二話
リオは今まで起こった出来事について、簡潔にそしてありのままローゼベルトに話した。一通り聞き終わったローゼベルトは顔にかかっている髪を耳にかけると声を発した。
「なるほど…。ちょっと厄介なことになったね」
「すみません。オレがもっとしっかり監視していれば…」
「いや、仕方ないと思うよこのケースは。異世界の人だし、尚更こちらのことを知るわけがない。不可抗力ってやつさ。…さて、これからどうしたものか」
ローゼベルトは苦笑いを浮かべながら腕を組んでうーんと唸り始め、一方のリオもローゼベルトと同様に、思考を巡らせているのか押し黙ったままだった。そんな二人の様子にユキは“自分はここまで悩ませることをしてしまったのか”と、申し訳ない気持ちになった。
「あの…、何がそんなにまずいんですか?」
蚊帳の外にいたユキは我慢できず声を出すと、考え込んでいた二人はぱちりと視線を合わせ、ローゼベルトが声を出した。
「あぁ、ごめんね。君を除け者にした訳じゃないんだけど、ちょっとね。…うーん。でもまぁ、少しだけでも説明しておこうかな。そしたら良い案も浮かぶかもしれないし、リオくんもいいかな?」
ローゼベルトはリオに承諾を得るように視線だけ向けると、少年は口を開こうとはせずコクンと頷く反応だけ返した。
「じゃあ、とりあえず。ユキちゃん、僕たちの大図書館、管理局へようこそ!」
「……大図書館、管理局?」
「そう。ここはこの都市の中心にある大きな図書館で、僕達はその管理を任されているんだ。管理…と言っても、司書さんじゃないんだけどね」
ニコッと笑いながらローゼベルトは一回言葉を切り、リオの入れた紅茶を飲み始める。
図書館と聞いて司書以外の仕事が思い浮かばないユキは頭に疑問符がたくさん浮かばせた。司書じゃないならこの人たちはなんなのか、もしかして警備員なのか、はたまた図書館のイベントをする人なのか、などと思考が人の斜め上をいくユキが考え込んでいると、静かに紅茶を飲んでいたリオがカップから口を離した。
「オレ達の仕事は“導き手”。ストーリアを正しく導くために存在するんだ」
「…導き手?…ストーリア?え、ん??」
新しい言葉に先程以上に疑問符が浮かび、ユキは考えるのをやめるように頭をフリーズさせた。
「ちょっ、ちょっと、リオくん!ユキちゃんの頭パンクしちゃったみたいで白目になってるじゃないかっ。ユキちゃんの世界にはないんだから、もうちょっと言葉を選んであげないとっ。ユキちゃん帰ってきて!ほら!ヒッヒッフーだよ!」
「ローゼベルトさん、その呼吸間違ってます」
「ぇえっ!?じゃ、じゃあユキちゃん一回紅茶飲もう!リオくんの淹れた紅茶は美味しいからっ」
あわあわとしながらもローゼベルトはユキになんとかカップを持たせ、紅茶を勧めた。
少し時間を置いてからローゼベルトはユキに「大丈夫っ?…生きてる?」と心配そうに声をかけつつ、リオの言葉を噛み砕いて伝えようとする。
「落ち着いたかな?えっと、ユキちゃんは本って読むかな?」
「漫画のが多いですけど、たまに読みます。本って自分で想像するから、そこが漫画と違った面白さがあるというか…」
「そうそう。それに文字も覚えられるし、漫画では描けない、表現できない何かが本にはあるよね。僕も同意見だ。そもそも“本”っていうのは紙や布なんかの柔らかいものに、文字とか記号とかを書いたものの事を言うんだけど、ここでの“本”という言葉には二通りの意味あるんだ。一つは普通に“本”で、もう一つが———“ストーリア”」
ローゼベルトはここまでは平気かな、とユキに確認を取りながら、話を進める。するとユキがおずおずと小さく手をあげた。
