第七話 恋に落ちる
「……えっと、じゃあ、私はバアルを探しに行くよ……」
まるでソロモンから逃げるように、酷く落ち込んだ様子でアストレアが部屋の外へ向かおうとした。それをソロモンは少し考えて、止める。
「ちょっと待ってくれ。悪魔に関するそれだったら、俺も行く」
「……まあ、それは構わないけど……」
やはり外出の理由はソロモンと一度距離を置きたかったからなのだろう。アストレアは露骨に嫌そうな顔をした。それでもアストレアがソロモンの提案に渋々了解するのは、それが世界のためになるからだ。戦闘ならともかく、捜索ならば二人の方が効率がいい。
さて、呼び止めたはいいものの、ソロモンにはソロモンで、今バアルのもとには行きたくない理由があった。そして、アストレア一人で探索に行かせたくない理由も。
「そこで提案なんだが」
ソロモンは自分の体を一度見回して、それから部屋を、テーブルを、コップとその中身を一瞥して、それからアストレアを見た。コップに目が行った際に、アストレアがビクッと肩を震わせた。
「もう外は暗いし、この体も、もう、限界みたいだ。アストレアも疲れたろう、少し休息を取らないか」
この提案に、アストレアはソロモンを今一度見て、そして、その姿が十歳のそれであることを再確認したのだろう、もしくはソロモンへ毒を盛ったことへの後ろめたさか、とにかく、了承の意を示した。
ソロモンは、ひとまず一晩考える時間ができたことを喜んだ。とにかくバアルのもとに行くのならば、準備が欲しい。いや、そのための生態調査なんだろうが、この時代のこともよく知らないまま、危ない橋は渡れない。
窓の外、空の色は真っ赤だった。
就寝にはアストレアの部屋を使わせてもらった。アストレアが快諾してくれたというのもあったし、そもそもソロモンがお金を持っていないというのもあった。
それで、ソロモンは男で、アストレアは美人である。口調通りの大人びたそれではなく、むしろ可愛らしい、愛嬌のある顔立ちだ。恐らく、その容姿で舐められたことが何度かあったのだろう、その口調はどこか背伸びしているような感じがあった。さらさらの赤い髪を肩口まで伸ばして、外見年齢は十六歳くらい。勇者となった時点で老化は止まるので実年齢は分からないが、しかし、十六歳あたりで先代勇者を超えたことは事実である。恐ろしい。
さて、話を戻そう。ソロモンは男で、アストレアは可愛い。
しかし、不思議と襲おうという気にはならなかった。十歳という体の年齢に引っ張られていたのかもしれないし、疲れていたというのもあったかもしれない。もしくは、素直にアストレアを恐れたのかもしれない。
だから、ソロモンは今後について、じっくりと考えることができた。
バアルの探索には行きたくない。未知の『ソロモンの悪魔』が最初の敵だなんてごめんだ。戦うにしてもせめて情報が丸裸の敵と戦いたい。今の自分のこの時代でのレベルも知りたい。対策を練りたい。いや、今はそんなことはどうでもよくて、そんなことより、バアルを探しに行かなくていい理由が必要なんだ。その対策を練る時間が、必要なんだ。
ソロモンは考える。そもそもが『生態調査』ということは、依頼人がいるのではないか。しかしそれについてはアストレアから聞いていないので、考えても仕方がない。次だ。
ソロモンは考える。アストレアは勇者として未熟だ。なぜか神剣についての理解も浅いし、不死身も使いこなせない。
(……なるほど)
回避方法その一。神剣について教えてやるから、探索はその後にしないかと提案する。ソロモンはあの『魔術を世界から奪った結界』の構築時に、神剣についての理解をかなり深めていた。どんな結界も簡単に破壊しうる神剣には十分に対処する必要があったからだ。場合によってはソロモンの悪魔と戦うかもしれないのだから、アストレアは神剣について知っておいて損はないはずだ。
