二話
いつの間にか少女も眠っていたのかぱちりと目を開けると太陽が昇っていて、時折風に靡くカーテンの隙間から自分の顔に向かって陽が射す。
しかしそんなユキの頭に疑問が浮かぶ。何故だがベッドから落ちていて、体のあちこちが痛い。眠ってる間に何があったのかと考えながら痛む体を労り、軽くストレッチする。
「…あ、起きた?準備できたらこっち来て」
洗濯された制服に袖を通しテーブルへ向かうと、昨日とはまた違うカチッとした服装のリオが一足先に食事を始めていた。寝ぼけたままの顔でリオに挨拶をすると“出勤時間が迫っている”という衝撃を事実を知らされ、ユキも急ぎめに食事を済ます。
「よし!忘れ物なしっ」
「アンタ別に荷物ないでしょ」
最後にあっちよし!こっちよし!と指差しながら一通り確認していくユキを、リオは呆れ顔で見ていた。玄関で靴を履き、いざ出発という時に「あ!」とリオが大きめの声を上げた。
「待って。外出る前に…」
《シュッシュッシュッシュッシュ〜っ!》
大量のミストを全身にかけられ、ユキの顔はもちろん体やインナーまでびしょびしょに濡れる。
「…え、わたし………雑菌扱いされてる?」
何かの嫌がらせかと思うくらいの行為に、ユキは片方の眉を引き攣らせる。そんな怒りが爆発寸前のユキにリオは首を横に振った。
「違う。異世界の匂いってのがやっぱあるから」
そう魔法で乾かしながら告げる。多分他人の家にお邪魔した時に、その家の匂いがするのと同じような感覚なのだろう。臭いというわけではないが、異世界という独特な香りはそれだけで周りの人に気付かれてしまう恐れがあるため、その予防なのだと言う。
服が乾くと、どこからともなく出現させた白い衣類がユキに手渡される。
「なにこれ。……フード付きのマント?」
「オレのお下がりで悪いけど、念のためにそれ羽織っといて」
言われた通りにそれを羽織ると、足首まですっぽり隠れるくらいのロング丈のマントであった。羽織った姿を鏡で見た時、マントの色に関係なく危険人物と判断されないかなとユキは苦笑いした。
リオの自宅に行った時とは違い、今回は職場の入り口あたりにゲートが繋げられた。自分はここにいて大丈夫なのかと少年に視線を向けると、ユキの疑問に答えるように口を開く。
「朝は出勤確認のために、入口通らないといけないから。アンタもついてきて」
「…オフィスビルの会社員かい」
どこからか取り出したカードを翳すとピッと機械音が鳴り、奥へ進むリオにユキも後ろから付いていく。
「…あれ、リオさん?お久しぶりじゃないですか。これから出勤ですか?」
突然声をかけられたリオは目線だけ声の方に送る。そこにはほっそりしたセンター分けの青年が立っていた。彼は勤務を開始しているらしく両手に本が何冊も重なっていた。
「どーも」
リオはそれだけ言って青年の横を通り抜け、ユキもそれに続いて歩き出す。フードの隙間から相手の顔を盗み見ると、少しだけ寂しそうな顔で笑っている青年が見え、ユキは眉を顰めた。しかし自分は今日でさよならの人間だと割り切り顔の向きを戻そうとした時、青年と目が合ってしまった。
「そう言えば、この方は誰ですか?マントはここのですけど、職員…じゃないですよね。新人が入ってくるのは少し先ですし、来客…もないって言ってましたし、……と言うことは全くの部外者…」
ずずいと近付いてユキを観察し始めた青年に、珍しくリオが慌てて声を出す。
「……ロ、ローゼベルトさんの遠い親戚。将来のための職場見学…って、言ってた、気ガスル」
(いやいや語尾ロボット!リオくん嘘下手すぎじゃないっ!?)
少年の壊れかけのロボットのような辿々しい物言いに、どうなるかとヒヤヒヤしながら相手の反応を待つ。
「…なるほど!職場見学、お疲れ様です」
センター分けの美青年がにこりと優しい笑顔を向ける姿は、誰でも胸を撃ち抜かれるだろう。ユキも一瞬爪楊枝が刺さったような感覚があったがすぐに平常心を取り戻すこととなる。
「それにしても………、ローゼベルトさんに似てないですねぇ。本当に親戚ですか?だってあの人って話し方とかはあれですけど、顔はすごく整っててしかも謎の色気もあるじゃないですか。でもこの方からは色気が一ミリも感じられないし、顔も普通と言うか何と言うか……」
美青年であっても言っていいことと悪いことがある、失礼にも程がある、とユキは怒りから強く握られた右手が上がりかける。しかしプルプルと震え、上がりかけのその手をリオが掴んで無理矢理降ろさせようとしていた。
「と、とりあえず、確認したいなら早くローゼベルトさんに連絡して」
リオが早口でそう伝えると相手は爽やかな笑顔を向け、二人から少し離れて確認の電話を入れ始めた。
「…落ち着け、あれはそういう男なんだよ。気にしたら負け」
「リオくん……っ」
相手の心無い言葉にムッとしていたが、リオがフォローしてくれたことに感動し、ユキはちょろりと涙が出そうになった。
「まぁ、アンタの場合当たってるけどね、全部」
「二人して性格悪いわ……。てゆうか感動返して」
「意味分かんない」
怒りを通り越して呆れるとはこの事なのだろう、と冷静に思いつつローゼベルトに確認の連絡をしている青年を見る。
両手に持っていた大量の本は床には置かず、積み重ねて片方の手の平で支えている姿は、ユキにとっては非日常的なことだ。しかし異世界の人にとっては日常的なようで誰もその状況に驚く者はいなかった。ユキは、この人がもし、自分の世界でウェイターだったのなら右に出る者はいないんだろうな、と斜め上の思考を巡らせていた。そのくらい積み重なった分厚い本たちは微動だにしなかったのだ。
そんなことを考えていると、離れて連絡をとっていた青年がこちらに戻ってきた。
「お待たせしました。ローゼベルトさんに確認取れました。すぐ来てほしいとのことです」
「わかった」
「それでは、失礼します」
笑顔のまま軽く会釈して立ち去ろうとした青年を「マハナ」とリオは呼び止めた。呼ばれた青年はきょとんとした顔でその場に立ち止まると、一拍遅れて振り返って返事をした。
「…はい。どうしました?」
「あとでそっちに報告書出しに行くから」
背中を向けたまま話すリオに、センター分け美青年/マハナは、目を見開いて相手を凝視した。その後すぐ、先程と変わらない優しい笑顔をリオに向けた。
「……わかりました。先輩、お待ちしています」
若干蚊帳の外感があったユキは何とも言えないこの雰囲気を壊さぬようにと、空気の役に徹しながらリオの後を追った。