「あの、二通りの意味があるってことは、使われ方が違うってことですか?収める…みたいな」
「ん?…あぁ、同訓異字ってことかな?難しいこと知ってるね。まぁ、そんな感じかな。二つを簡単に説明すると“完成したもの”か“未完成なもの”かってこと」
「…な、なるほど、です?えっと、つまり“ストーリア”を完成させて“本”にするってことが仕事…ってことですか?」
すごく噛み砕いて説明してくれるローゼベルトの優しさを感じつつ、リセットされて空っぽになった頭に、必死に言葉を入れていく。
「おぉ!飲み込みが早いね!」
すごいすごいとぱちぱち拍手をされたユキは、「この人はわたしを園児か何かと思ってるのかな」と一瞬思わされた。本人に深い意味はなくても、キャピキャピした言動がそう思わせてしまうのだろう。
「つまり、ここは製本所ってことでしょうか?」
「違う、アンタのとこと一緒にしないでくんない?“導き手”って言ったでしょ。アンタが昨日やったことが仕事なんだよ」
静かにしていたリオは埒が開かないとイライラしたのか口を出す。その様子にローゼベルトは嫌な予感がして慌てて話に割り込んだ。
「例えばの話、道に迷ってる人がユキちゃんに声をかけてきた時、場所を知ってたら教えてあげるでしょ?“導き手”はそれと同じように“ストーリア”の中に入って話が詰まっていたら、うまく進むように動いて、“本”へ完成させることが目的なんだ。要はナビ……、舵取りってことかな」
「えっと、…要するにわたしは、昨日未完成の物語の中に入って、勝手に話を進めてしまった……と?」
「そういうこと!」
ピンポーン!とローゼベルトは明るく答える。それとは対照的にユキの顔色はみるみる青ざめていく。
「付け加えると、ストーリアが完成すれば、アンタのことが記載されたまま“本”として世界に出回る可能性がある」
「…えぇっ、わたしだけ!?リオくん達は!?」
「オレ達は“導き手”だから。存在を知られないように隠蔽の魔法が働くんだ。だから本に載るのはアンタだけ」
部屋の中に暫し沈黙が流れる。
少し経ってからローゼベルトは何か思いついたのか、ポンと手を打ち、笑顔で話し始めた。
「あ、そうだよ!ユキちゃんも仕事しちゃえば良いんじゃないかな?」
その妙案に、キラキラ顔のローゼベルトとは対照的に、リオはジトっとした目で相手を見た。
「ローゼベルトさん、それはちょっと…。第一誰が面倒見るんですか、こんなのの」
リオは隣に座っているユキを顎で指し示す。
「え、だめかな?良いアイディアだと思ったんだけど。面倒見る人はほら、横で話聞いてくれてるし、いいんじゃないかな?…ってこらこら、露骨に嫌な顔しない」
「いや、ホントに無理なんで」
「僕も出来るだけフォローするし、ストーリアが完成するまで補佐って形で仕事に関わらせてあげてよ。じゃないと“導き手”でいられないんだし、ね?ランク上がるの掛け合ってあげるから、ね?ね?」
ランクという言葉にリオは一瞬肩をピクッと動かしたがそれでも嫌らしく、すぐに返答するような軽率な行動はしなかった。目の前の欲に負けるのではなく、本人は冷静且つ慎重に考える派のようだ。
「毎日じゃなくていいし、毎回じゃなくていいんだ。ダメかな…?」
子犬のようなうるうるした目でリオを見つめる。美形のローゼベルトがそんな表情をすると、始めは睨んでいたリオも最終的には折れて世話係を引き受けてしまうのだ。勿論条件付きでだが。
「…分かりました」
「よし!じゃあユキちゃんは今日から“導き手”の研修生?見習い?…ね!リオくんの言うこと、ちゃ〜んと聞くんだよ。じゃあ話は終わり!解散!」
一仕事終えた後のように爽やかに去っていこうとするローゼベルトをリオが慌てて引き止める。
