

 

 少年に答えるようにユキはお礼を言って小さく笑ったが、その笑顔はどう見ても無理をしている時のもので居た堪れず、少年は少女の前にずいと瓶を差し出した。


「……なに?」

「これ飲めば楽になるから」


 ぶっきらぼうな少年の物言いに、一瞬“これはやばい薬なのでは?”という考えが頭を(よぎ)ったが、この状態から解放されるならと飲むことに決めた。


 しかし問題はどうやって飲むか、ということだった。今すぐに解放されたいがこれ以上リオに迷惑をかける気はなかったユキは、試しに体に力を入れると、(かす)かだが腕に力が入った。震える手でしっかり瓶を受け取ると、勢い良く中の液体を飲み干す。すると今まであった脱力感が嘘のようになくなり、力が湧いてくる。


「…あんなに体調悪かったのに、ウソみたい……」


 驚きのあまり手を開閉させながらユキはそう呟いた。


 体力が回復した今、一つの謎が心に残る。あの脱力感は一体なんだったのか、と。その疑問は無意識に口から出ていたようで、その問いに答えようと今度はリオが口を開いた。


「何って“魔力の欠乏”でしょ?」

「………はい?」

「ん?」

「わたしって、魔力……あったの…?」

「言ってなかったっけ?」

「聞いてないっ!」


 衝撃の事実を突きつけられ、ユキは混乱しながら叫びに近い声をあげるが、リオは冷静に言葉を続ける。


「じゃあ今言う。アンタには“魔力”がある。だからゲートを通って世界を行き来できるんだよ。さっき脱力感が出たのは、無意識のうちに如雨露の水に自分の魔力を混ぜて木に与えてたから。…さっき言ったじゃん、ダダ漏れだって」

「…だから、じょうろを取り上げたの……?」

「そう。でもアンタ元気そうだったし、頑なに水あげたがってたから様子をみることにしたんだ。…まぁ、結局オレの判断ミスだったけどね」


 リオは気まずそうしながらもユキに「ごめん」と素直に謝罪した。しかし相手が悪いわけではなく自分の不注意から起きたことなのにと、ユキは若干納得のいかない気持ちになり俯いた。


 双方が申し訳なく思い、居心地の悪い雰囲気が依然と漂っていたが、静かだった室内は「そこでなんだけど」というリオの少し強めの声により、その静寂を破った。


「アンタには魔力制御を覚えてもらう」


 同一人物だとは思えないくらい堂々とした態度で、リオはそう口にした。


「…え。魔力、制御……?」

「そ。今回みたいなことが続くと仕事に支障が出るし、何よりオレが迷惑」

「…それ、最後のが本音だよね?」


 見た目が小学生みたいだが仁王立ちで腕を組み、顔は怒りが含まれたにっこり顔な姿に、ユキは何故か凄みを感じた。その黒い笑顔に本能的に恐怖を覚えた少女はぶるりと体を震わせ、「ナンデモナイデス」と付け足すとさっと視線を逸らした。


「それで、…やるよね?」

「ヤリマストモ。でもどうやって制御の練習するの…デショウカ」


 至極当然な少女の質問に少年は組んでいた腕を離すと、右手に持っていたそれを少女に見せた。


「コレを使うに決まってるじゃん」

「…どこから出したの、それ。リオくんってやっぱりマジシャンですか?」

「違うしそこじゃないでしょ」


 面倒そうな顔をしたリオから手渡されたそれは、水晶玉のようなものだった。しかし大きさは片手で持てるくらいの小さな玉で、とても薄いガラスで作られているのかユキの知っている水晶玉より遥かに軽かった。それは中身すっかすかの最中(もなか)のように、何も手に持っていないような感覚に近く、水晶玉というよりガラス玉という表現のが正しいように感じた。

 

「なに?これ」

「スフィア。魔力制御の訓練で使われるやつ。アンタに貸してあげる。そんな心配しなくても大丈夫だよ、落としても割れないから」

「…いや、特に何も考えてなかったんだけど。……それでこれ、どうやって使うの?」


 ユキは使い方が分からずガラス玉/スフィアを覗き込んでいると、目の前に立つリオに取り上げられた。


「これは魔力を流すと、スフィアの中に魔力が溜まるんだ。初心者のアンタは魔力を流す感覚が分からないから調節が出来ずに、この玉の中はすぐに魔力で満たされる」


 実演するようにリオはスフィアに力を込めると、とろりと少し粘り気のある水色の液体がすぐにガラス玉の中に溜まり始め、ものの数秒で満杯になった。


「…なるほど。あたしは今、壊れた水道の蛇口ってことだね!」

「…その例えが正しいのか否めないけど、それに反応するのは人間としてどうなんだろう」


 的確なのか的確でないのか何とも言い難い言葉のチョイスに、リオは一瞬困惑して話が脱線しかけたが、こほんと一つ咳払いをして話を戻した。

 

