第九話 悪魔に会う(2)
ドゴォン、という激しい落下音と、舞う土煙。落下地から衝撃波が吹き荒れ、視界は灰塵で覆われる。
果たして──ソロモンは凌ぎ切った。ソロモンをして並の結界では太刀打ちできないほど巨大な隕石だなんて、規格外が過ぎる。
「おおう、さすがは我らが生みの親!」
ベリアルの喝采を、ふざけんな、と唾とともに吐き捨てた。煙でむせそうになったのを堪えて、未だ燃え盛る戦車の上に佇むベリアルを睨む。
「どこ見てんの?」と。
ベリアルを睨みながら、ソロモンは、背後から声を聞いた。
バッ、と振り向くと、そこには先ほどまでは遥か遠くにいたベリアルがいて、困惑してまた空の上を振り返るけれど、そこにも確かにベリアルはいる。
近くで見ると、遠くからではよく分からなかった、その顔の端正さが明らかになった。この時代は強くあることの条件に見た目の優美さもあるのだろうか、長身で、額の両端からツノを生やし、綺麗な赤髪は根元に行くほど色を濃くしている。今にも喰らい付きそうな野性味溢れるその顔は、笑うとくしゃっとして愛嬌があった。
「はは、挙動不審かよ」
そうやって何度も空と地とに視線を行き来させるソロモンを見て、ベリアルはからからと笑った。落ち着け、とソロモンは自分に言い聞かせる。『自分の姿を空中に投影する魔術』なんて、俺の時代にも存在した、と。
「んー……」
と、そんなソロモンをおいて、ベリアルはソロモンの観察を続ける。ソロモンは、というより今回の体も、『自前の魔力』というものは少ない。魔術師と魔術師が相対して得られる情報というのは良くて魔力量程度のものなので、たいしたそれは得られなかったはずだが、ベリアルは「ふーん……」と何かに納得した様子で、一度ソロモンから距離をとった。
「いや、気分がいいんだ、生みの親に会えるなんて。ここはお前に免じて許してあげちゃってもいいくらい。どうだ、許してほしいか?」
基本的には無視でいこうと思っていたのに、話を振られてしばし悩むソロモン。会話に応じてもいいが、応じるのならば主導権を握りたい。ただ、応じなければどうなるかわからないし、『会話』というものが『圧倒的な力の差』の前には無力であることをソロモンは知っている。
つまり、ソロモンは無策でなりゆきに任せるしかない。と、ソロモンは自分に、注釈を入れるな、難しく考えるな、アストレアに嫌われる、と言い聞かせた。今の思考だって、ただの現実逃避なんだってことくらい、ソロモンにだってわかっている。
「そりゃ、引いてくれるに越したことはない」
ベリアルの真意がわからないから、こんな無難な返答になる。閉じ込めたソロモンを恨んでいるのか、でも友好的だし、ならば感謝しているのか、というと、彼らはソロモンの魔力を浴びて成長した、つまりソロモンが閉じ込めたことは知っているわけで、親しみを覚えているわけは無いと思うし、それに、と。そんな無駄な思考がぐるぐると回り、当然、ベリアルは構わず続ける。
「おっけー。お前に免じて、あくまでお前に免じて、引いてやろうじゃないか。決して人間を許すんじゃないからな」
「あ、ああ。ありがとう?」
「うん、やっぱり、『会話』っていうのはいいもんだよな」
「わかるよ。俺も会話は好きだ」
先ほどの光景。ベリアルの地雷はどこだ。魔獣扱いに怒り、『穏健派』ダンタリオンは、悪魔呼びに固執する。
つまり、認めてもらうことに飢えている。適度に対等に、適度に見下され、適度に見下す。そんな、対等な『知的交友』を欲している。
それはいい。満たされる承認欲求の素晴らしさは知っているつもりだ。ただ、『知的交友が出来ることを誇っている』というのは、解せない。そんなものは『人間にとって当たり前』で、『当たり前を誇られ』ても、なにも響かない。なにも変わらない。
こいつは、話がわかる奴だ。適度に会話を交わした後、ソロモンがそう感じて、ベリアルの望みを人間との対等な関係と断定して、ベリアルに思ったことを提言しようとした、その時。
「あ、お前」と。
嫌な予感がした。笑顔も交わしていた、その赤よりの黄土色の目がすぅっと細められ、まるで虫けらでも見るようなそれに変わって、
「今、俺を推し量ったな」
と、ソロモンは吹き飛ばされた。構えていたのに、反応なんてできなくて、民家を破壊しながら突き進み、ずしゃあ、と瓦礫に埋もれる一歩手前あたりで停止した。そのよく回る頭は、しかし、あまりの衝撃と全身に走る痛みに、思考を進めない。
なぜだなぜだ、なぜだ。会話も、笑顔も、会話は主導権こそ握れてなかったけれど、ベリアルの望みは『対等な関係』で、ならば主導権なんて必要なくて、俺はそつなく世間話を、俺は、自分の意見をきちんと持っているヤツは、面白いヤツだと思って、ベリアルの意見をきちんと尊重したし、自分の意思表示もして、ああもう、なにがいけなかったのだ、と。思考は全く進まない。
そうだ、会話はよかったのだ、とソロモンは気付く。それに、ベリアルの『俺を推し量ったな』という言葉。そうだ、悪魔なんてなんでもあり、読心術を使えてなにを驚く、あの時俺はなにを考えた──と、そこまで思考が行き着いて、
ソロモンは、ベリアルの望みを見誤っていたことに、気付いた。
いや、認識の違いというべきか。
『ベリアルの望みは人間との対等な関係』。
『悪魔の地位の上昇』。
なぜ、俺は、『無意識に既に人間を上に位置付けている』、と。
「俺は嘘はつかない」と、ベリアルが聞かせる気も無さそうに、少し悲しそうに、言った。「だから、この場は引いてやる」
「……」
「……引くのは、この場だけだ。ダンタリオンとの賭けも終わったし、今後も襲わないなんて保証はしない。ただ、俺たちがお前に興味があるのも、事実だ」
「……どうしろ、って……?」
「話しかけてねえよ、喋んな。俺は今から三日間雲上湖にいるが、まあ、それだけだ」
それから「じゃあな」と言って、ベリアルは去っていった。
いや、だから、お前らいちいち強いんだって、と。倒れている間に怪我の隔離に何度も失敗していたソロモンは、そう嘆いた。