回避方法その二。「成長したいから町に戻ろう」と提案する。今日アストレアはソロモンの体調不良を理由に探索を取りやめてくれた。ソロモンの『成長魔術』を未熟と断定したアストレアだ、恐らくこの時代のソレはさぞかし進んでいるのだろう。「万全を期したいから成長させて」と頼むのだ。ソロモンは魔術師なので、肉体の年齢はあまり戦闘に支障をきたさないが。
よし、よし。だいぶ考えがまとまってきたぞ、と、ソロモンは満足した気分で眠りについた。
朝起きると、アストレアが居なくなっていた。
短い書き置きだけを残して。
やられた、とソロモンは思った。
少し考えればわかることだった。そもそもアストレアにはソロモンに付き従う理由がない。冷静になったのはソロモンだけではなかったというわけだ。
赤子のソロモンを助けたのはソロモンをバアルだと思って誘い込んだにしろ、その後の対話は勘違いの罪滅ぼしだ、とソロモンは思っていた。アストレアは毒殺未遂という負い目があるから、ソロモンに協力的なのだと。
しかし、アストレアにとっては『弱者の救済』という勇者としての呪いのそれだったのだ。恐らくソロモンはアストレアに強者としての姿を見せすぎた。二回毒殺を免れているし。
それに、思えば、ソロモンは出会って数時間で、既にアストレアにしてもらってばかりだ。毒も常人には致命のものでも、ソロモンにとってはそうではなかったし、寝床と成長用の食物、獣からも助けてもらったし、この時代の説明もしてもらった。アストレアとしては義理を十分果たしているし、それに、繰り返すが、アストレアにはソロモンに付き従うメリットがない。
どうしよう、と悩んで、その苦悩をすぐに切り捨てた。
勇者の、正義の呪いは万人が思っているよりも重い。それはもう、アストレアがなぜソロモンを昨日その場で切り捨てなかったのかわからないくらいに、重い。
と、ここでソロモンは気付いた。じゃあ、なんで俺は昨日素直に自分の名前を喋ったのだろう、と。
ソロモンもアストレアに負けず劣らず馬鹿だった。その事実に悶絶するが、それは置いておいて、そして、ソロモンの罪もまた、重い。私欲の為に世界から魔術を奪い、悪魔を解き放った罪。それが生かされているのは、その魔術をもってして、自分で悪魔を処理すると誓ったから。利用価値無しと判断されてはたまらない。
つまり、アストレアのそばで正義を体現し続ける義務が、ソロモンにはある。
追いかけないという選択肢はなかった。
勇者は、常にその身を癒し続けているという。故に娯楽として楽しみはするにせよ、食事も必要ないし、排泄もしない。しかし、アストレアはそうでない。その不死が不完全だから、恐らく怪我をした場合などにのみ、能動的に癒しの力を使っている。
だから、かつての青年アストレアとは違って、魔力の残滓でその姿を追うことができない。捜索は困難を極めた。
ソロモンがアストレアを見つけたのは、正午をとうに回って、しかし、夕方にはまだ遠い。そんな時間だった。
アストレアは、三匹の獣に襲われていた。
「アストレア!」
それを見て、ソロモンは叫んで駆け出した。
しかし、恐らくそんな気遣いは無用だった。
神剣は用いていない。あの直剣だ。今回は片手に持って、ヒュッと、一振り、横向きに凪いだだけだった。
それで、虎のような獣三匹は、上下に別たれて、断末魔の悲鳴をあげるまでもなく、倒れた。
「……ああ」アストレアはソロモンを見つけて、表情も変えずに呟いた。「君か」
「一応聞くけど」ソロモンは、おそるおそる尋ねる。「どうして、俺を待たなかった」
「置いていったのは謝るよ。ただ、考える時間ができたのは、私もおんなじだったというわけだ」
アストレアは言って、神剣を取り出した。
