第六十九話 敵味方入り乱れる
そこは灰色の世界だった。
俺は、何をやっている?
死にたくはない。でも、特に目的だとか、目標だとかがあるわけではない。ただ生きたい。
そうして怠惰に、ただし一生懸命に過ごしてきた結果がこれか。
なあ、ソロモン・ディビルズ?
「……ぷくく。どうなると思う、アンドラス?」
サミジーナが言った。彼は子供だ。凶悪な力こそ持っているが、無邪気に瞳を輝かせ、蹂躙を楽しむ幼子。
最強に憧れている子供だ。見ていたらわかる。それは、かつての自分の姿と重なるから。
最強を目指していた頃の俺と。
「……は。主の御心のままに事は進むかと」
アンドラスの忠臣ぶりも板についていた。彼女はメイド服でサミジーナの背後に侍っている。目を閉じて両手をヘソの前に重ねて、サミジーナの欲しい言葉を投げかける。
彼女に操られているのだ。概創霊装『喚起の指輪』。あれが紫色に光るたびにソロモンは身体の自由を奪われる。洗脳ではない。意識はある。けれど、彼女に逆らうことだけはできない。
「それはそれで、面白くないんだけどねー」
サミジーナが言った。ソロモンは思う。彼は心底、最強に焦がれているのだろう、と。魔力を封印して、逃げ続ければいつかは青年アストレアとバアルを相手に勝利できただろうに、真正面から彼らとぶつかって敗北したソロモンと同じだ。
簡単な勝利に価値はない。
万全を完膚なきまでに叩き潰してこその、最強。
「はやく世界の異変に気が付けよ、アガレス」
サミジーナが言ったときだった。遠くに人影が見えた。少女だ。もう住人はみんな避難して、どこかに消えてしまっていた。
闖入者にサミジーナは笑顔になった。この場所にこのタイミングで現れて、そして逃げる気配もない。間違いなく挑戦者だ。
「あは」
ソロモンはサミジーナが好きだ。アンドラスに操られていることによる、洗脳的な意味で好きなのではない。嫌いになれない純粋な動機をサミジーナは持っている。
そんな彼は全力を尽くして少女と相対した。最強を証明するために、サミジーナが戦闘で手を抜くことなどありえない。
楽しそうにサミジーナは腕を振るう。羨ましいと、思わないでもない。
「ははは!」
数万の死者が雪崩のように少女に襲いかかった。それは遠い世界の出来事だった。灰色に染まった視界に映る、どこか非現実的なもの。ソロモンは早く逃げろとは思わなかった。かわいそうだ、とも思わなかった。
そこは灰色の世界だった。いつの間にか。
「……え?」
いつから俺の視界はこんなに灰色になったのだろう?
気が付けば、灰色でないものはもうほとんど存在していなかった。両の手も色を持たず、死者も、地面も空気も、アンドラスでさえ、ソロモンには灰色に見えた。
サミジーナだけが、灰色の世界で輝いていた。
彼だけが色を持っていた。それは多分、純粋な熱意を持っていたからなのだと思う。
いや、違う。もう一人だけ、色を持った少女がいる。
ソロモンは知らなかったが、少女は名をコーイントススと言った。彼女はどういうカラクリを使ったのか、英霊たちを押し除けて、サミジーナの眼前に立っていた。
「はあっ!」
コーイントススがナイフを振るう。サミジーナは避けた。そして叫んだ。「アンドラス!」アンドラスは即座に応じた。
「『喚起の──……!?」
「感情なんて、捨ててきたんだなー」
アンドラスの指輪が紫に光ったが、コーイントススの腕は止まらなかった。縦横無尽にナイフが振るわれる。だが、その一閃たりともサミジーナには当たらなかった。まるで人体の動かし方を熟知しているかのような、ぬるぬるとした避け方だった。
「ちぃっ!」
「はは」
今度はサミジーナの番だった。彼が腕を振るうと横から剣が割り込んできた。避けるに反応が遅れて、コーイントススはそれをナイフで受けた。
「!?」
ナイフは、まるで豆腐のように簡単に斬られた。ナイフで防げなかったのだからその剣は当然、コーイントススに襲いかかる。だがそこはコーイントスス、驚異の反応速度を見せて、首を引っこ抜いて避け、後退した。
コーイントススは右手に握るナイフを見る。切断面はそれは綺麗なものだった。そして、襲撃者を確認した。
「……誰だぁ、おまえー?」
青年。赤い髪の青年。それが、華美過ぎない装飾の剣を持っていた。サミジーナの死霊だ。英霊だ。その瞳に生気は感じられないが、凄まじい技量の使い手であることは、立ち姿から見て取れる。
「……アストレア、か……?」
呟きは、驚きと共にソロモンの口より紡がれた。
ソロモンは彼を知っていた。彼はアストレア──第三代勇者だ。ソロモンを転生するまで追い詰めた張本人だ。普段は寡黙ではない、どころか饒舌な好青年だ。
そして、青年アストレアは神剣を持っていた。あれはどういうことだろう? 神剣はアストレア・ヴィ・レイヴに継承されているはずなのに。
答え合わせはサミジーナがしてくれた。
「はは、面白いだろう? 冥界様様だよ、こんな拾い物が見つかるなんて」彼は青年アストレアの持つ神剣を舐めるように撫でた。「神剣も魂を持つんだってねぇ。だから僕の力で降霊して──僕の好意でアストレアに使わせてあげてるんだ。シュテルネンハオフェンもそれを望んでいたから」
コーイントススがナイフを見る。驚くほど滑らかに斬られた、残骸と化したナイフを。しばらく眺めていたが、やがてそのナイフは捨てた。そして懐のバッグから新しいナイフを取り出した。
彼女は神剣について知っているのだろうか。知っているのだろう。青年アストレアを見る目が、酷く厳しいものに変わった。
コーイントススは青年アストレアに勝てない。いや、神剣を持ったアストレアに勝てる者など存在しない。アストレアの中でも特に青年アストレアは最も成熟し切った勇者の一人だ。万にひとつも勝ち目はないだろう──
「おれはそんなにやわに見えるかー?」
──きょとん、と。
コーイントススがソロモンを見て言った。
「……!?」
ソロモンは困惑した。どうして彼女は、俺と目と目を合わせて話している? 青年アストレアはどうした?
