二話
ローゼベルトの部屋を後にした二人は、劇的な出会いを果たしたリオの仕事部屋に向かっていた。勿論ゲートを設置するためだ。
「分かってると思うけど仕方なく、だから。アンタが問題引き連れてくるから、それを最小限にするためにホントに“仕方なく”オレの部屋にゲートを繋げるんだからね。…まじで嫌だ」
はぁと溜め息を吐き続けているリオの横で未だにウキウキが止まらないユキは、リオの恨みの籠った視線に全く気付かず、なんならスキップまでしてしまっている。
「やっと家に帰れるよ〜。やっぱり家が一番だよね!リオくんのところもご飯おいしかったし、お風呂気持ちよかったし快適だったけど……やっぱり自分の家最高!」
「…聞いてないし」
勤務時間の真っ只中だからかテンション高く騒ぐユキを誰も相手にする様子はなかった。館内には本を沢山抱えて走っている人や、通信機器で連絡をとっている人、何かを話し込んでいる人たちなどが行き交かっており、この職場は忙しいさを物語っていた。だからこそ何事もなく、無事にリオの部屋まで戻ってくることができた訳だが、少しはこの不審者に目を向ける者はいないものかと、リオは現在の職場環境に少しだけ不安が持った。
部屋に着くなりどこにゲートを設置するかと悩んでいたが、最終的に自分があまり行き来しない部屋の隅に設置することとなった。理由はリオ曰く“関わりたくないから”…だという。
一日に満たない時間を共に過ごしただけでも、ユキはトラブルをすぐに持ち込み、後先考えずに行動する節があると把握できたため、自分も巻き込まれないようにという予防のためである。
「これがゲート……ただの鏡にしか見えないね!」
「そう見えるように作ったからね。アンタの部屋もこれと同じ形になってるはず」
だから魔力がない者が見たら普通の鏡で気付かれることはない、とリオは言葉を続ける。ユキはゲートに映った自分に手を振り、つんつんと表面を突いた。触れるたびにゲートの表面に振動が伝わり、波紋が広がる。それが妙に癖になるのか少女は触りながら話し出した。
「それにしても……はぁ〜〜っ!いい体験できたよ〜。楽しかったな〜っ、またあんなことにならないかな〜!」
「…鏡割るよ?オレはあんな体験、二度とご免だね」
「繋げたのにわたしの希望を断たないで!?…というか、そんなことしたらまたリオくんにお世話になるだけだよ?それにゲートって座標が分かればいつでも繋げられるんじゃないの?」
痛いところを突かれリオは「うっ…」と言葉を詰まらせ気まずそうに視線を逸らした。それが面白かったようでユキは小さく笑うと少年はむっとした顔で「早く行けば?」と背中を押した。心の準備ができないまま強制的にゲートを使わされたことによりユキの“初ゲート体験”は呆気なく終わった。
レースのカーテンを被った時のような感覚とともに目の前には、よく知る自分の部屋があった。
「…おぉ!わ、わたしの部屋だぁーーーっ。帰って来れたぁー!」
「当たり前でしょ、ちゃんと繋げたからね。なに意味分かんないこと言ってんの」
首から上だけを鏡から出したリオは呆れ顔でそう答えると、ユキは突然の生首に「きゃっ!」と悲鳴があげた。
「……なに。急に女みたい声出して」
「いや、元々女子だから!というか生首のまま喋らないで!」
「アンタってホント騒々しいよね」
やれやれと呆れ顔のままリオはスルッと鏡の中から出てきて、トンと軽く床に着地した。リオは自分の世界とは少し違う雰囲気に、周りをキョロキョロと見回す。
「アンタの部屋、面白いね」
「普通だと思うよ。どこらへんが面白いの?」
「これとか……、これも」
「ゲーム…と、辞典っ?」
「辞典っていうんだ。いろんな言葉が集約されてて、勉強になる」
辞典を手に取りパラパラと捲りながら、リオがそう答える。そのキラキラした顔を見て、ユキは軽く吹き出した。
「じゃあそれ、貸してあげようか。今は使ってないし」
「……いいの?」
「いいよいいよ!あたし滅多に使わないし、必要な時は、ほら…これでパパッと調べられるからっ」
そう言って携帯を手に持って見せる。今の今まで異世界だ何だと、非現実的な出来事や出会いで精一杯だったというのもあるが、ユキは携帯を見るまでその存在を忘れていた。その事実に驚きつつ、タップ音をさせながらメッセージアプリを立ち上げると、何件か通知が来ていた。
「うわっ、数時間しか経ってないのになんかすごっ!…スタンプ祭りしてる」
やれやれと面倒そうに対応するも、帰って来れたという気持ちからなのか、友人と連絡を取って緊張が取れたのか、今まで見たことのない柔らかな表情をしていた。
「何それ」
「…わっ!!急に背後に立たないでよ!…これは、携帯って言って…」
「あ、そうだ。…オレ、こんなのみつけたんだよね」
携帯の説明をしようと背後に立っていたリオを見ると、手に持った何かをヒラヒラさせながらリオは不敵な笑みを浮かべていた。その顔は今でさえ目を奪われるもので、ユキは一瞬息を呑んでしまった。見た目が子どもだったためにすぐに現世に戻って来れたが、十歳上になったら相当な破壊力を持ち、昇天してしまうんだろうなと少女は確信した。
「……ってそれわたしの通知表!!ちょっ、返して!」
「ふーん。で、何のためのもの?…あ、中を見た方が早いか」
