第六十話 村が滅びている
何の面白味もない説明会
時は数刻前に遡る。といっても、カタストロフィと戦うまでに大した時間が過ぎたわけでも、度を越して複雑な因果が絡んでいるわけでもない。
扉をくぐったソロモン。エプロン姿のカタストロフィを発見して、とりあえず挨拶、世間話に興じようとした彼だったが、それより先にカタストロフィが懐疑の声を上げた。
「あらー、そういえばソロモン、あなたどこから入ってきたの?」
「……え?」
後ろを振り向くソロモン。そこには既に『透明な扉』は無くなっていて、その代わりというように逆さになった大きな死神の鎌のようなものが遠くに見えた。
「うわあああ!」
天高く持ち上げられた振り子が自由を手にしたときのように、その大鎌は加速を始めた。空間を切り裂きながら大鎌はソロモンに迫る。
そこは平和な一室だった。畳に台所、鍋のいい匂いの漂う家庭的な空間。
それが、大鎌の刃の切り裂いた部分からどんどんと『宇宙空間』が侵食してくる。ソロモンは何とかその大鎌を避けたが、それが振り切られた後には、そこは『上下左右が曖昧な世界』に変わってしまっていた。先ほどまでのどこか狭苦しい、けれど暖かい空間はとうに消え去ってしまって。
「……無理やりに入ってきたのねぇ。それはちょっと、頂けないかもしれないわぁ」カタストロフィは妙におっとりとした声で言った。「これ、自動迎撃システムなのよねぇ。対侵入者用の」
ふ、ざ、け、ん、な! と、ソロモンは様式美のように悪態をつきながらも、周りを囲む透明な蛇たちの相手をしなければならないのだった。
○
ぱちり、とソロモンは目を見開く。まず目に入ったのは窓だった。橙色に夕方を知らせる窓の向こうからは、かぁー、かぁーと鳥の声が聞こえた。
むくりと起き上がるソロモン。そこは居間だった。六畳間くらいの部屋に机と台所、椅子が二脚。ソロモンは畳の上に敷かれた布団で眠っていた。
「お目覚め?」
おっとりとした声が聞こえた。ソロモンは振り返りながら言った。
「……カタストロフィ」にこにこと幸せそうに笑うカタストロフィは、その表情だけでソロモンを嫌な気持ちにさせる。「何も、あそこまで酷い仕打ちをしなくてもいいだろう」
「あーらあら」カタストロフィはくすくすと笑った。「私だってソロモンが何にもしなければ直接手は出さなかったわよぅ。それなのにあなた、私を殺しにかかるんだもの」
「だー、くそ。……それで、今も俺は『侵入者』なのか?」
「それは大丈夫。あなたが気絶しているうちに一回ここから放り出して、それから『回収』してあげたから」
手間かけさせてくれちゃってさーあ、とカタストロフィは肩を竦めた。「出来の悪い子どもを持つと苦労するわぁ」
「母親気取ってんじゃねぇよ」ソロモンは言った。「あんたは良くて『師匠』だぜ。魔術に関しちゃ感謝してないってったら嘘になるが」
「やあねぇ、久しぶりなのにこの仕打ち?」
相変わらず素直じゃないのねぇ、と。
こんな具合にソロモンを半端に理解したようなカタストロフィの台詞が、ソロモンは大嫌いだった。
「それで、カタストロフィ。『村』のことだよ」ソロモンは本題を切り出した。「あの『村』、あんたがいてどうして滅びてる?」
○
「別にねぇ、あなたがしでかしたことについて文句はないの」カタストロフィはそう話し始めた。「あの程度ならどうとでもできたわけだし」
ソロモンがしでかしたこと。魔力の封印。世界中から魔力を没収したこと。
だがそこは異次元に身を置く『次元魔術師』カタストロフィ。魔力がなくなった程度で彼女が支障をきたすことなどないという。
「私としても『村』には存続して欲しかったわよぅ。私はここから動けないわけだし。ずっと一人だなんてつまらないから」
でもね、とカタストロフィは肩を落とした。ティーカップを口に運んで、一息ついてから言った。
「いくら私でも生死があやふやになってしまっては対処の仕様がなかったの」
○
ソロモンが転生する前の時代からその片鱗はあったという。ソロモンはかつてシストにとある相談をされたことを思い出す。
生死の絶対性が揺らぐ。生が生でなく死が死でない。生きるも死ぬも時の運に任せられ、簡単に死に簡単に生き返る世界。
つまり、『冥界に主がいない世界』だ。
「清貧姉弟……ね。彼らは困っている人を見境なく助けていたそうだけど、その慈善事業ははそれの罪滅ぼしだったのでしょう。『冥界の主人』という役割を放棄してしまったことへの、ね」
