二話
「まぁ、アンタは異世界の人だし、一応忠告しておいてあげないとね。本当は関わりたくないんだけど、こんな面倒な案件」
「なんか乙女ゲーの攻略対象みたい。ツンデレなのに優しいし」
「…乙女ゲーっていうのがよく分からないけど、良い意味じゃなさそう」
グダグダと生産性のない会話を続けたあと、リオは話を区切る。
「ひとまず、話はここまで。風呂とか、食事とか済ませてもう休もう」
ふぁと欠伸をする姿は、子どもそのものでユキはバレないようクスッと笑う。本人曰く、ユキより年上だそうだが、どうしても背格好という印象に引っ張られて年下扱いをしてしまう。
昔どこかで読んだ漫画のキャッチフレーズのような人だ…なんて思いつつ、ユキは明日に備えて、リオの提案に乗る。
「了解しましたっ」
「…。まぁいいや。オレは夕食作るから、アンタは先に風呂入ってきていいよ」
常にキツい言動で、ユキに対して面倒だのトラブルメーカーだの罵るのにお風呂は借してくれるんだ…、とユキは驚きを隠せない。しかしそれを口に出してしまうとリオの機嫌を損ねることは目に見えているため、敢えて言わない。
「なんか同棲してるみたいな会話…」
現状に安心して、一瞬頭を過った言葉をぽろっとそのまま言ってしまい、“あ、やば”とユキの顔に汗が浮かぶ。
「え…、オレとアンタが?やだ、無理。オレにも選ぶ権利はある」
手を前に出して真顔で答えるリオに、ユキは少しだけカチンと来て、嫌味を言うように言葉を返す。
「それはフラグですかー?…と言うかそれはわたしにもあるから!!」
「あ、そう。フラグがよく分かんないけど、そういうのやめてくれる?」
余計なことを言ってすぐ軽い口喧嘩になってしまう二人の、どこをどう間違えたら同棲しているように見えるのかと、妙に冷静になったユキは思った。
これ以上ヒートアップする前に切り替えようと「はぁー…」と大きな溜め息を吐いたユキは床から立ち上がり、説明されたお風呂場へ向かう。すると後ろから待って待ってとリオが早歩きで後を追って来た。なんとエプロン姿というオプション付きである。
背格好から家庭科の調理実習っぽさが漂っているが、顔が整っているからか、それとも単に格好が様になっているからか、その雰囲気が若干和らいで見える……、ような気がした。
「風呂の使い方知らないでしょ。それとタオルはこれ、服はこれ…」
「…さっきの訂正する。オカンだわ」
そう伝えると普通だった顔がみるみる曇っていき、冷たいオーラを放ち出した。
「そ。風呂入らないならそれでもいいけど、外で寝てね。汚い人を部屋で寝かせたくないし」
「〜〜っ!?お、お風呂いただきます!!」
キッチンへ戻ろうとするリオの手からタオルと着替えを奪還して、素早く脱衣室に立て篭もる。急いで済ませようとバタバタ焦っていると、扉が軽くノックされると同時に「ごゆっくり」という声が聞こえてきた。
遠ざかっていく足音を確認し、安堵の溜め息を吐いたあと洋服に触れる。知り合って数時間の相手のお風呂を借りているという事実に、ユキはなるべく早く上がろうといつもよりテキパキ洗い始めた。
異世界というとお風呂という概念がなかったり、文明の発達が進んでおらず水浴び…、などとアニメや漫画でよく見る。しかし“ここ”はユキの世界と何ら変わらない生活水準のようで、苦労せずに使うことができた。湯船にザブンと浸かると、緊張や不安がお湯に溶け出していくような、今まで凝り固まっていた何かが少しずつ柔らかくなっていくような気がした。
「今日は本当に濃い一日だったな…」
髪から滴り落ちる水滴を見つめながら、ユキはその心地よい湯船を堪能したあと今日という刺激的な一日を思い出し、少しだけ物思いに耽った。
「ごめんなさいリオくん!少しゆっくり入っちゃったっ」
お風呂から上がったユキはバタバタと騒々しくリビングに向かうと、食事がテーブルに並べられていた。
「おかえり」
「…た、だいま?」
「夕飯出来たんだけど、先にお風呂済ませたいから少し待ってて」
そう言い残すと、リオはさっと脱衣室の方へ消える。もう一度テーブルを見るとしっかり二人分の食事が並んでいた。あんな態度なのに、やはり根は優しい人なのだと確信し、ユキは少し顔がニヤけた。
しばらくするとお風呂上がりのリオが脱衣室から戻ってくる。入浴前までのかっちりしたものでなく、ラフな格好になったためかキツい印象が少しだけ和らいでいる。
「お待たせ……したみたいだね。じゃあ食事にしようか」
ぐきゅるるる〜と鳴り続けてるユキのお腹の音を聞いて、リオは笑いを堪えながら席に着く。ユキは胸の前でぱちんと両手を合わせてから挨拶をした。
「いただきますっ」
「…なにそれ?」
「なにどれっ?」
突然突っ込まれた事に驚き、変な言葉を返すと共に、手元が狂ったユキはカチャリと音を立てた。
「だからその“いただきます”ってやつ」
「…あぁ。ご飯を食べる前の挨拶だよ。この世界にもあるでしょ?」
「さあ?」
「さあ…って…。もしかしてリオくん…」
「何でもいいでしょ。それで、やり方は?」
話を遮られたことでユキの中にモヤモヤとした感情が残った。しかしそんなことも気にせず、挨拶に興味津々な少年にしつこく聞かれ、モヤモヤの根源を聞き返すタイミングを失ったユキは仕方なく少年の問いに答えた。
「せーの」
「「いただきます」」
二人で“いただきます”を仕切り直してから食事を始めた。初めての挨拶に、リオは少しだけ嬉しそうにしていた気がした。
お皿の上のステーキは早く食べてと言わんばかりに食欲のそそる香りを漂わせ、食べ始めた少年に続き、カトラリーに手を伸ばす。我慢できないその香りに“なんとも憎いやつだ”と、ナイフを入れるとスッと簡単に切れ、その一切れを何も考えずに即口に運ぶ。今まで食べたことのないジューシーさで、肉本来の旨味に加えて、香草も少しだけ香る。
「おいしい…」
要はそういうことだ。
その一言だけ感想を述べたあと、夢中で食べ続けるユキを見て、リオはくすりと笑うとまた食事を再開した。
ステーキを半分くらい食した時にふとユキは気になった。自分が今食べている肉は何肉なのか、と。しかし世間には知らぬが仏、知るが煩悩という言葉もある。一瞬頭を掠めた疑問も、このステーキを最後まで楽しみ幸せな気分でいられるなら、そんな無粋な考えは無用だと無理矢理記憶から抹消させた。