第七十六話 ロココ・アリカは(1)
暗くじめじめした場所に少年がいた。そこは俗に冥界と呼ばれていた。その少年の目の前には、ふわふわと漂う光があった。光はまるで抗議でもするかのように明滅した。
少年──ブラズは難しい顔で首をふった。
「もう一度説明する。冥界に疎い者にとってわかりにくい話であることは承知している」
光は満足げにひとつ輝いた。
「まず、お前の名前はロココ・アリカだ。ピンクの髪の趣味の悪いゴスロリ女。ここまでは覚えているか?」
ぴかぴかと光はうるさくなった。光──ロココ・アリカ、その魂の怒りが目に見えるようだった。
「ああもう鎮まれ。続けるぞ」ブラズは言った。「君の魂は『おれの招待』という特別な加護を受けて冥界に来ていた。来賓客だ。この加護なしに生身で冥界の土を踏めば、肉が腐り朽ちるくらいでは済まない」
ここまでは問題なかったんだ。このまま何事もなく現世に帰っていれば、と。
「でも、お前はサミジーナに殺されてしまった」
ブラズの脳裏によぎるのは苦い記憶。ほんの気まぐれでロココ・アリカを冥界に入れてしまって、その隙をついて、サミジーナにも侵入されてしまった。たちまちにサミジーナの洗脳に囚われてしまった自分と、目の前で首を切断されたロココ・アリカ。
「死者の都たる冥界で二度目の死を迎えることはない。だから、今のお前は死んでいるわけではないが──加護は別だ。その時に『おれの招待』っつー加護は消えて無くなって、お前は生身の身体を維持できずに魂だけの存在になった。ここまではいいか?」
三度説明を繰り返す羽目になってはたまらない。ブラズは確認しながら話を進めた。ロココ・アリカの魂たる光はその度に明滅して意思を示した。
「死んでないならさっさとこんな場所を出て現世に帰りたいだろうが、ここで一つ問題がある。お前の肉体が消えてしまったことだ。冥界で朽ちてしまったわけだし、当然現世にあるわけもなし。魂だけで現世に戻ろうとしたらそれこそ本当に死を迎える」
そして、ブラズは最後にこう締めくくった。
「まあだから、おれたちにはどうしようもない。誰かが肉の器を作ってくれでもすればまた別なんだが」
光は項垂れるように、しゅんと光量を落とした。
○
「ここまでで何か質問のあるやつは?」
ロココ・アリカの現状について説明してから、ソロモンはあたりを見回して尋ねた。そこにはソロモンを除いて三人の手練れが顔を突き合わせていた。
「はーいー」
「はいコーイントススくん」
気だるそうに手を上げた継ぎ接ぎ顔の少女が名指しされた。彼女は簡潔に尋ねる。
「結局、アリカは助けられるのかー?」
「助けられる」
ソロモンは即答した。コーイントススは「じゃあもうおれから言うことはなにもねえや」と言った。
続いて手を挙げたのはバザドゥーズだった。
「それで、俺たちは何をすればいい?」
「うん、それは今から説明するよ」ソロモンは腕を組んで頷いた。「この中に『記憶創造』っていうのに詳しいやつはいるか?」
「詳しいも何も、魔術の根幹だろう」ルーヴァン・ガランドが言った。「想像するためのコツっつーか、見習いの魔術師なんかは入門魔術としてまずそれから学ぶ。記憶の中の何かを魔力を用いて再現するんだ。慣れてきたら見たことないもんも発現できるようになるが」
「ああ。それでまず『肉の器』を作る」
ソロモンが言った直後だった。周囲に沈黙が満ちた。コーイントススが能天気に「ふんふーん」と鼻歌を歌っているだけだった。
訝しんで残る二人の方を見るが、バザドゥーズとルーヴァン・ガランドは今しばらく固まっていた。
「……は?」
「……なんだと?」
ようやく絞り出された言葉は、困惑だった。
「え?」
「記憶創造で、肉の器を造るだと? そんなことが本当に可能なのか?」
「え、うん、まあ」
至極当然だという風に宣うソロモンは彼らの困惑をさておいた。彼にとっては別に誇るべきことでもなかった。
テキパキと指示を出してからソロモンは作業に取り掛かる。
