第七十五話 幸運が降って湧く
カツン、カツン、カツンと。大きな家の一室で規則的な音が響く。
コーイントススにはソロモンが何をしているのかわからなかった。戦いに準備がいるってのもおかしな話だ。自分の持っているものを全力でぶつけるのが、コーイントススにとっての戦いだった。
「なー、そろもんー。さっさとやろうぜー?」
ベッドの上で足をパタパタさせながらコーイントススは言った。ソロモンは額の汗を手で拭った。
「いやー、だってさ? 『契約』かわしちゃったし」
三日後に決闘を行うという『契約』。結んでしまったからには、繰り上げることも延期することも許されない。
それが覆せないことはコーイントススも知っているのだろう。手持ち無沙汰に文句を言うだけで、決して手を出そうとはしなかった。
「だいたいおまえ、三日もいらないだろー! そこそこ強──弱くはないしさー」
「この時代でも後衛としてならな。お前が前線を張ってくれたから俺は今生きてる。 ……それが、お前らの御所望は一対一だろ? 無理だって無理。普通に死ぬ」
「おう、死ね死ね。それがおれのためになるからさー」
「おい、教育がなってないぞ!」
ソロモンは扉の側に背中を預けるルーヴァンに怒鳴った。髭を生やしたイカす親父はニヒルに笑った。
「全面的にお前が悪い。反省しろ」
「どうしてだよ! ……あっ」
「『ソロモンの悪魔』」
「自分で気付いたんだから言わなくていいって!」
コーイントススは『呪い』である。
『呪い』とは人々の恐怖が命を得たモノである。
人々の共通認識としての恐怖が強ければ強いほどその『呪い』も強力になり、
コーイントススは『ソロモンの悪魔』に対する恐怖から生まれた呪いである。
ルーヴァンは言った。
「そいつの頭の中にはな、今も声が、悲鳴が響いてるんだ。『助けて、嫌だ、許してください』。『怖い、逃げろ! 家族は見逃してくれ!』」
ソロモンはコーイントススを見た。能天気そうな継ぎ接ぎ顔の奥に、そんな苦悩は全く見えないが、しかし。
「今の時代、『ソロモンの悪魔』に恨みがない人間なんていないんだ。かくいう俺もその一人だからお前に決闘を申し込むんだが──ああ、トップバッターはコーイントススに譲ってやるから安心しろ」
じろりと睨むコーイントススにルーヴァンは両手を振って応対した。
ソロモンはそれからもしばらく作業を続けた。コーイントススは文句を言いながらそれを眺め、ルーヴァンはコーイントススのお目付役だろう、やはり黙って扉の側に背中を預けていた。
そして作業がひと段落ついた。ソロモンは「よし」と満足げに頷いた。
「……聞いてもいいか?」質問するはルーヴァンだった。「それはなんだ。見たところ見窄らしいローブのようだが」
ソロモンはその『ローブ』を掲げた。天井に翳し、透かしてみても光を通さない真っ黒なローブ。
「色々あって前に貰ったのを無くしちゃったからさ、シストに新しいのを見繕ってもらったんだ」
「……?」
ソロモンは目をすがめた。口角が自然に上がる。言っていいものか、隠し通すか。いやでも、これは良趣味な悪戯だしなあ。
果たしてソロモンは言った。
「『死神の衣』。せっかくだしロココ・アリカを助けようと思ってさ」
○
そんな様子に嫉妬したわけではないが。
やあやあ、なんとかなったじゃないの、と。
「いや、あの、あんたの制約が不便なのは知ってるけどさ」
呆れたような声を出すのはソロモン・ディビルズだった。手には『死者の衣』を握っている。今まさにもう一度冥界に赴こうというところだろうか。
だからこそ、最後の機会にとこのタイミングで呼んだのだが。
「いきなりこの世界に引き込むのは失礼……いや、ちょっと配慮が足りないというか。びっくりするからさ、カタストロフィ」
「簡単に引き込まれる方もどうかと思うわぁ」とカタストロフィは言った。「抵抗しようと思えばできないこともないはずだけど」
「費用対効果が悪すぎる! あんたはここにいれば無限の魔力を持ってるけどさ、俺は抵抗するたびに力を削がれてくわけだろ? そんなのいつかは負けるし、俺が疲れるだけじゃん」
「あら、意外と考えているのねぇ」
ここはいわば『夢の世界』。常世ではないが、ちょうど現世と常世の狭間くらいの、曖昧な空間。
ちょっと穴を開けられた夢。次元を狂わされた現実。つまり、カタストロフィの領域であった。
「それで、何の用だよ」とソロモンは言った。「当ててやる。また謎かけだろ。今回は俺の何が不満だったんだ?」
いっつもあんたはダメ出しするんだ、と。
カタストロフィは少しだけ嬉しくなった。笑みが溢れそうになるのを我慢して、少しだけ素直になろうと思った。
「いえ、いえ。今回は何もないわ。素晴らしかった。大満足」