ユキは取り返そうとぴょんぴょん跳ぶが、空中に浮かんだリオを中々捕まえることができない。はーはーと息切れを起こしたユキは自分の体力の無さに悔しさを覚えつつ無駄に跳ぶのはやめ、最後と思って勢いをつけて跳んだ。なんとか服の端を掴むことはできたが、ぐいぐい引っ張っても少年はその場から動く気配はなく、努力も虚しく中を見られることとなった。
「アンタ………アベレージにも程があるよ。しかもニまであるし…」
「わーーっ!!分かってるから言わないでぇー!でも仕方ないじゃん!この世に漫画とかゲームとか心惹かれるものが多すぎるんだよぉっ!」
言い訳をする少女の姿にリオは軽蔑からか冷ややかな目で見つめていたが、おいおい泣くユキを見るのは心が穏やかではないようで、気まずそうにポリポリと頬をかいてからはぁと溜め息を吐いて通知表を閉じた。
「……はいはい、勝手に見て悪かったね。でも、もう少し成績は上げといた方がいいと思うよ。———オレの仕事についてくるならね」
そう言うと「じゃ」と言って、ユキが声をかける暇もなく、リオはそそくさと鏡の中に戻っていった。
「なんなのよ…」
部屋にはユキの困惑した声だけが響いていた。
数分経っても来る気配がなく、仕事に行ったのだと確信して、ユキはバフンと勢いよくベッドにバックでダイブをした。宿題をする気にはなれず、ご飯には少し早い時間。お風呂に入ろうかとも思ったが体が動きたがらず、ただただ天井をぼーっと見つめた。
そうしていると少なからず眠くなってくるという人達がいるわけで、ユキも例外なくうとうとと瞼が閉じていく。しかし睡眠という欲求に反抗することなく素直に従い、夕食まで休養することにした。
次に目が覚めた時、辺りは暗くなっており、時刻は七時半を回っていた。だが自宅からは物音一つ聞こえて来ないため、誰も帰宅していないのだろうとユキは重たい体を起こして、夕食作りに取り掛かるため部屋を出た。
「うーん…手の込んだものは作りたくないし、パパッとできるパスタかな?……ふっふっふ…ようやくこれを使う時がきた…じゃじゃーんっ、パスタ茹で器〜!使うの楽しみだったんだよねぇー!」
楽しそうに独り言を呟き、パスタをレンジにかけ始める。その間、意外にも慣れた手つきで玉ねぎやきのこを切り始める。さっと作り終えたパスタに、罪悪感からミニサラダとヘルシーなスープを付け足した。リビングで食べようかとも思ったが、家に自分一人なのにリビングは…と思い、それらをお盆に載せ自室を目指す。
部屋にも小さいテレビが置いてあり、慣れた手つきでリモコンのボタンを押す。チャンネルを回すが特に目を引く番組はなく、適当にチャンネルを止める。
「いただきます。…あ、今日はアルデンテだ、いい感じ。でも、リオくんの料理には負けるわぁ…」
あははと乾いた笑いが宙へ消えていき、テレビの音以外は何も響かない。
食事をしていると喉の渇きに気付き、ローテーブルに手を伸ばす。しかし持ってくるのを忘れたのか今一番欲しいものはそこにはなく、またも重たい体を持ち上げキッチンへ水分を取りに行く。やれやれとうんざりしながら自室のドアを開けると先程までなかった人影があった。
「ねぇ、これ食べてみたいんだけど」
「……え、帰ったんじゃないの…?」
「帰って仕事してきた。それで、アンタに言い忘れたことあったからまた来た」
ぽかーんと間抜けな顔で立ち尽くしているユキにイラついたのか、リオはギンにと睨んでまた口を開いた。
「お皿持ってきて、あとフォークも。早く」
「は、はいぃ!」
突然部屋に押しかけて図々しく言う少年に急かされ、ユキは言われるがまま回れ右をした。慌ててまた一階に降り、言われた通りの物を持って自室に戻る。するとそのお皿はスルッと奪われ、リオは素早く食べたい分を取り分ける。
礼儀正しく「いただきます」と言ってから、パスタを口に運ぶと、少年は目をぱちくりとさせた。
「………おいしい。アンタ、意外と料理はできるんだね」
「言いたいことはわかるけど、“意外と”は余計だよ。それより言い忘れたことってなに?」
「…あぁ。見聞を広めるために、アンタの世界を時々見に来ることにした」
「え〜っと………つ、つまり?」
理解したくないのか現実逃避をするように明後日の方向を見ながら汗を流すユキに、リオはクスッと楽しそうに笑って現実を突きつける。
「アンタに付いてって、色々見て回るってことかな。アンタの世界でいう“デート”ってやつ?」
「そ、それは……今までの迷惑分オレに尽くせ…的な?」
「そゆこと」
よろしくと楽しそうに笑う無邪気なその笑顔がユキには悪魔のように見えたのだと、後に本人は語った。リオは言うことを言って、食べるものも食べて満足したのか「ごちそうさま」と一言伝え、とても機嫌良く帰っていった。
ユキはというと、逆にブルーな気持ちになりながら食事をすることとなった。美味しく作れたはずのパスタは、後半から味が分からなくなったが、なんとか自分の口に運び完食する。
食べ終えた食器をお盆に載せてキッチンに運び、そのまま食器を洗っているとふと気付く。リオが食べたものは、自分が口をつけたものだ、と。しかしそんなことにも気付かず、リオが食しているのを普通に見ていた自分を思い出し、ぷっと小さく吹き出したのだった。