「まあ、分かるんならいいや。一回戦っただけの俺の記憶だけじゃ曖昧だから君らの協力がいるんだ。塗装──魔力制御の方は俺に任せてくれ。君たちはロココ・アリカの姿を思い浮かべながら、魔力を放出してくれるだけでいい」
少しだけ表情に影を落としながら、ソロモンは彼らを脅した。
「再現が甘くなったら困るのはロココ・アリカだぜ。死ぬ気で思い出してくれよ」
○
果たして『記憶創造』は成功した。いつのまにか目の前に横たわっていたロココ・アリカの裸体にルーヴァンらは驚きを隠せなかった。裸では忍びないと、バザドゥーズは優しく自分の上着をかけてやっていた。
「……まさか、本当にこんなことが可能なのか? 流石は伝説のソロモン・ディビルズと言うべきか……」
「あんたに褒められるのはなんか照れるな、猛禽部隊の隊長さん」
ルーヴァン・ガランドはしきりに感心したのち、いくつか確認を取った。
「細部にいくらかの差異が見られるが、これは大丈夫なのか?」
「ああ。肉体は魂に引っ張られるから、最初の『適合』をクリアしちまえば大丈夫なんだ。これだけ再現できてればロココ・アリカの魂も気に入ってくれるだろ」
「そうか。じゃ、これが最後の確認だ」ルーヴァンは真剣な目つきになって言った。「ロココの生得魔術はどうなっている? あいつの魔術は秘匿魔術だった。ここにいる誰もその詳細については知らなかったから、再現できていないのは当然なんだが……それによって副作用なんかがあるのなら、先に聞いておきたい」
「……それは俺にもわからん」
ソロモンは正直に答えた。ルーヴァンは「そうか」と言った。
「ロココ・アリカの契約内容によるんだ。肉体に刻まれていた術式なら消えている。悪魔やら天使やらと魂で契約を交わしていたんなら残ってる。一番最悪なのは──いや、まあとにかく、何が起こるかは俺にもわからん」
そう言ってソロモンは『死神の衣』を被り冥界の扉を潜っていった。ロココ・アリカの肉体は持っていかなかった。冥界について詳しくないルーヴァンらには、それで構わないのか否かもわからない。信じて待つことしかできなかった。
ソロモンが冥界に潜ってより十分かそこら。ようやく異変が起きた。
まず、ロココ・アリカが上体を起こした。裸体にかけられていたバザドゥーズの上着がはらりと溢れ、その幼く眩い肢体があらわになった。
「ロココ・アリカ!」
次に、それを見てバザドゥーズが駆け寄った。溢れた上着を拾ってもう一度羽織らせてやる。彼の表情は安堵一色に彩られていた。
「……ここは」
ロココ・アリカは呆然として言った。あたりを静かに見回した。コーイントススの表情が険しくなった。ルーヴァン・ガランドも異変に気付いた。
そして最後に、鈴の音のように澄んだ声音で、ロココ・アリカの唇から、あってはならない笑い声が溢れる。
「ひょっ、ひょほっ、ひょっ」
ぐるりと首が回った。梟のように関節を無視して周囲を確認する。目の焦点は合っておらず、呆然としているのに、声色だけは狂笑している。
「ひょっ、ひょっ、ひょほほほほほほ!!!」
「ルーヴァンー!」
「バザドゥーズ!」
コーイントススがルーヴァンに呼びかけて、ルーヴァンは未だ状況を飲み込めていないバザドゥーズに警告した。
間一髪、だった。
ルーヴァンが押しのけなければ、ロココ・アリカの指先から放たれた弾丸はバザドゥーズの額を射抜いていた。
「ぼうっとするな、バザドゥーズ! 今はまだ、救えてないんだよ! コーイントススもわかってんだろうな!? 殺すなよ、戦闘は拘束を目標に許可する!」
「あ、ああ……」
「おう! まーかーせろー!」
未だ上体を起こしただけのロココ・アリカを、三人で三角形を作るように包囲する。それでもロココ・アリカは焦点合わず、ぐるりぐるりと首を回していた。
あの、変な哄笑をあげながら。
「ひょっ、ひょっ、ひょっ!」
ソロモンは実際凄くないことはないんだよって回。いえ、結局ヘマこいてはいるんですがね。




