第六十五話 侵入される
ところ変わって王国。ルーヴァンの選別──誰が冥界、ノーセストの街に行くかを決定した──が終わって、会議室に残ったのは二人だけだった。
そのうちの一人──『猛禽部隊』隊長、ルーヴァン・ガランドは言った。
「……本当に行かなくて良かったのか、コーイントスス?」
継ぎ接ぎ顔の少女──コーイントススはナイフを研いでいた。しばらくそうしていた。ピカピカになるまで磨いて、ようやくルーヴァンの言葉に反応した。
「行くよ。でも、二人じゃ足りないと思ったんだー。自発的に行くとしたら、おれくらいだろー」
「……? 結局、ノーセストには行くのか」ルーヴァンは驚いた。「てっきり何か理由があって、行けないんだと思っていた」
「はは。ルーヴァン、面白いこと言うなー」コーイントススは言った。「おれがソロモンの悪魔より優先するものなんてあるわけないだろー」
「それもそうだな」
ルーヴァンは頷いた。コーイントススは磨き上げたナイフをカバーに入れて、鞄にしまった。それから鉄パイプと、鉄砲と、ノコギリも入れた。大きさを考えると入るわけがないのに、どうしてかそれらは小さな鞄の中に綺麗さっぱり仕舞われた。
コーイントススはそれからも身支度を続けた。出かけるつもりなのだ。
「猛禽部隊は二人組が基本だからなー」コーイントススはちらり、とルーヴァンを見た。「なんか、嫌な予感がするんだよー。おれともう一人だけじゃ手に負えないような。だからおれは一旦辞退して、あとで加勢に行こうと思ったんだー」
バザドゥーズとロココ・アリカに先に行かせて、コーイントススは後から加勢する。確かにコーイントススが「行く行くー」と立候補していたら、彼らのどちらかは、好き好んでノーセストへなんて行かなかっただろう。
「それでなー、ルーヴァン。頼みが、あるんだけどー……」継ぎ接ぎ顔が、申し訳なさそうに歪んだ。「おれ、一人でノーセストに行ってもいいかー?」
ルーヴァンの強面に影ができる。彼がコーイントススの方に寄って、背丈の低いコーイントススを見下ろす形になったからだ。照明を背後にしているせいか、ルーヴァンの顔色がよく、わからない。
そして、顔の見えないルーヴァンは言った。
「駄目だ」
途端にコーイントススは情けない顔になった。おもちゃを取り上げられた子供みたいに。
ルーヴァンはしゃがみ込んでコーイントススと目線を合わせた。強面だが優しい目をした彼は──笑っていた。
「『猛禽部隊』は二人組、だろ?」
○
悪魔が誕生した。
どす黒く蠢く血管が体皮を覆う。背中からは真っ黒な羽根が、頭からは角が生える。充血した目のその奥には感情は伺えず、バチィッ、と禍々しい魔力が弾けた。
そして、興醒めた様子で悪魔──ソロモン・ディビルズは言うのだ。
「……ふむ」
ロココ・アリカがふらりと倒れた。全身から力を入れる機能がなくなっていた。受け身も取れずに地面にぶつかる。
そして、やはり生気の感じられない様子のまま、彼女は立ち上がった。
ふらり、ふらりと。瞳の奥は虚にソロモンを見据えている。ロココ・アリカはそのままソロモンの足元に跪いた。騎士が主人へ忠誠を誓うように。
「ロ……ココ・アリカぁぁぁ!!!」
静寂は、叫び声にて崩壊した。
「『暴食』ぅ!!」
バザドゥーズの全身が発光する。淡く優しい、しかし悍しい暴食の力が発現する。
全てを喰らい尽くす『暴食』の力。それはあろうことか、概創霊装たる『万物の主』の支配さえ退けた。
「わあ、すげぇ」
ソロモンが言った。バザドゥーズは疾風迅雷、『瞬間移動』でロココ・アリカの首根っこを捕まえて、そのままソロモンとアンドラスから距離を取る。
『暴食』の光がバザドゥーズの手のひらを伝って、ロココ・アリカの身体を包み込んだ。
「おい、しっかりしろ、ロココ・アリカ!」
守れなかった。そんな気持ちがバザドゥーズの心内を埋め尽くす。祈るような気持ちでロココ・アリカに纏わりつく『万物の主』の魔力を喰い尽くす。
泣きそうな顔のバザドゥーズの腕の中で、「んぅ……」とロココ・アリカは目を覚ました。