「君が大罪人で、私は勇者で、君は私より弱いから、贖罪を私に誓う。ここまではいい。でも、ここから先。私と共に行こうとするその意味が、全くわからなかった。だから……」
それは、誓いに説得力を持たせるのと、もう一つは、邪な理由だ。アストレアに気に入られれば、殺されないかもしれない、と。
アストレアは一旦言葉を区切って、神剣に眇めた目をやって、続ける。
「……だから、神剣で君の言葉を全部、斬ってみたんだ」
「なっ……!?」
これだ。これがあるから、勇者には嘘をついてはならない。少しだけ、ソロモンはアストレアを甘く見ていたことを後悔する。
「すると、当然、嘘がある。昨日君はこう言ったよね。『この体ももう限界だから、休息を取ろう』。これが、嘘だった」
「いや、それは言葉の綾というか、限界じゃないけど、休みたい、というか……」
「言い訳はいいんだ。神剣はそんなにやわじゃない。つまりこれは、『君にはバアル探索に行きたくない別の理由がある』ってことなんだ」
「くっ……」
事実だった。神剣が今現在を斬ることで得られるのは、存在するかどうか。これが存在しない。ならば、『ソロモンに行きたくない理由が別にあるか』を更に斬れば、答えは出る。
「そこで、一晩考えてみたんだ。私との同行にこだわっていて、しかしバアル探索に今すぐ行きたいわけではない」
「……言っとくが、色恋じゃないぞ」
「そんな安易な答えで満足するものか。昨日君は襲いに来るそぶりも見せなかったし」
アストレアのポンコツさに賭けて茶化してみるソロモンだったが、無駄だった。アストレアは自信ありげに続ける。
「答えは、君が、臆病者だってことだ」
だいたい、あっていた。でも、自分の能力を相対評価する機会がまだないのだから、仕方がないじゃないか、と、心の中で反論した。
「だから、追いかけてこなかったら、君を斬り捨てようと思っていたんだ。言っておくけど、ソロモンの悪魔は、既知のそれの方が少ないんだよ。いつまでも未知を怯えていては仕方がない」
ゾッとしない話だった。しかし、そんなソロモンを置いて、笑って締めくくって、アストレアは手を差し出す。「ん」という言葉と、目と、態度で、催促する。
ソロモンは訝しむ。手を差し出された。これを握った途端に斬り捨てられはしないか。怒られはしないか。だが、そんなソロモンをアストレアはじとっ、とした目で責める。まるで恥をかかすなと言っているように。
やがて、ソロモンは、しっかりとそれを握り返した。
「二回目だけど、よろしく」
「ああ」ソロモンも短く答えて、しかし、と、一つだけ疑問を呈する。「でも、一つだけいいか」
「なんだい?」
「俺を試したのは、わかった。でも、アストレアにとって、俺と一緒に過ごすメリットが、わからない。戦力的にもそうだし、勇者であるアストレアに、俺の贖罪を見せ続けるのだって、言ってしまえば俺の自己満足だ」
ソロモンの言に、やはりアストレアは笑って返す。
「そんなの、簡単だ」
「君が、誠実で、努力家で、『世界最強を目指していただけの凡人』だからだよ」
「あっ」
『そんなことないとも。むしろ誠実で努力家が売りだ。ちなみに世界最強を目指してる』
『俺は凡人だぞ!』
この、言葉に。
アストレアに、凡人、と。勇者と比べれば、たしかに凡人だろう。だけど、そういう意味じゃ、ない。
「……そう、か。神剣で、全部斬ったんだもん……な」
「そうだ。そんな紳士に、悪いやつはいない」
さっきは、斬り捨てようと思っていた、とまで、言われたのに。でも、こんな安易な手のひら返しに、ただ、自分の努力を認めてもらっただけだ、というのに。
どうしてこんなに、嬉しいのだろう。
ソロモンは、気付けば目頭が熱くなっていた。照れ隠しにあはは、と笑う。アストレアも、少しだけ、恥ずかしそうにしていたと思う。
こうして、ソロモンはアストレアに惚れた。




