第六十八話 世界は抵抗する
死者の魂が降りてきているのはノーセストだけではなかった。
帝国首都。イグシル・ツレウルド、アモン・ヒープ、それからリンスの手によってようやく平定されかかっていた場所にて。
「……なんだ、あれは」
イグシルが言った。都の真っ只中に突然現れなかっただけマシなのだろうか。いや、それにしてもソレの数は多すぎた。
数万の死霊が、帝国首都を包囲していた。
「サミジーナの仕業ですな」アモン・ヒープが言った。「目的は世界征服でしょうか。かの子供は昔からそんな節があった」
諦観。時計台の上からは帝都の全貌が見渡せる。当然、城壁の向こう側の風景も一望できた。
「やれるか」
数万の死霊を見ながらイグシルは言った。ただの死霊ではない。ここからでも、彼らの一体一体が歴代の英雄並みの力を持っているのがわかる。『ソロモンの悪魔』に匹敵する強さの奴もいるだろう。
果たしてアモン・ヒープは言った。
「やるしかないのですよ。本当は今すぐサミジーナを殺してしまうのが一番手っ取り早いんですが……」
「ダメだな。そんな悠長にしていたら帝都が滅んでしまう。それは──ソロモン・ディビルズに任せよう」
イグシルはため息をついてから言った。
「おや、それは信頼でしょうか。それとも願望でしょうか」
ソロモン・ディビルズがサミジーナの近くにいるとも知れないのに。
イグシルは笑った。
「確信だよ。アイツはそういう星の元に生まれてるんだ」
そんなことはどうでもいいからと、イグシル・ツレウルドは弓を射った。いつのまにかイグシルの隣にはレラージェ・フォーテがいた。彼もイグシルに倣って弓を射った。
「……はあ、またか」イグシルはため息をついた。
「お主、イグシル・ツレウルドよ! 我とどちらがより多く死霊を討滅するか、勝負といこうではないか!」
「だから誘わなかったのに……」
どこからか噂を聞きつけてレラージェはここにやってきたらしい。何かにつけて勝敗を決めようとするレラージェに、イグシルはうんざりしていた。
「それでは──『虚飾の詩人』」
アモン・ヒープもノートを取り出した。世界を書き換え虚を飾る、最悪の概創霊装を。
なんとも締まらない始まり方ではあったが、こうして、帝都防衛戦は開戦した。
数万の英霊たちも、射弓を合図に帝都への行軍を始めた。
○
ところ変わって魔界。ようやっと新体制を整えて、新たに『千年夜城』の建設を再開しようとした頃だった。
「ああ、もう! たったの一ヶ月だけれど、また最初からやり直しになるのはうんざりなのだわ!」
金髪赤眼の幼女──モラクスが言った。この一ヶ月、一番苦労したのは彼女だった。概創霊装である『千年夜城』は一度起動してしまえばあとは自動で千年を数える。だからこそ、その起動に一番神経を使うのだ。
それがようやく終わった、というのに。
魔界は今、帝都と同じく、周辺を数万の死霊に囲まれていた。死霊は刻一刻と進軍を続けている。
「あれま。やべぇーな、あれは」
男が言った。彼は身体の左側が真っ黄色、右側が真っ黒な格好をしていた。金髪碧眼の王子様然とした男も同調した。
「本当にやばいよ、シトリー。何がやばいってさ、俺の『瞬間移動』が効かないのがやばい」
「バティン、てめぇの概創霊装の力は記憶操作だったな。死霊に記憶もくそもねぇか」
「そうなんだよねぇ。だから今回、俺に肉弾戦以上の働きは期待しないでおくれよ」
「かー、つっかえねぇー」
「お前たち!」モラクスは呑気に会話を続ける二人に怒鳴った。「フェネクスもツラトゥストラも、アンドラスもグリーディア──フィランソロフィも、もういないのよ! どうしてそう、余裕そうなの!」
金髪碧眼の王子様然とした男──バティンはきょとんとして目を瞬かせた。それからシトリーと目と目を合わせて、あっはっはと笑い出した。
「な、何がおかしいのよっ!?」
「はははっ。……い、いえ、モラクス王こそ、どこか勘違いをしておられませんか?」
バティンは言った。お腹を抑えて笑い転げながら。
「この程度が脅威になるほど、シトリー・グリフォンは弱くないのですよ。本来は」続けて、「特に、『結界』が彼の弱点である精神攻撃を防いでくれますから」
「おうよ」とシトリーは言った。
○
帝国や魔界だけではない。今や世界中に死霊は散見された。冥界に眠っていた魂は百万や二百万ではなかったのだろう。それらを全てサミジーナが掌握したのだから、彼の世界征服はもう目の前だった。
ところ変わって、そこは静かな工房だった。絶対不可侵の静なる工房。数多の死霊に湧く世界の騒音など、ひとかけらも届かないような場所。
「……ほう」
老人が呟いた。彼が手を振るうと、その手には大鷹が止まった。彼が頭を撫でてやると、鷹は嬉しそうに身を捩った。
「君が来ることは知っていた。そして、君がこれから何をするのかも」
かつ、と足音。それは静なる工房によく響いた。老人は足音の主に問いかける。
「無駄だとわかっているが、一度だけ問おう、フェネクス・ポイニクスよ」老人は、言う。「確かに私は最強だが──サミジーナを放っておいていいのかい?」
足音の主──フェネクス・ポイニクスは立ち止まる。彼は少し考えて言った。
「僕が何もしなければ、貴方はサミジーナを止めるのだろうか?」
フェネクスははっ、と乾き切った笑い声をあげた。そして老人が何かを言う前に言った。
「止めないよ。貴方はそういう人だ、アガレス」
老人は何も言わなかった。フェネクスがその決断をすることは知っていた。老人──アガレスの知らないことなど存在しない。過去にも現在にも、未来にも。
「だから僕は、貴方を止めるんだ。最強の否定に執心するのは、逃れられない僕の性みたいなものだから」
はあ、とアガレスはため息をついた。そして降参だ、とばかりに彼は両手を上げた。
「……どうなっても知らんがの」