「かはっ!」
その時だった。バザドゥーズが吐血する。吐き出された血が少しだけ、ロココ・アリカの頬にかかった。
「す、まない。ロココ・アリカ……」バザドゥーズは言った。「力を、使い過ぎた、みたいだ……はは、格好悪いな……」
いくら秘匿魔術『暴食』の使い手とはいっても、バザドゥーズは人間だった。全てを支配する『万物の主』を前に、これだけ正気を保てただけでも称賛に値する。
意識を取り戻したばかりで困惑するロココ・アリカの目の前でバザドゥーズは昏倒した。
「……え?」
バザドゥーズが動き出す気配は、ない。
ロココ・アリカの全身は暖かな光で覆われていた。『暴食』の光だ。バザドゥーズが意識を失った後も、ロココ・アリカが『万物の主』の支配に囚われることはなかった。
「バ、ザドゥーズ、さん。バザドゥーズさん!」ロココ・アリカは叫んだ。「なんで……わたしを助けるくらいなら、あなたが……」
しかし、悲しんでばかりもいられない。
「話は終わったか」
ソロモンが言った。ぴくん、とロココ・アリカの肩が跳ねた。
ロココ・アリカはその場に優しくバザドゥーズを横たえて目元を拭った。振り向く。目が合う。そして気丈に言った。
「……ええ」
「そうか。では──」
そう言って悪魔は戦闘を再開しようとした。だけれど、それを遮る声があった。
「……待、て。ソロモン・ディビルズ……」
メイド服。冷涼怜悧の女。
アンドラスは苦渋に顔を顰めながら言った。
「……コレ、を、解け……。今のお前の主人は、私だ……」
ソロモンが振り返る。アンドラスとソロモンの目と目が合った。片や苦痛に顔を歪める女に、片や静かで透明な瞳を持つ悪魔。
悪魔の瞳は何をも見てはいない。ただそこに存在していた。王として。主人として。
ぞわり、と。アンドラスの背筋に鳥肌が立った。
こいつは本当に、先ほどまでのソロモン・ディビルズか……?
「……ほう」悪魔の身体で、ソロモンの声で、そいつは言う。「『六十三位』ごときが、『一位』に指図するとはのぅ……」
「……っ! 『喚起の指輪』!」
たまらずアンドラスは自身の概創霊装『喚起の指輪』を使用した。ソロモン──いや、バアルに向けられる右手人差し指の指輪が発光する。
「……ふむ。恐怖喚起の力じゃな。それがサミジーナに能力を底上げされて、精神操作、洗脳の類すら可能な力になっておるのか」
面白いのぅ、とバアルは言った。
全てを従える『序列一位』バアルは言うに及ばず。
時を操る『序列ニ位』アガレス。
現実を書き換える『序列七位』アモン・ヒープ。
これらに見て取れるように、一桁台の『ソロモンの悪魔』というのは、二桁以降のそれらとは一線を画した概創霊装を有している。それこそ単独で世界を滅ぼすことすらやってのけられよう。
そんな中、『序列四位』サミジーナはどうだ?
一桁台の、果ては上位に位置するサミジーナ。そんな彼の概創霊装が、ただ死者を操るだけ程度のものだろうか?
「……ふむ」しばらく抵抗していたようだが、唐突にバアルは目を閉じた。「ワシはともかく、精神の方がおぬしに屈しておるようじゃのう。これ以上はジリ貧じゃわい。ちぃ、つまらん」
バアルがひらりと手を振った。すると『万物の主』が解除されて、アンドラスはようやく落ち着いて呼吸ができるようになる。
そして、同時にソロモンも正気を取り戻した。
「あ、れ? あー……これは本格的にバアルにしてやられたな……」ソロモンは頭をぽりぽりと掻いて、それからアンドラスに向き直って言った。「あれ、何してんの、アンドラス?」
アンドラスの心内に殺意が湧いた。誰のせいでこんな事態になっている。さっさとロココ・アリカも始末するぞ、と。
ソロモンは違う違う、と言った。
「……そのロココ・アリカ、どこ行ったん?」
「……え?」
慌ててアンドラスはあたりを見回す。そして、彼女もようやく、ロココ・アリカの姿がどこにも無いことに気がついた。
「あー……」とソロモンが言った。「結界が、壊された。ロココ・アリカは冥界に侵入したぜ、これ」




