第1章:混沌の幕開け
エリザベス・ヴァンデルビルトは、豪華絢爛たる寝室のベッドに座ったまま、頭を抱えていた。
(落ち着いて…落ち着いて考えるのよ、エリザベス)
だが、その思考さえも誰のものか分からない。記憶を失った「私」なのか、頭の中で囁く別の「私」なのか。
『あら、随分と慌てているわね。これでも貴族のお嬢様なの?』
傲慢な声が頭の中で響く。エリザベスは思わず声に出して反論した。
「うるさいわね!あなた、いったい誰なの?」
『誰って…あなた自身に決まっているでしょう。エリザベス・ヴァンデルビルト、この学院随一の美貌と才知を誇る令嬢…そう、〝悪役令嬢〟よ』
その言葉に、エリザベスは背筋が凍る思いがした。
(私が…悪役令嬢?)
『ふふ、思い出したの?いいえ、まだよね。ならば教えてあげましょう。私たちがどれほど素晴らしい存在か』
突如、鏡の前に立たされたような感覚に襲われる。そこに映るのは紛れもなく自分の姿。しかし、その表情は今の自分のものではなかった。
優雅に微笑む唇、冷徹な眼差し、威圧的な立ち振る舞い。まるで別人のよう。
『さあ、今日も学院の誰かを泣かせてやりましょう。嫉妬に狂う下賎な娘たちを踏みつけ、高貴なる私たちの美しさを際立たせるの』
「や、やめて!そんなの私じゃない!」
エリザベスは必死に抵抗する。しかし、もう一つの声が割って入った。
『落ち着きなさい。感情的になっても何も解決しないわ』
冷静沈着な声。さっきの傲慢な声とは明らかに違う。
『私たちの状況を分析しましょう。記憶喪失、複数の人格、そして〝悪役令嬢〟という立場。これらの要素から導き出せる最適な行動とは…』
「ちょ、ちょっと待って!あなたは一体…」
『私も、あなた。より論理的で冷静な部分ね。さあ、この状況を利用しない手はないわ。記憶がないからこそ、新たな戦略が立てられる』
エリザベスの混乱は頂点に達していた。しかし、新たな声がそっと囁いた。
『こわい…みんな怖いよ…』
か細い、震える声。
『どうして私たちはこうなっちゃったの?誰か、助けて…』
エリザベスは思わずその声を庇うように、自分自身を抱きしめた。
「大丈夫よ、怖がらないで。私たちで何とか…」
その瞬間、ノックの音が鳴り響いた。
「お嬢様、そろそろ御学院へ…」
マリーの声に、エリザベスは現実に引き戻された。
(そうよ、学院…「悪役令嬢」として振る舞わなきゃいけないのね)
しかし、どう振る舞えばいいのか。記憶のない自分に、それが分かるはずもない。
『任せなさい』
傲慢な声が再び頭をもたげる。
『私に従っていれば…』
『いいえ、まずは情報収集よ』
冷静な声が遮る。
『私なら…』
『みんな、落ち着いて!』
新たな声が割って入った。凛とした、正義感に満ちた声。
『自分を見失ってはダメよ。記憶はなくても、私たちの心は健在。本当の自分を取り戻すまで…』
エリザベスは深呼吸をした。
(そうね…一つずつ、やっていくしかないわ)
「マリー、準備を手伝ってちょうだい。今日も、大変な一日になりそうだわ」
鏡に映る自分に、エリザベスは微笑みかけた。不安と期待が入り混じる、複雑な笑顔。
これが、五重人格の「悪役令嬢」の物語の幕開けだった。
カオスな幕開け……っ!!
悪役令嬢モノは初めてになりますが、何卒よろしくお願いします。