「待って下さい。ローゼベルトさんの能力で、この人を元の世界に帰すことはできませんか?」
「…あぁ、そうだった。一応あっちの世界も時間動いてるし長い間いなくなるのはよくないもんね。リオくんの家にずっといてもいいと思……いませんっ!そうだよね!分かってるさ!」
ギンと睨まれたローゼベルトはリオと目を合わせないように近くを通り過ぎ、「おいで」とユキの手を引く。
ユキをデスクまで引っ張っていくと、ローゼベルトは一人愛用の椅子に座り、デスクを挟んでユキを正面に立たせた。
「じゃあユキちゃん、手を出してね」
そう言うとローゼベルトは呪文を唱え、デスクの幅いっぱいに魔法陣を出現させた。優しく光り出した魔法陣は様々な寒色が混ざり合っていて、天井から綺羅星がゆっくり舞い落ちてくる様は、体感型のプラネタリウムのようでユキは目を見開き、その光景に息を呑んだ。
「はい、おしま〜い。お疲れ様ユキちゃん。ちょこ〜っと、ローゼベルトさんに見せてね〜」
ふむふむと魔法陣に手を翳して何かを読み取り始める。
「ちょっと、リオくんリオくん」
「何」
静かにしなくてはいけない雰囲気が流れていて、横に立っていたリオにコソッと話をする。リオはと言うと瞳を閉じたまま、素っ気なく返答するが、ユキは構わず話を続ける。
「あれ、何だったの?」
「あぁ、あれはローゼベルトさんの能力———“星詠み”だよ。簡単に言えば、あれでアンタのことを星から教えてもらってるんだ。過去、現在、未来……とかね」
「…みっ、未来って……」
「はーい、解読完了〜!僕の知ってる世界だったから、お家に帰してあげられるよ、すぐにでも」
「い、家に帰れるんですか!?すぐ帰りたいです!お願いします!!」
家に、自分の世界に帰れる——。少し諦めかけていたところに降ってきた嬉しい知らせに、ユキは先程の疑問も忘れ、ローゼベルトの方に飛んでいった。
「分かってると思うけど、“導き手”のお仕事の時はこっちに来てもらうからね。それだけは忘れないで。…まぁ、忘れてたらリオくんが引っ張って来そうだけどね」
「オレは勿論そうしますよ」
「…だよねぇ〜…。じゃあ座標とか詳しいのはこれに書いといたから、ゲートの設置に行って来なさい」
「ありがとうございました。失礼します」
リオが静かに感謝を伝え歩き出すと、ユキはその横できゃっきゃと嬉しそうにはしゃいでいた。対照的な二人の反応にローゼベルトはプッと吹き出し、笑いながら二人に手を振る。ぱたりと閉じられたドアに、ふぅと溜め息を吐くとローゼベルトは立ち上がった。
「いつまで隠密の魔法を使うつもりだい?リオくんはあの子に気を取られて見逃したみたいだけど、僕は騙されないよ」
ローゼベルトはドアを開け廊下にそう言うと、ドアの影からスッとローゼベルトくらい長身の男性が現れた。
「そんな所にいないで入ってくればよかったのに。いつからいたの?」
「“星詠み”あたりからだ」
「…それは、入りづらい話のところだったね。でも僕、君はもっと前から居たように感じたけど?」
にこりと微笑むローゼベルトだが、長身の男性はその瞳の奥に、色々な感情が混ざっているような複雑な色を浮かべていることに気付き、簡潔に言葉を述べた。
「動き出したのか?」
「…運命の歯車は回り出したよ。相手は教えられないけどね。君に話すとその子が可哀想なことになるだろうから。まぁ、君も聞いていた通り女性、とだけ伝えておくよ」
ローゼベルトの答えに男性は「そうか」と短く答え、さっさと部屋から去っていった。
「…さて、鬼が出るか蛇が出るか。気になるところだね」
一人残されたローゼベルトはドア枠に寄りかかりながら、ぽつりと言葉を溢した。