「魔力は制御することで強弱が付けられるんだ。でも魔力は発動させるまで目には見えない。それだと今日のアンタみたいなのがうじゃうじゃ沸くでしょ?」

「うじゃうじゃって…。もしかしてお姫様抱っこのこと根に持ってるの?」

「……別に。そこで考えられたのが魔力を可視化させる魔法道具【スフィア】ってわけ」


 そう言うとスフィアにまた魔力の溜め始め、それと同時に魔法で大きめのコップをスフィアの下に出した。


「魔力量が多いと…こんな感じ」

「…おぉ!これは…っ、理科室の蛇口の水圧並みの勢い!!」


 スフィアからはジャバジャバと不要な魔力が漏れ出し、下にあるコップを満たしていく。その様子にユキは目をキラキラと輝かせ、集中して見入っていた。


「…魔力量が少ないと…こう」

「今度は…蛇口を閉めるのが緩かった時のポタポタかなっ?それとも水漏れの時のポタポタかなっ!?」

「…っ蛇口縛りやめろ!なんか風情がない!魔法はもっと神秘的なものなんだよ!それを庶民ダダ漏れの安っぽい意見で(けな)すな!」


 ユキの例えが悪かったのかリオは機嫌を悪くし、また腕を組んで外方を向いてしまった。しかしそんな状態であってもユキは好奇心を満たそうと、勇敢にもリオが持ったままのスフィアに手を伸ばした。玉に少女の手が届きそうになった時、少年はその手首を掴み制止させた。


「今日はやめてくれない?アンタは今、魔力欠乏状態なんだよ。薬で回復を補ったと言っても万全じゃない。そんな状態でやったって結果は見えてるよ」

「…明日からにします」


 説得力のある言葉と表情に圧倒され、少女は伸ばしていた手を引っ込め、肩を落とした。リオはよろしいと言いたそうに頷いてからスフィアをユキの手の届かない所に置いた。


 話が終わると少年は部屋の隅に移動して、手首の魔法道具を触り出した。電話の呼び出し音が数回鳴った後、「はい」と相手が通信に応じ、リオの前に画面が表示された。


「マハナ、今どこにいる?」

「…っ先輩……?…珍しいですね、先輩から掛けてくるなんて。…明日は、聖なる槍でも降りますかね?」


 こちらの通話は常に映像が付いてくるようで、画面の向こうではセンター分けの美青年が楽しそうに笑っている姿が映っていた。


「質問から話逸れてるんだけど…」

「あぁ、すみません。あまりの珍しさに話が逸れてしまいました。えっと、今は諸用で部署から離れていますけど、あと十分くらいで戻れると思いますよ。それがどうかしたんですか?」

「別に。ただストーリアを提出しに行こうかと思って」

「部署には他の方もいらっしゃいますよ?わざわざ自分じゃなくても…」


 マハナは理由を聞くなり、キョトンとした顔で首を傾げながらそう言った。そして少しだけ考えた後、大袈裟に手をポンと叩くと満面の笑みで口を開いた。


「あ、そっか。先輩、人と関わらないから知り合い少ないですもんねっ。分かりました!なるべく早く部署に帰るようにします」

「一言余計。いーよ、机に置いとくからあとで処理しといて。席は変わってないでしょ」

「はい、変わってませんよ。戻ったらすぐ、処理しておきます」


 用件が終わるとリオはピッと一方的に通信を切り、ユキの前を通り過ぎて、中央の扉の横に立てかけてあった本に近寄った。その本を手に取ると、リオはぷらぷらとさせながら振り向いた。


「ストーリアを管理部に出しに行かないとだから、帰れそうなら帰っていいよ」


 今までいない者のように放置されていたユキは、突然の会話に肩をびくりとさせた後、慌てて返答した。


「わ、わかった。今日は迷惑かけてごめんねっ」

「別に。これから気を付けてくれればいいよ、お疲れ様」


 リオはそう言いながらドアを開け、相手を気にすることなくさっさと出て行った。相手に何があってもあまり動じないさっぱりした態度に、ユキは「ブレないなぁ」と小さく吹き出し、さっきよりも軽くなった体を起こした。




 鏡を通り自分の世界へ戻ってきたユキの口からは、溜め息に似た息の塊が吐き出された。先程までは異常はなかったはずだが、気怠さが戻ってきてしまったせいだ。とは言っても全身が脱力するようなものではなく、微熱の時のような軽症な気怠さに近いものであった。


「はぁ、つらい。……それにしても、わたし、魔法なんて使えたんだ…」


 鏡の前にあるローテーブルまでなんとか歩き、ぐにゃっと一気に力を抜いてテーブルに突っ伏す。魔法という如何にも心をくすぐる単語に、ユキは顔がニヤけるのを止められずにいた。


 テーブルのヒヤッとした冷たさを心地よく思いながらも、寒気予防のためにエアコンを起動させる。あたたかい風が髪を揺らし、それがまた心地良い。ずっとこのまま動かずにいたい…ところだったが、ぐぅぅと欲望の音がその心地良い時間を奪う。


「……お腹すいた。カップ麺でいっか」


 そう呟き意を決してユキは重たい体を持ち上げ、一階のキッチンを目指した。棚から適当に一つを選び取り、沸かしたお湯を注ぐとカップ麺が溢れないよう慎重に自室まで運んだ。カップ麺をローテーブルの上に置き、ユキは床に座って時間が来るのを静かに待った。


「あと一分かぁ…」


 ぽつりとそう言った時、体からまた力が抜けてユキはローテーブルに突っ伏す形で倒れる。助けを呼ぼうと携帯に手を伸ばすが重たい瞼を開けてはいられず、限界が来たユキはそこで意識を手放した。


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