第8話:紋章の影
学院に戻ったのは、夕刻のことだった。
宮廷での演目披露から二日が経っていた。
廊下を歩いていると、すれ違う生徒たちの視線がいつもと少し違う気がした。
(シャーロット、気のせいかしら)
シャーロット(気のせいじゃない。噂が広まっている)
(どんな噂?)
シャーロット
(概ね二種類ね。「ヴァンデルビルト令嬢が宮廷で大失敗した」という噂と——「それでも最後まで立っていた」という噂)
サンドラ(後者の方が断然かっこいいですわ!お〜っほっほっほ!)
シャーロット(静かに)
(どちらでも構わないわ)
本当にそう思っていた。
笑われることは分かっていた。
それよりも今は——別のことが気になっていた。
あの夜の、廊下での戦闘。
斥候の手の甲に刻まれていた、六つの図形が円を描く紋章。
(シャーロット。あの紋章、どう思う?)
シャーロット(あの夜直接見た情報から推測できることがある。六つの図形はそれぞれ六大元素——火・水・風・土・光・闇を表している可能性がある。それを円環状に配置しているということは、「六元素の統合」を意味する印かもしれない)
(つまり——)
シャーロット(あくまで推測よ。ただし、あの斥候たちが私たちのことを知っていたのは確かだわ)
足が、一瞬止まりかけた。
(六元素の統合……)
レギーナ(それは——私たちのことではないのか)
沈黙が、内側に落ちた。
シャーロット(可能性はある。でも確証がない。騒ぐのは早い)
ジャスティス(でも見過ごせない!あの斥候たちは明らかにエリザベスを知っていた!)
シンデレラ(こわいよ……)
(分かってる。でもシャーロットの言う通り、今は慎重に動く)
廊下の角を曲がった瞬間——アルベールと鉢合わせた。
「エリザベス」
「……アルベール」
気まずい沈黙が一瞬流れた。宮廷での喧嘩別れ。客席にこっそり来ていたこと。控室での会話。色々なことが、頭の中を駆け巡った。
「……少し、いいか」
「ええ」
人気のない廊下の隅に移動した。アルベールは少し間を置いてから、静かに口を開いた。
「宮廷での件は——俺が間違っていた」
「そんなことは——」
「間違っていた」
アルベールは繰り返した。
「合理的かどうかじゃなかった。君がなぜ行きたいのかを、ちゃんと聞くべきだった」
シャーロット(珍しいわね。素直に謝るなんて)
サンドラ(アルベール様、男前ですわ!)
「……謝罪は受け取るわ」
エリザベスは静かに言った。
「でも私も——一人で抱え込みすぎたわね」
アルベールが少し目を丸くした。
それから——小さく、息を吐いた。
「……そうだな」
「一つ、聞いてもいいかしら」
「なんだ」
エリザベスは声を潜めた。
「あの夜、廊下で戦った相手の紋章——あなたは何か知っている?」
アルベールの表情が、わずかに変わった。
ほんの一瞬だった。でも——
シャーロット(今の顔を見た?)
(見た)
シャーロット(動揺している。何か知っている)
「……知らない」
アルベールは静かに言った。
「なぜだ?」
「気になっただけよ」
エリザベスは微笑んだ。
「忘れて」
アルベールはしばらくエリザベスを見つめた。それから、静かに頷いた。
「……もし何かあれば、一人で抱え込むな」
「ええ」
廊下に、足音が遠ざかっていく。
エリザベスはしばらく、その場に立ち尽くしていた。
(シャーロット)
シャーロット(ええ。アルベールは何かを知っている。でも——話さない理由がある)
(……彼を疑いたくはないけれど)
シャーロット(疑うんじゃない。ただ——見ていて。もう少しだけ)
レギーナ(信じると決めたなら信じろ。ただし、目は開けておけ)
(……分かった)
その夜。
エリザベスは自室の机に向かって、紙の上に紋章を描いていた。
六つの図形。円を描くように並んだ——あの紋様。
ノックの音がした。
「エリザベス様?」
マリアンヌだった。扉の隙間から、心配そうな顔が覗いている。
「……どうぞ」
「夕食を持ってきました。全然食べていないって聞いたので」
マリアンヌが盆を持って入ってきた。机の上の紙に目が留まった。
「……それは?」
エリザベスは少し考えた。それから——紙をマリアンヌの方に向けた。
「見たことある?」
マリアンヌは紋章を覗き込んだ。しばらく考えて——
「……ないです。何ですか、これ」
「分からないの。ただ、気になっていて」
マリアンヌはもう一度じっと紋章を見た。それから、ふと顔を上げた。
「……あの、エリザベス様」
「なに?」
「これって——学院の旧館の地下に、似たような模様があった気がするんですが」
エリザベスの手が、止まった。
シャーロット(旧館の地下——)
ジャスティス(調べに行くべきだ!!)
シャーロット(夜中に一人で動くのは危険。ただし——)
レギーナ(情報は早い方がいい)
「マリアンヌ」
エリザベスは静かに言った。
「その場所、明日案内してもらえる?」
マリアンヌは少し驚いた顔をした。それから——こくりと頷いた。
「……はい。でも」
「でも?」
「……アルベール様にも声をかけた方がいいと思います。何かあった時に」
エリザベスはしばらく沈黙した。
アルベールの、あの一瞬の表情が——脳裏をよぎった。
(……)
「……そうね」
エリザベスは静かに言った。
「声をかけましょう」
信じると決めた。目は、開けたまま。
窓の外、夜の学院が静かに広がっている。
旧館の灯りが——一つだけ、ぼんやりと灯っていた。