ぽん、と。
いつの間にかコーイントススの右手には、青年アストレアの首が握られていた。抉り取られた、最強の首が。
ごとり、と。遠くで青年アストレアの胴体が、音を立てて崩れ落ちた。首を失った胴体が。
「別に勇者が弱かったわけじゃない。勇者は確かに最強だけど──」コーイントススは右手に持つ青年アストレアの首を一瞥した。「──知らず知らずのうちに不死に頼った戦い方になってたんだろーな。反応も反射も悪くねぇのにおれの攻撃を避けないでやんの。もう不死蝶はこいつを飛び立ってんのに」
ソロモンは困惑した。コーイントススの強さにもそうだが、なにより、どうして彼女はソロモンに話しかけている?
「実際不死みたいなもんだけどねぇ」
サミジーナが自身の身体を狐と狸と狗、それからテーブルに変えた。概創霊装『狐狸狗の人』発動の証だ。もう一度青年アストレアを降霊するつもりなのだ。
その隙を見逃すコーイントススではなかった。
「発動中は、無防備だろっ!」
ナイフ一閃。驚くべき速度でコーイントススの腕は振り抜かれた。
「はは」狐が、狸が、狗が笑った。狐狸狗には傷一つついていない。「操れるのが一人な訳ないだろう?」
「!?」
妖精族が。人間族が。悪魔族が。吸血鬼が。そして、小人族が。メイドが。
いつの間にか、コーイントススを取り囲んでいた。
コーイントススは彼らを捌く。歴戦の戦士たち六人を相手に、ナイフ一本で生き延びる。それは凄まじいほどの技量が使われた、神業だったのだろう。
だが。
「『狐狸狗の人』」
そうこうしているうちにせっかく討滅した勇者が、再度降霊した。
「無駄なんだよ」サミジーナが子供の姿に戻って言った。「僕を倒さなきゃ彼らは無限に復活するし、彼らがいる限り僕は倒せない」
『ソロモンの悪魔』に魔力切れなんて期待してくれるなよ? と。
まさしく絶望。だけれど、ソロモンは思った。
どうしてコーイントススは色を持っている?
灰色の世界だ。サミジーナが色を持つのはわかる。彼は自身の野望のために、強い意志をもって邁進する信徒だ。その意思の光が、輝かしい。
では、コーイントススはどうか?
彼女はどんな意志をうちに秘めている?
「ソロモン・ディビルズ!」
コーイントススが、ソロモンを呼んだ。
「『おれに従え!』」
ぱたり、と。ソロモンはよろめいた。頭を抑えて俯いてコーイントススを見やる。
言葉を意味を持たせる魔術。
言霊のみで操る神秘。
「呪術師か!」ソロモンの様子を見てサミジーナが叫んだ。「アンドラス、呪言だ、脳を魔力で守れ! それか耳を塞いでこいつの言葉を聞き入れるな! 声を聞くだけで呪われるぞ!」
呪言と呼ぶに相応しい悪魔の言霊が脳を打つ。
「『ソロモン・ディビルズ! たかがメイドに操られて、お前はその程度の男かー!?』」
コーイントススはソロモンに話しかけ続けた。ナイフでサミジーナの死霊を捌き続けながら。
「(どうしてこいつはソロモン・ディビルズにこだわり続ける……?)」
それだけがサミジーナの疑問だった。今さらソロモン・ディビルズ一人が敵に回ったところで大して戦況は変わらない。だというのに、コーイントススは何をしている?
