第七十話 指輪は光る
彼女については知っていた。冥界について調べたときに、自然と情報が巡ってきた。
『災厄』カタストロフィ。実力は未知数。ただし折り紙がついている。ならば、僕が今とるべき行動は──
「──こうかな」
サミジーナは青年アストレアを操って、コーイントススを攻撃させた。神剣がコーイントススの首筋を狙う。
「君も未知と言えば未知だが、これまでの戦闘で底は見えた」
各個撃破。まずはコーイントススから始末する。サミジーナには正面から戦えば誰にも負けない自信があった。今想定しうる最悪はコーイントススとカタストロフィに協力されることで、それさえ凌げばどうということはない。
そして幸か不幸か、カタストロフィはコーイントススに敵意を向けていた。
『私のソロモンを傷つけるのはどこのだれ?』
コーイントススは舌打ちをしてソロモンを放り投げた。ボロ雑巾のように受け身も取れずに荒野に投げ出されるソロモン。
それからコーイントススはナイフを構えた。青年アストレアに対応するためだ。神の剣技を操る青年アストレアを相手にコーイントススはよくやっていた。それこそ、どうして対応できているのかわからないほど。
しかし、問題点が二つほどあった。一つはカタストロフィの存在。現在コーイントススは戦闘中にも関わらず、常にカタストロフィも警戒しなければならなかった。目の前の相手に割ける集中力はその分減少する。
もう一つは疲労の問題。死霊、英霊である青年アストレアは疲労で動きが鈍るようなことはない。一方、コーイントススは生身だった。受肉した呪いなのだ。基盤は人間の身体である。コーイントススの動きは、戦闘開始時と比べれば、遥かに精彩を欠いていた。
そして、苦戦するコーイントススにサミジーナはさらに追撃を加える。サミジーナが両の手をそれらしく振るうと、ブラズや、他の死霊たちもコーイントススに襲いかかった。
その時だった。
「……うご、くな……!!」
結界が発生した。魔力を封じる結界が、カタストロフィを覆った。
「……へぇ?」
カタストロフィの動きが止まった。ソロモンには分かる。カタストロフィは今にもコーイントススを殺してしまうつもりだった。それが、ソロモンの警告で、寸前で彼女は考え直したのだ。
「説明がいるわぁ、ソロモン?」
「説明、も、なにも!」ソロモンは起き上がり、傷む身体を抑えながら言った。「……あんたの魔術はこの次元で使っていい代物じゃあないだろう……!」
カタストロフィはむくれた。
「別に構わないわよぅ。反呪こそされるけれど、それだけだわ」
「ダメだ! あんたの最強は夢の世界でだけの特権であるべきだ!」
「あら、嫉妬?」
「とにかく!」ソロモンは必死の形相で訴える。「ここは俺たちに任せろ! そして俺だけではサミジーナに勝てないから、そこの呪いは絶対殺すな!」
「あらあら、まあまあ!」カタストロフィは口元を手でおさえて笑顔を浮かべた。「……ふふ。そういうことね。灰色でなくなったのかしらぁ?」
カタストロフィはソロモンをじっくりと見た。目と目を合わせて、その奥に光り輝くものを見た。熱意だ。それは紛れもなく、ソロモンが転生してからしばらく失っていた、野望の輝きだった。
「うるさい!」ソロモンは頬を赤らめ、視線を逸らして叫んだ。「それから、そこの呪い!」
「……ちぃっ!」
コーイントススは渾身を振り絞って青年アストレアを退けた。そして──心の奥底から不本意を抽出したような苦渋の表情で──ソロモンの傍に寄った。
ソロモンはコーイントススと背中合わせになった。周りには数多の死霊がいる。にじりにじりとそれらは近寄ってくるが、襲いかかる気配はなくて、ソロモンは小声で言った。
「俺に協力しろ。俺だけでもお前だけでも、サミジーナには勝てないだろう。俺を殺すのは、サミジーナを殺してからでも遅くない」
「……くそっ! んなことはわかってんだよ……!」コーイントススは心底忌々しそうに言った。「……ちぃっ。くそ、よりにもよっててめえと協力だと……?」
ソロモンは黙ってコーイントススを振り返った。それから言った。
「ダメならダメで三つ巴だ。きっとサミジーナの一人勝ちになるだろうけどな、怨嗟呪物?」
コーイントススは地団駄を踏んで悔しがった。血が出るほど口内で歯を噛み締めて、それから言った。
「……く、そ……! おれの名前は呪いでも怨嗟呪霊でもねえ……」本当に苦虫を噛み潰しているように彼女は名乗る。「……コーイントススってんだ……」
「そうか」ソロモンはあっけらかんに言った。「コーイントスス。わかったか?」
