三話
「…木の周りだけ暖めるのは可能だけど」
ぽりぽりと頭を掻きながら呟いた言葉は、相手の返答が得られず静かに宙に溶けていく。いつもは騒々しい少女が未だに静かなことを不審に思った少年は、居心地悪そうにしながら視線を移した瞬間、両手はユキによってがっしりと握られた。
「ほんとっ?」
「……まぁ、それくらいなら」
「じゃあちょっとでもあっためてあげよ!あとはお水かなっ?」
ユキはリオの手を離すと勢いよくベンチから立ち上がった。きょろきょろと辺りを見回し、如雨露を探し始めたその時「待った」と少し強めの声がかかった。
「その代わりアンタも協力してよ」
「…協力?」
「うん、周囲の警戒。ここは魔法が存在しない世界だから、一人より二人で警戒した方がいいでしょ」
「なるほど!」
「これなら脳みそ小さいアンタでもできるでしょ?」
「ほんとに容赦ないなぁ…」
苦笑いを浮かべながらそう言うと、ユキはまた目当てのものを探し始め、ベンチの下に如雨露が転がっていてるをみつけた。それを手に取ると公園の端にある水飲み場まで歩き、水道の蛇口を捻る。並々注がれた水を溢さないよう慎重に運び、ゆっくり木にかける。
「元気になーれ、元気になーれっ」
「……それ、なんかダサく…いや、なんでもない」
ユキとは違い臨機応変且つ学習能力もあるリオは、相手が騒ぐ前に言葉を誤魔化した。ほぼ言っているようなものだったが「じょうろの水をじょ〜ろじょろ〜」と楽しそうに水をあげていて、少女の耳に届くことはなかった。
木を暖め始めてから、時間にして十分も経っていないはずなのだが、リオにはその時間が何よりも長く感じた。それは“このトラブルメーカーが何かを仕出かす前に連れて早く帰りたい”という苦痛からだった。そんなストレスに、少しリオの顔に疲れが見えて始めた頃、静かに水をあげている少女に声をかけた。
「静かだけど、アンタちゃんと周り見てるよね?…というかなんか土が光って……はぁっ!?」
人目を気にするように周囲を見回していた少年は、木を覆う魔法の膜とは別に下から光が当たって眩しいということに気が付いた。そんな意味不明な現状にリオは嫌な予感をさせつつも下を向くと、ユキが持っている如雨露の水が発光しており、それを浴びる木の根も僅かに輝いていた。
「ちょ……っ!ストップストップ!!」
「え?…あぁっ!リオくんじょうろ返してよっ、まだお水残ってるんだから!」
如雨露の中にはまだ半分ほど水が残っているが、それを突然リオに取り上げられる。訳がわからず取り返そうとするも必死な形相のリオにさらりと躱され、ユキはムッとした顔で睨んだ。
「……アンタ、なんともないの?」
「え?…別に、なにもない…けど……?ほら、それだけあげたらもう終わりにするから」
返して、とリオに手が差し出されたが、リオはじろじろと相手を観察して、数秒考えてから如雨露を渡した。
「なんかあったらすぐやめてね。分かった?」
「わ、わかっ、た…」
小さい子に言い聞かすように丁寧に念押される。理由を聞きたくても話してくれる気はないのか、リオは押し黙ったまま木を暖めていた。疑問は解消されていないが、ユキはとりあえず手元にある如雨露の水をあげ切ることにした。
「…よし!水やり完了…ぉ?」
突然体から力が消え、ユキはズルッと地面にへたり込む。立ち上がろうにも力が入らず、体全体が麻痺したように動かない。脳が現状に追いつけず混乱していると、絶妙なバランスを保っていた体はその均衡を崩し、前に勢い良く倒れる。痛みを覚悟してユキはぎゅっと目を瞑ったが、一向に衝撃はやって来ない。
「ほら、だから言ったじゃん。アンタ、ダダ漏れさせすぎ」
薄目を開けてなんとか顔を横に向けると、ユキの肘をがしりと掴んで倒れないようにしているリオがいた。
「り、リオくん…、わたし、どうしちゃったの…?」
「その話はあと。扉もそこにあるからもう帰れるよ。ただ、あと一つ確認したいことがあるから、終わるまでオレに寄りかかってて」
そう言うとリオはユキの体を支えるように背中側に回り、しゃがみ込んだ。リオとユキでは体格差があるため、少女は遠慮するように力を振り絞り体を離したが、回された腕に体を掴まれ強く引き寄せられた。申し訳なさを感じながらも謎の脱力感で腕一本動かせないユキは潔く諦め、その小さな体を有り難く頼ることにした。
今まで経験したことのない言いようのない不安に、ユキの心拍数は上がったままだったが、背中から伝わる体温に何故か安心感を覚え、徐々に落ち着きを取り戻していった。