ソロモンはきょとんとした。おっかしい。私が褒めるのはそんなに珍しいことかしらぁ。
「でも」逆接の接頭詞にソロモンの表情が歪んだ。「結局、サミジーナは何がしたかったのかしら」
「世界征服だろ」
「だから、その動機よ。どうして世界征服をしたかったのかしら」
ソロモンは言い淀んだ。そんなところも愛おしく感じてしまうのは親バカだろうか。しかしカタストロフィは決して笑顔は見せなかった。
代わりに深いため息をついた。
「あなたって本当に。降りかかる火の粉を払い除けるのは得意だけれど、能動的に物事を解決するとなるとてんでだめね」
「……そ、そんなことないし。帝国とか、ま、魔界でのときとか……」
「あら。それらはぜーんぶ、他の人が頑張ってくれたのよぅ。帝国ではアモン・ヒープが、魔界ではダンタリオンがそれぞれね。あなたは戦ってただけでいつのまにか解決していたでしょう」
「ぐっ……」
すると、ソロモンの身体が発光を始めた。白い粒子になって溶け始める。現実に帰ろうとしているのだ。
「ソロモン。ロココ・アリカはまだ助かるから」
それだけ伝えると、ついにソロモンの身体は消えてなくなった。後には静寂と、カタストロフィだけが残された。
○
現実に戻されたソロモンは荒野に投げ出された。冥界への入り口のすぐ近く。
「え、結局何がしたかったんだ、あいつ?」
○
ところ変わって寂れた街道。
さてどうしようか、とサミジーナは思った。思わぬ乱入者によって運良く逃げ延びることができたのだが、しかし。
「君はどうしたらいいと思う?」
話しかけるは先代勇者。先ほどの少女──アストレア・ヴィ・レイヴの父親である。便宜上、第六代勇者と呼ばせてもらおう。六代だったか? いや、そんなことはどうでもいいか。
「私は」第六代勇者は言った。「どうでもいいよ。これが罰なのだというのならば甘んじて受け入れる。お前の力には敬服もしている」
「だからこれからどうするかって。んなこと聞いてないんだよ」
「私の希望を述べろと言うのであれば、私はもっと娘と戦いたいよ」
「んー、ありっちゃありだけど却下かなあ」
サミジーナは顎に手を当てて考える。考えながらも足は破壊された城とは反対方向に進んでいた。第六代勇者も黙ってついてくる。
そこは長閑な街道だった。サミジーナの居城はもとよりノーセストを真っ直ぐ南へ進んだあたり、帝国沿いの王国領大森林『高貴の森』に隠されていたのだが、もう見つかってしまった隠れ家に意味はない。
ちなみにこの街道は港町イーセストに繋がっている。
「今やつらと戦ったところで、って感じなんだよね。アンドラスをマスターハデスに奪われちゃったし、世界征服はしばらくお預けだ。このまま陰に潜んで魂の『回収』と『洗練』に注力するのがベターかなあ」
「失礼ながら申し上げる」
サミジーナの懊悩の時間は、唐突に第六代勇者に遮られた。
「敵襲だ」
「!?」
サミジーナは第六代勇者の背後に守られた。そこで、密かにプライドが傷つけられたことを自覚する。
魂を操るサミジーナは人一倍気配に敏感だ。魂とはいわば剥き出しのエネルギーで、あらゆるモノが持つそれは多かれ少なかれ、独特の空気を纏っているから。サミジーナはそれを感知し弄り嘲笑うことを生業としているから。
そんなサミジーナが接近に気がつかなかった。
「……やあ」動揺を隠すように、サミジーナは陽気に話しかけた。「今しがた会ったばかりだよね。何をしにきたの?」
それは女だった。
彼女はさらさらの金髪を手で梳いていた。彼女は真っ白なワンピースに漆黒のパンツを履いていた。黒と白の、アンバランスなほど対照的な出立ちは本人の神秘性も相まってか、中々に妖艶だった。
彼女は街道にて、サミジーナらの行く手を阻むように立っていた。
「端的に、要件だけを言おうと思うのだけれど」、と。
彼女は口元を歪めた。それはサミジーナの嫌いな類の笑みだった。きっとこんな笑顔を浮かべられるのは彼女と自分くらいだろうと思った。
邪悪の顕現。未知の戦力。わからない行動方針に、気まぐれな精神。
彼女は名をカタストロフィと言った。『次元魔術師』カタストロフィ。崩壊と再生、期待と失望。あらゆる次元を操る規格外。
「私は貴方の望みを叶えに来たの」
果たして、警戒しながらサミジーナは応じた。臆病だろうか? 一世一代──というわけではないけれど、壮大な計画の出鼻を挫かれてナイーブになっているのだろうか。
それにしても、カタストロフィが放つ香りは危険すぎた。
「僕の望み?」しかし、表面上は鼻で笑った。「アンドラスを返してくれさえすればそれで十分なんだけど」
「違うわ。世界征服の方じゃない。もっと根源的な、貴方の恋焦がれる欲望の方」
「……?」
どうしてだろう。これ以上を聞いてはいけない気がする。カタストロフィの言葉には、甘美でありながらも毒を孕む妖華のような響きが香る。