「あの女はどうした。そこそこやるだろ」
コーイントススはカタストロフィを指で示して言った。
「あいつは──まあ、最強だ。夢の中では。ここは現世だから力を使えない」
「はあ? なんだぁそれ」
遠くでカタストロフィが抗議した。「使えないことはないわよぅ」
ソロモンが言った。
「気にするな。いないものとして扱え。それで、怨嗟じゅ──コーイントスス、早速で悪いがしばらく俺を守ってくれるか」
しばらく沈黙があった。静寂。サミジーナが笑顔で寄ってくる。ソロモンは根気強く、何も言わずに返答を待った。
ざっ、と足音と共にサミジーナは歩みを止めた。そして言った。
「……話し合いは終わったかな?」
コーイントススは複雑な表情をしていた。ソロモンの理論は分かるが、心が、身体が、呪いとしての在り方が、生理的にソロモンを受け付けない。ソロモンに協力するくらいなら死んだ方がマシだとさえ思う。
だが、彼女は遂に答えた。
「………………分かった」
「よし!」
不適に笑うソロモン。苦虫を噛み潰したような表情でナイフを構えるコーイントスス。彼らに、青年アストレアやブラズ、その他死霊たちが襲い掛かった。
○
さてさて、どうなったのだろう、とサミジーナは考える。
最悪の事態は回避なされた。しかし代わりにソロモンが敵に回り、カタストロフィは静観している。この状況で一番警戒しなければならないのは間違いなく──
「──『災厄』カタストロフィは本当に静観しているのだろうか、ということだろうね」
負け筋を考えなければならない。最速の手がそのまま最善手とは限らない。場合によっては時間をかけて、慎重にコトを進めなければならない。
「アストレア、戻れ」
サミジーナは青年アストレアを手元に置いた。手駒はまだまだそこらに散らばっている。ソロモン・ディビルズとコーイントススの二人程度なら、適当な死霊でも十分だろう。適当な死霊とは言うが、それらは並の英雄は軽く凌駕する英霊達なのだから。
「ちぃっ!」
ソロモンとコーイントススは十数人の死霊に襲われる。集団リンチのようにも見えた。コーイントススの潜在能力でなんとか保っている様子だった。もともと彼女は死霊を一人で捌いていたし、たまに疲労により彼女が見せる隙をソロモンが埋めることで、なんとか戦いになっていた。
そして、『戦いになっている』というのはサミジーナの勝利を意味していた。戦闘が進めば進むほどコーイントススらの動きは疲労で鈍り、いずれ魔力は尽きる。死霊である英霊たちは疲れを感じず、『ソロモンの悪魔』に魔力切れはない。
「ちぃっ!」
コーイントススが何度目かの舌打ちを吐いた。八度目か、九度目。それが何を意味するのかサミジーナにはわからなかった。
だけれどコーイントススは呟いた。呪いの王の本領発揮とでも言わんばかりに。
「八九の藁火、いたいけな鉄」
彼女は唄う。流れるように。藁人形を取り出しながら。
「されど藁人は釘を呑み」続いて彼女は釘を出し、「当たり給うは死霊の王」墓地を踏み荒らす悪を討つ。
「はやくそいつを止めろ!!」
サミジーナは叫んだ。何をしているのかはわからない。ただ、それの危険度だけはわかった。ぴりぴりと肌が焦げ付くような脅威を、サミジーナはコーイントススから感じた。
ただ、青年アストレアだけは側に置いておいた。
「丑の刻には子供が泣いて」コーイントススはべろぉ、と舌を出して笑った。「舌先三寸口八丁」
「真っ赤な嘘だよざまあみろ!」
「!?」
コーイントススは死霊達に押しつぶされた。彼女が作っていた(詠唱していた?)何かはついに発動することはなかった。何も起きなかった。コーイントススの発動が間に合わなかったか、妨害されたか、とにかく彼女は失敗したのだ──
そうしてサミジーナが「はったりか……」と胸を撫で下ろした時だった。
「──いい陽動だ、コーイントスス」静寂を打つはソロモン・ディビルズ。「目覚めろ、『万物の主』」
そして、ブラズが結界に包まれた。
○
「全方位無差別攻撃ってのが、『万物の主』の長所でもあり、弱点でもあった」ソロモンは言った。「仲間も巻き込んじまうってのもあるが、それだと支配が弱くなるんだ。広範囲攻撃よりもさ、一点集中させた方が威力がでるのは当たり前だろ?」
そこは精神世界だった。ソロモンとサミジーナの概創霊装が拮抗し、彼らの魔術は遂に、一つの世界を創り上げた。
概念を創造する霊装。それ一つ一つが独自の世界を持っているのだ。そして今、彼らは互いに互いを侵食し合っている。目の前の敵を食い潰し、隷属させるために。