それはソロモンの前世ではうまーくごまかされていたらしい。死ねば死に、死ななければ生きる。当然のように存在する理は、絶えずそこに存在していたらしい。
「でもね、あなたが世界の魔力を封印しちゃったせいで、きっと清貧姉弟たちが用意していた安全装置……ストッパーのような、彼らの役割を代替していた魔術がうまく働かなくなったみたいねぇ」
それからは阿鼻叫喚の地獄絵図。唐突に人は死に、気まぐれに生き返る。生き返った人々は自分たちが見てきた冥界のことを『悪魔の巣窟』と呼び、死に行く人々はその死の直前、穴の底より手を拱いて招く亡者を見るという。
「……まあ、私がすぐに気がついたから被害は『冥界の周囲』だけに抑えられたんだけど……」
ソロモンはうへぇ、と思った。気がついたからといって、冥界なんていう異次元の世界に現世の存在が干渉できるものか──とそこまで考えて、カタストロフィも異次元の住人だったことを思い出す。
「……そうか」とソロモンは俯いた。「ここ、冥界の目と鼻の先だもんな」
「ええ。だから私もここにいるんだけど」
そんなわけで、とカタストロフィは笑顔を作った。こころなし、どこか無理をしているように見える笑みだった。
「……村の人たちの最期、見る? 身体が溶けてなくなる人もいれば生きたまま腐食した人もいる。見ていて気持ちの良いものではないけれど」
ソロモンは黙って首を横に振った。名も無き村。それでもソロモンを実の息子のように扱ってくれた彼らはもういないのだ──
「あがががが!」
──と、唐突にソロモンの脳裏に『光景』が浮かぶ。どろどろに溶け切った人だったものたち。ピンク色の脳が剥き出しにされた亡者たち。そんな彼らの中には、ソロモンの覚えている顔もあった。
「あ、悪趣味すぎるだろ、見ないって言ってんのに!」
それが『冥界の主不在』が引き起こした生死不明の世界。世紀末のようなその光景にソロモンはおえ、と気持ちの悪い嗚咽感を抱えて、しかし寸前のところで堪えて叫んだ。
カタストロフィは笑っていた。
「うふふ。だって私はあんなに苦しんだのに、ソロモンだけ無傷なんてやーよ、私」続けて、「それ、私の記憶なの。目の前で彼らが死んでいく様を見せつけらるよりはマシでしょう、記憶を流し込まれるくらい」
なんとも言えなくなってソロモンは黙った。空気を変えようと思ったのか、カタストロフィが話題を変えた。
「ところでソロモンはどうしてここに? 一月くらい私を探していたみたいだけれど……」
「気がついてたんなら『招待』してくれよ!」
どうせ俺の滑稽さは見ていて楽しいだろうよ、とソロモンは不貞腐れた。
「あはは。忘れてたのよぅ。それで、どうして?」
ソロモンは言った。「……別に。久しぶりに会いたかっただけだよ。本当にそれだけだ」
カタストロフィはにぱぁー! と顔を輝かせた。両手を胸の前で合わせて嬉しそうに、上機嫌に身体を揺らした。
「あらまぁ……相変わらず──いえ、素直になったわねぇ。誰の影響かしらぁ──」
カタストロフィがにまにまとしながらソロモンを問い詰めようとしたその時だった。
「──!?」
びりびりぃ、と二人の間に電撃が走った──ような衝撃が舞う。二人は顔を見合わせて張り詰めた表情で、どちらともなく言った。
「……今のは……」
「ああ……」
「ここ最近、結構あるのよね」カタストロフィが言った。「多分今、冥界で何かが起こっているのよ。途轍もなく不吉なものか、それとも……」
ソロモンは記憶を辿った。あれ、別れる時、シストは何と言っていたっけ? 『ブラズを迎えにいく』。『私は大丈夫』。そんな程度のことしか言っていなかった気がするが、果たして。
思考の渦に飲まれるソロモンに、カタストロフィが名案を思いついたように言った。
「あ、そうだ、ソロモン。あなた、ちょっと見てきてくれない? 冥界」
「えっ?」
「私はここから動けないし……だから、ね? お願い」
カタストロフィがパキリ、と指の骨を鳴らした。右手を軽く握っただけでだ。
「えー!」
従わなければわかっているな? と。
そんなジェスチャーに背筋を凍らせながら、これでソロモンは冥界に赴かなければならなくなった。やはり様式美のように悪態をつきながら、それでもソロモンは未だに師匠に逆らうことはできないのだ。