コーイントススが呟いた。
「おれは呪言を使うが、呪術師じゃあ、ないんだぜー」
次の瞬間アンドラスがばたりと倒れた。コーイントススがぎゅるっ、と右手で虚空を握りつぶした直後だった。
「アンドラス!?」
サミジーナが叫ぶ。彼女はサミジーナの重要な手駒だ。サミジーナが死者を、アンドラスが生者を操れることによってサミジーナの世界征服は完成しているから。
しばらく経ってもアンドラスが起き上がる気配は、ない。
どころか、ばたり、ばたりと。人間族や妖精族、勇士たちまでもどんどんと意識を失っていく。サミジーナの支配を逃れていく。アンドラスの呪縛を免れる。
いつの間にか、倒れていないのはサミジーナとコーイントスス、それから頭を押さえて蹲るソロモン・ディビルズだけになっていた。
「おれは呪術師じゃなくて──呪いそのものだ」
静寂を取り戻した空間で、コーイントススがナイフを片手に言った。
情報の開示。『知られる』というデメリットを引き換えに、操る魔術の性能を底上げする高等技能。
そして、呪い。
人の怨念や怨嗟の塊。例えば、トイレの花子さんや九尾の狐などに代表される、人間が共通認識として恐れているものが具象化された姿。
本当に存在するかどうかは重要ではない。それが多くの人間に恐れられているという事実が、呪いを強化する。知らず知らずのうちに人間から漏れ出る恐怖が少しずつ集まり、微々たる魔力が塵も積もって、ついには強力な力の塊として、現界を果たすモノがある。
とはいえ大半の『呪い』は知性をもたない。ただ暴力を振るうだけの力の塊だ。だがコーイントススはどうだ?
彼女の言動は知性を垣間見せてあまりある。それは彼女が並大抵の強さの『呪い』ではないことを証明し、同時に、彼女が数多の人間に恐れられていることを表す。
それほどまでに人間が恐怖するモノとは、なにか。
そして、彼女の行動原理はなんだったか。どうして彼女は『ソロモンの悪魔』を許さないのだろう?
「……まさか……」
サミジーナの疑問に、コーイントススは惜しげもなく『開示』を行った。
「ああ」、と。「おれはソロモンの悪魔に対する恐怖によって生み出された、お前らを誰より憎む呪いだ」
それが、コーイントススの熱意。純粋な動機。
サミジーナはソロモンを見た。ソロモンでなくても、誰でもよかったのだろう。それがアンドラスに操られていれば。
呪いというのは繋がりを大切にする。
「おれはあらゆる呪いを統べ、おまえらゴミどもを討滅する。そこのアンドラスは、ソロモンを操っていた『喚起の指輪』から繋がりを辿って反呪した。しばらく起きねぇよ。起きてもまた昏倒させてやる」
「人々が恐怖しているのは大体好戦派の悪魔だろうけどなあ……」
「知らねえよ。おれからすればてめぇら全員、なんで生きてるのかわかんねぇゴミだからな」
はあ、とサミジーナはため息をついた。
「ところで」とコーイントススは言った。「おまえ、こいつのこと好きかー?」
ゆっくりと、人影が立ち上がる。ゆらゆらと正気なく立ち上がったソレは尚も動き止まらず、遂には空中に浮遊した。まるで誰かに胸ぐらを掴まれているように。そして、コーイントススは虚空──ちょうどソレの胸ぐらくらいの高さ──を掴んでいた。
そして人影、ソレとはすなわち──
「──ソロモン・ディビルズ?」サミジーナは困惑した。「いや、別にどうでもいいけど。ああ、身体の潜在能力はあるから、戦力としてまあまあかな、ぐらい」
「そうかー。今から殺すんだけど、邪魔しないでくれよー」
サミジーナはコーイントススの言い分を理解した。そして朗らかに笑っていった。
「あは。いいよいいよ、そういえばソロモンは全ての元凶だったね」
ソロモン・ディビルズ。『ソロモンの悪魔』を生み出した張本人。数多の悲劇を生み出した立役者。
そんな彼を、コーイントススが許すなど有り得なかった。利用しこそすれ、助けた覚えなど微塵もない。アンドラスの『喚起の指輪』の支配から解放したとはいえ。
「じゃあ、『ソロモン・ディビルズ、自害し──ッ!!??」
そうしてコーイントススが『呪言』を使って、まさにソロモンを殺そうとした時だった。
「あらあら、まあまあ」
穏やかで柔らかい声が戦場に響いた。およそ戦場には相応しくない声音。おっとりしているようで、しかし、その場の誰と声が発されるまで彼女に気がつかなかった。
だからこそ、静かなる彼女の登場は何より鮮烈で、空気は冷たく静止する。
「私のソロモンを傷つけるのは、どこのだぁれ?」
『次元魔術師』カタストロフィ。
彼女はコーイントススの敵になる、最悪なタイミングで降臨した。
祝七十話




