第五十九話 次元魔術師と戦う
祝六十話。ここまで描き続けられたのも、読んでくださる皆様のおかげです。
ソロモンの周囲を透明な蛇が這う。一匹だけではない。十数匹はいるそれは、空を飛び高速で移動し、そして隙を窺う知性も持っている。にじり、にじりと蛇たちは間合いを詰めていく。
「ちぃっ!」ソロモンは舌打ちをして後方へ飛んだ。「目覚めろ、『万物の主』!」
ソロモンの身体が変容する。充血した目に浅黒い肌。悪魔の名にふさわしい角と羽根。浮き出た血管にそして、周囲に漂う禍々しい魔力。
そうして蛇たちに問いかけるのだ。俺に従え、と。
「手前ぇらの王は誰だ!?」
だがしかし、透明な蛇たちはその命令を聞き入れない。
「むーだーよぉ」柔らかい声がくすくす笑った。「私の魔術を忘れたのかしらぁ。あなたとこの子たちでは次元が違うのよぉ」
『次元魔術師』カタストロフィ。ソロモンらの時代の『序列六位』、イグシルの上、ブラズの下に位置していた妖精族の魔女。きめ細かい金髪。笑みの絶えない目元と口元が不気味な、しかし優しそうな面影を持つ歳の頃二十五、六の美女。もちろん外見年齢の話だ。
「くそっ、じゃあなんでこいつらは俺に触れられるんだ!」
「あら、教えなかったかしら? ここではこの子たちが上でソロモンは下、なのよぅ」
次元魔術。それはソロモンでは理解することすらできなかった文字通り異次元の魔術だった。
二次元のモノは三次元のモノに触れられないように。三次元のモノは四次元の存在に干渉できないように。ソロモンは決して蛇たちに触れることはできず、蛇たちはソロモンに干渉することができる。
一匹の蛇がソロモンに襲いかかる。そもそもここは『透明な扉』の内側、宇宙空間のように上下左右があやふやな世界だ。どうして立っていられるのかすらわからないまま、ソロモンは左に飛んで蛇を掻い潜った。
(なーにをやっておる)
「うるせえぞ、黙ってろ!」
反撃されないことがわかった蛇たちはソロモンに一斉に襲いかかった。ソロモンは『万物の主』を解除して真下の地面から真上に向かって結界を生やす。結界とともにソロモンの身体も上空へ連れ去られ、蛇たちは目の前から忽然と消えた獲物に動きを止める。
ふぅ、とソロモンは一息ついた。蛇たちはこの高さまで来ることができないらしい。
するとどこからかゴロゴロ、という音が聞こえてきた。耳を澄ませばその音はどんどんと大きくなってくる。どうやらソロモンの背後から聞こえているらしい。
恐る恐る振り向けば、そこに迫ってくるのはソロモンの何十倍もの質量を持つ大岩で。
いつの間にか、ソロモンは無骨な坂道に立っていた。
「そんなわけがあるか!」
きっとこの大岩にもソロモンが干渉することはできないのだろう。ソロモンは反対方向に向かって走り出す。轢かれてしまってはたまったものではない。地下迷宮のように入り組んだ曲がり角を右に左に行くが、ご丁寧に大岩はずっとソロモンについてくる。
「ひっ、はっ、ふっ、だあー、くそ! なんで俺がこんな目に合わなけりゃならないんだ!」
前方に光が見えた。ようやく出口だ。大岩は坂道にどんどんとスピードを増しながらソロモンを追いかけてくる。藁にもすがる思いでソロモンは全力で走った。そうしてついにそこならたどり着き、光がソロモンを包み込んで──
「……は?」
──そこは確かに『出口』だった。ソロモンは窮屈な地下迷宮を抜けた。広大な、大きな部屋に出た。
ただし駆け抜けたそこは上空で、眼下には燃え盛るマグマが見えた。
「え?」
重力──なんてものがあるのかどうかは知らないが──に引かれてソロモンはマグマへと落ちていく。
「うわあああ!」
自由落下というのは、強風に煽られるよりもなお強い風に下から叩きつけられるような気持ちだった。びゅおおお、という身体が風を切る音が耳元で木霊する。しかも真下はマグマである。
焦燥に支配される頭で無我夢中で魔術を発動した。こんな時にソロモンが咄嗟に発動する魔術といえばそう、結界魔術である。
「うっ、……はぁ」
まず、弾性のある結界を真下に作った。ソロモンはそこに落下して、結界はボヨンとソロモンを優しく跳ね返す。次にその弾性結界を消して大きな足場を作り出す。
透明な結界。その上に着地するソロモン。そして結界越しに見える、ぐわぐわと燃え盛るマグマ。ソロモンを追って落下していく大岩が、マグマに触れてじゅわりと溶けた。それを見てひいっ、とソロモンは身震いした。
安心したのも束の間、またしても景色が変わる。
気がつけばそこは上下左右が曖昧な宇宙空間で、ソロモンの周囲には大量の、透明な蛇がいた。
「……は、はは。へっ」
変な笑みが溢れた。いわゆる引き攣った笑顔、というやつである。ひくひくと口角が歪む。
あらあら、うふふ。どうしたの?