無反応な少年にちらりと視線を向けると、少年は瞳の前に手で丸を作り、天を見上げていた。何かを確認し終わったのか、ふぅと息を吐くとユキの方を見た。
「仕事、終わったから帰れるけど。どーする?」
「んー、ちょっと、すぐには…」
「だよねぇ…」
少女の状態にはぁ…と吐かれた息は、明らかに呆れが混ざったもので、ユキは気まずそうに外方を向いた。そんな珍しくしおらしい少女の姿に、少年は顎に手を当て考え込んだ後、口を開いた。
「じゃあ、引きずって帰るしかないか」
「なんで!?そこはちょっと休ませてくれてもいいじゃない!?」
あまりの非情な思考に静かにしていたユキがぎゃあぎゃあを声を上げる。
「忠告したのに続けたアンタの落ち度でしょ。自業自得」
「リオくん身長以外可愛くな…んぶっ!」
「………よく聞こえなかったから、もう一回言ってくんない?」
今までは回避していた地雷を今回はしっかり踏み付けたユキは、リオの手によって両頬を潰されるように掴まれ、有無を言わさず顔を向かされた。ぐいと向けられた方には勿論にっこりと黒い笑顔を浮かべるリオがいて、「すみません」と小さく声に出した。
「でもこんなラブコメ的展開でそれはないと思う!もっとお姫様抱っこしてくれるとか、おんぶしてくれるとか、ロマンチックに魔法で浮かせるとか、なんかあるでしょっ?」
「…なんだ元気じゃん。心配して損した。それにしてもアンタ、恋物語の見過ぎじゃない?そんなのオレはしないしする気もない」
バッサリと希望を切られたことにユキは明らかにしょげた。しかしそんなくだらないことを言うユキに対して、後ろのリオは支えるのをやめようとはしなかった。未だに体に力が入らないユキは急に動かれなくて良かったと安心した。
「別に、仕事が終わったからここで休んでてもいいけど、多分戻った方が早く回復すると思うよ」
「うーん。でも動けないから、もう少しここで休みたい……かな?」
今できる一番の笑顔で少女はそう答える。正直に言えば早く楽になりたい気持ちのが強いが、嫌がってる相手に力を借りて自分の欲を優先させるのは何か違うと思ったからだ。
ユキが辛そうにふぅ…と小さく息を吐くと、隣からはそれより大きく息を吐く音が聞こえた。
「仕方ないからオレが担いであげる。…言っとくけど、今回だけだからね」
「…えっ、いいよっ!大丈夫だからっ」
「辛いんでしょ?いいよ、初日だし。話を進めてくれたからそのお礼」
そう言うとユキを支えつつ、横に移動して背中を差し出される。本人は何も言わないが「早く乗れ」とでも言っているようだった。
「ほ、ほんとに大丈夫だからっ!……それに、リオくんじゃわたしを持ち上げられない、かと……」
「なんで?」
「だ、だって、リオくんわたしより小さいし…」
最後の方は言いづらそうにゴニョゴニョと喋ったが、近距離のため相手の耳に聞こえたようで顔を引き攣らせる。
「は…?持ち上げられるけど」
「……えっ!?ちょっ、ちょっと待って!」
そう言うとユキの許可なくリオは体を持ち上げようと手を回した。その今にも持ち上げそうな動きに、少女は慌ててストップするよう声をあげた。
「今度はなに」
「…できれば、お姫様抱っこがいい…です……っ」
「まじで元気じゃん。歩きなよ」
「だって、お姫様抱っこなんてなかなか経験できないもんっ。しかも美少年からの!ここ重要!!」
女の子の夢だとうっとりするユキに対し、リオは全く興味がないと露骨に嫌そうな反応をした。
「もういい?早く帰りたいんでしょ。大人しく担がれてくれない?」
「え……でもわたし重いし、リオくんの力じゃ……ぅわっ!」
痺れを切らしたのか少年は話を遮るように再度ユキに手を伸ばし、グイッと勢いよく持ち上げた。
「アンタの世界の常識で、話さないでくんない?」
美少年の顔を間近で見れ、尚且つお姫様抱っこをされているというこの状況に、心は今まで経験したことないくらいの幸福感で満ちていた。ユキは憧れのお姫様抱っこにニヤけそうになる口元をぎゅっと閉じ、相手にできるだけ不快感を与えないよう静かに堪能した。
体格差を気にしていたが、ユキを支えて歩くリオは筋肉が震えて無理している様子はなく、まるで何も持っていないかのようにスタスタと歩を進め、扉の前まで辿り着いた。
———ガチャ
開かれた扉を通り抜けながら、ユキは夢のような時間が終わるのだと呑気に、そして心から落胆するのだった。