悪魔よりもよっぽど悪魔的に、金髪の妖魔はサミジーナを誘惑する。
「つまり、貴方、アガレスに認められたがってるでしょう」
それは。
それはそれはそれは。
サミジーナは知らず、第六代勇者の背後から姿を表していた。カタストロフィと真正面から対峙していた。
「君、結界の中にいたの?」
「いいえ」
「そう。じゃ、相当性格が悪いんだ」サミジーナはつまらなさそうに言った。「話半分に聞いてやる。言え」
妖魔は笑った。両手を広げて、まるで舞台役者のように大仰な仕草で。長い長い金色の髪がブワッと広がった。
簡単なことよぅ、と。
それは宣誓だった。誓いの言葉。決して強制力があるわけでもない。ただの意思表明だった。長々とした演説ではない、簡潔な声明だった。
そして、誰に対しての宣誓かと言うと──
「──アガレス! 聞いているかしらぁ。私はサミジーナに味方するわ!」
たったそれだけで、だ。
「『世界平和』を掲げるご老体にして、『ソロモンの悪魔』の実質的な統治者。最強の悪魔。その名も──ヴァサゴ・アガレス」
カタストロフィは嘲笑するように言った。
ひゅるり、と街道を風が凪いだ。サミジーナは背筋に悪寒を感じて思わず振り帰った。第六代勇者がサミジーナを守るように背後に庇った。
そこにいるのはご老体だった。色白だが、爬虫類のような緑色をした体毛が特徴的な老人。側には不死鳥の少年フェネクス・ポイニクスを携えて、老人は杖をついて立っていた。
彼は目をすがめて右手を天に掲げた。雄々しい鳴き声が聞こえたかと思うと、どこからか大きな鷹が飛んできて、彼の腕に止まった。
「世界を死者に席捲されても姿を現さなかったのに、私が世界に敵対した途端、これだものねぇ」
サミジーナには、目の前に映る光景が信じられなかった。
アガレスがため息をついて隣を見やる。フェネクス・ポイニクス。不死鳥の少年は呆然とした様子でカタストロフィから目を離せない。
アガレスが静かで、それでいて厳かな声音で言う。
「私にも事情があるのだよ。それで、わかるだろうフェネクス。そして君の先程までの行いがどれだけ愚かなものであったのかも。彼女は私よりも強いよ」
彼が何を言っているのかはわからない。脳が正常に働かない。興奮だろうか、動揺だろうか。
気付けば、サミジーナは口に出していた。
「……アガ、レス……?」
今のいままで、決して姿を見せなかったのに。
彼を見つけるために何でもやった。アガレスが結界を破ろうとすればサミジーナはそれを止めようとした。アガレスが『世界平和』を目指すならば『世界征服』を目指した。
世界を侵略しようとすればきっと、彼はそれを止めに来てくれるだろうから。
いや実際は来てくれなかったわけなんだけれど。サミジーナはアガレスに『脅威』と思われなかったわけなんだけれど。そして事実、アガレスが手を下すまでもなくサミジーナは失敗したのだけれど。
それが、そんな彼が、あっさりとサミジーナの目前に姿を現している。
「おお、サミジーナかや」とアガレスは、まるで今初めて気がついたかのように言った。「大きくなったのう」
それは。
それはそれはそれは。
きっとこればかりはカタストロフィにもわからなかったろう。当事者同士にしかわからない確執の、傷口に塩を塗りたくるような。
つまり、絶対にアガレスが言ってはならないことだった。
サミジーナが一番聞きたくない言葉だった。
だから、考えるより先に身体は動いていた。
「──殺すッ!!!」
手をオーケストラの指揮者のように振り回して。
第六代勇者だけではない。いつのまにか周囲には大勢の英霊たちが集っていた。事前に調教済みの魂は無詠唱での召喚が可能である。
果たして、アガレスはため息を吐くのみであった。
「……!?」
その瞬間だった。数多溢れていた英霊たちが一瞬にして吹き飛ばされた。中には粉々になった者もいる。アガレスを中心に放射線状に、破壊の嵐が吹き荒んでいた。
「……そんな」
詠唱すらも、なかった。アガレスの概創霊装の性質上、彼はサミジーナのように無詠唱で概創霊装を展開することはできないのに。
つまりは、普通の魔術で蹴散らされた。何の変哲もない普通の魔術で、サミジーナ自慢の英霊が。
この状況を作り出した当人であるカタストロフィはいつのまにか消えていた。フェネクス・ポイニクスも同様に。まるで『望みは叶えてやったんだからあとはお前がどうにかしろ』とでもいうように。
ちぃっ、とサミジーナは舌打ちをした。
宝くじよりも唐突に目の前に降って沸いた幸運に、舌打ち以上に感情を表せる行為などなかった。
そうでもしなければ、上がり続ける口角を抑制することができなかったから。獰猛に歪もうとする唇を。