妙におっとりとした声でそんな幻聴が聞こえるのが、ソロモンにはたまらなく不快だった。
「あーもー、カタストロフィ! も、もういいから、わかったからー!」
「そんなことを言われてもぉ」いつの間にかソロモンの脇に立っていた金髪の美女は、小首を傾げて顎に手を当てながら言った。「これ、自動迎撃システムなのよねぇ」
「……そうだとしても」ソロモンは冷めた目で、無防備にも隣にやってきたカタストロフィに言った。「あんたを倒せば止まるんじゃねえのか?」
トン、とカタストロフィの首に手刀が当てられた。一瞬で背後に回ったソロモンの仕業だった。
「……へぇ、やるようになったわねぇ。悪魔の身体を使いこなしてる。でも──」
カタストロフィはソロモンの「動くな!」という警告を無視して振り返る。無造作にソロモンの手刀──右腕を掴んで、愛おしそうに笑った。
「──やっぱりあなた、かーわいいわぁ」
「ちぃっ!」
ソロモンは腕を無理やりに引き剥がして後方に退避しようとした。こうなった以上いつまでもこの間合いに居続けるのはまずいと。しかし──
「……あ?」
──女性の細腕にも関わらず、ソロモンはカタストロフィの軽く掴んでいる、くらいの左腕を、振り解くことができなかった。
「だーかーらぁ」カタストロフィはぐいっ、とソロモンを自分の方に抱き寄せた。その余りの力強さにソロモンはよろけながらカタストロフィの胸に顔を埋める。「うふふ。次元が違うんだって言ってるでしょう?」
そのまま「よしよし」と頭を撫でられた。ソロモンの全身に鳥肌が立つ。だいたいこういうときは、いつもすぐ後に酷いことが起きるのだ。
「そーれーじゃーあー」
カタストロフィはソロモンを抱いたまま楽しそうに宣言する。きっととても幸せそうな笑顔だろう。ソロモンは「んー、むー!!」とどうにか拘束を抜け出そうとするが、やはりどうすることもできない。顔を平坦な胸に押し付けられながら、今度は結界魔術を発動しようとして──
「おっ仕置っきでーす!!」
──ピカッ! と。次の瞬間、空から雷が降ってきた。それはソロモンとカタストロフィに直撃し、あたりを静寂が支配する。
「……かはっ」
そうしてソロモンは気絶する。全身が焦げただろう自覚があった。そして、きっとカタストロフィは無傷だろう確信もあった。
「うふふ」と。完全に意識を失う直前、ひどく上機嫌な笑い声が聞こえた。
『一位』【勇者】青年アストレア
『二位』【???】??????・?・???
『三位』【全能】バアル
『四位』【冥界の女主人】シスト
『五位』【冥界の主】ブラズ
『六位』【次元魔術師】カタストロフィ
『七位』【斥候】イグシル・ツレウルド
『八位』【結界魔術師】ソロモン・ディビルズ
決して伏線を張っていたとかではないんですが、温めていた設定を披露できるとなるとなかなかに嬉しいものがありますね。
こうしてみるとソロモンが場違いすぎる……ほとんど唯一の人間ですし(ほとんど、というのは青年アストレアも人間なんですよね。勇者ですから種族において彼が劣るなんてことはありませんが)