「で、そこで思い出したんだ。『何のために結界魔術があるんだ?』って。どんな術式も込められるのが、結界魔術の長所だったはずなのに」
属性が『無い』から、どんな属性にでも変えることができる魔術。
「俺は『万物の主』の力を込めた結界でブラズを取り囲んだんだ。すると──」
「なるほどね」サミジーナは納得した。「すると僕の力と綱引きになったわけだ。冥界の主の支配権を賭けて」
「勝手に賭けの商品にされるあいつには同情するが」
ぶん、と背景が変わった。それは現世だった。死霊達は動きを止め、ソロモンもサミジーナも力なく荒野に横たわっている。コーイントススも肩で息をしてぶっ倒れており、青年アストレアだけがサミジーナの側に侍っていた。カタストロフィはにやにや笑っている。
そして、ブラズがソロモンの結界に囚われている。目は優しく閉じられ、手足はだらりと垂れていた。
「ところで、質問なんだけどさ」ふわふわした曖昧な世界でサミジーナは言った。「本当に僕に勝てるつもりでいるの?」
ぞわぞわぞわぞわり、と。鳥肌がソロモンの全身を駆け抜けた。ピリピリとした空気に知らず獰猛な笑みが漏れる。
「一点集中の結界魔術。君の拙い概創霊装を練り上げて濃縮して、改良して研鑽してコーイントススにも下手な芝居を頼んで、だいぶ工夫はしてきたみたいだけど──」
サミジーナは歩く。ゆっくりと、王者のようにソロモンに近付く。彼は子供の姿だ。見かけの背丈はソロモンの腰あたり。にも関わらず、ソロモンにはサミジーナが自分の何倍もある巨漢に見えた。ガクガクと膝は笑い、脳髄が震える。
「は、は」
そして、サミジーナはくだらなそうに吐き捨てた。
「──俺は千年研ぎ澄ましてんだぞ、小童が」
血気盛んな戦闘狂にして、数多の人格を統べる超越者。
サミジーナの野望は止まらない。その程度では止められない。呑まれる。このままでは、サミジーナの世界に取り込まれてしまう。拮抗していた天秤が、傾き始める音がする。
「は、は……は──」
だが、ソロモンは不敵に笑った。目の前に立つ少年にして少女にして老人にして青年な娼婦に、老若男女を統べる悪魔に宣言した。
「──んなことわかってんだよ、この化け物め」
そして、ソロモンはフライングをした。
○
「ブラズ、『死者の衣』を脱ぎ捨てろ!」
いち早く現実に復帰したソロモンが叫ぶ。結界の中のブラズは迅速に命令に従った。主人に仕える従順な兵士の如く、命令に過不足なく応えた。
一拍遅れて目を覚ましたサミジーナが舌打ちをして叫ぶ。
「どうして、どんなからくりを使った!?」
確かに概創霊装は拮抗していた。いや、むしろサミジーナ優位だった。なのに気付けばソロモンは世界をぶっ壊していて、気付いた時にはもう遅かった。たった一瞬だけ、ブラズの主導権を奪われていた。
そして、その一瞬でブラズは死者の衣を脱ぎ捨てた。
「……ああ」
日の光が眩しい。久しぶりに天を拝んだ気がする。明るい日差しに手で陰を作り、渇いた唇で呟くは、ブラズ。
「お前に礼を言うのは癪だが……ありがとう、ソロモン」
死者の衣を脱ぎ捨てた瞬間、ブラズは死者でなくなった。
「『死者の衣』は冥界に入るために生者を死者と見做す──世界を騙す霊装だ」ソロモンは言った。「脱いだ瞬間にブラズは生者と見做される。そしてお前の概創霊装は死者を操るものだ。もうブラズは操れない」
サミジーナは放心していた。万全を期すのならブラズは殺しておくべきだった。ならばこんな方法でブラズを奪られたりしなかった。
「……でも、どうして君の命令を……?」
「それこそ簡単だ」ソロモンは言った。「一点集中の魔術は威力があがる。俺がさっき結界に込めた『万物の主』はたった三秒をお前から取り戻すための魔術だったのさ、最初から」
制約と、誓約。縛りによる能力強化。
それでも服を一枚脱がすには事足りるんだからな、と。
は、はと。今度崩れ落ちるのはサミジーナだった。そしてそれに追従するように死霊が、亡者が、そして青年アストレアが崩れ落ちた。
「誰の許可を得て現世を彷徨う、死者共が」ブラズが言った。「今すぐ冥界にお帰りだ」
放心。ブラズを取り返された以上、サミジーナはもう冥界の魂を自由に操ることはできない。『冥界の主』とサミジーナでは世界に認められた権限が違う。ブラズの方が上位の支配力を持っている。
同時に世界各地の死霊たちも、サミジーナの支配を逃れて冥界に舞い戻る。終わったのだ、と誰もが思った。あのカタストロフィでさえも。
その時だった。倒れる女傑の指に、紫色に光る指輪があった。




