第五十八話 別れると共に再会する
『助けて』
だめだ。
『はやく』
やめろ。
『今すぐ俺を解放しろ!』
今すぐ俺を解放しろ!
『だからはやく、姉さん──』
お願いだから、姉さん──
『──俺を、助けに来てくれ!』
──どうか、こっちに来ないでくれ……
○
唐突に時間は進む。
あれから一月がたった。あれ──というのはソロモンの故郷にたどり着き、そこに何もない荒野を発見した時だ。ダンタリオンは呆れてどこかへ行ってしまった。
「……ソルモ。ここに留まりたい気持ちは、わからないでもないが」アストレアは引きこもりを説得するかのような殊勝な態度で、もじもじと言った。「私はそろそろ出発しようと思う。というより、これ以上はもう世界の正義が許してくれない」
一月も、何もないこの土地で無為な時間を過ごした。『正義』を体現する勇者の身で、それはどれだけ寛容な振る舞いだろう。
そしてそれだけの時間を奪われてなお、ついてこないか? と、アストレアはそう聞いてくれるのだ。
「そうか」ソロモンは作業を続けながら言った。「後で、どうにか連絡する方法はないか。もう少しだけ続けたいんだ」
アストレアは懐からバッジを取り出してソロモンに渡した。
「それに魔力を込めれば私にそのバッジの居場所がわかる。逆もしかりだ」
そうか、とソロモンは言った。
アストレアは続けた。
「責めはしないよ。人情に疎いつもりもない。だが……私としては、もう少しお前と一緒に旅がしたかった」
「俺もだ、アストレア」ソロモンは言った。「……せめて師匠が見つかってくれれば。あいつがそう簡単に死ぬわけなかろうに……」
「大魔術師カタストロフィ、か。『工房』があるにせよ本人がいるにせよ、一月も探せば何かしら痕跡が出てくるものだと思っていたが」
「ダンタリオンの『転移』を疑う気持ちはわかる。実際俺も疑った。でも、たしかにここは俺の故郷なんだ。それは間違いない」
「カタストロフィが移動した、という線は、ないんだったよな」
「……ああ。彼女は『制約』により、ここからそう遠くへはいけないはずなんだ。モラクスのような嘘っぱちのものじゃなくて、正真正銘の制約だ」
「そうか。……では、息災を祈っているよ」
「ああ、また会おう」
ここ数ヶ月を共に過ごしたにしては淡白な別れだった。アストレアは名残惜しそうにその場を去っていった。彼女は『ソロモンの悪魔』を狩るという正義を演じなければならない。
ソロモンは無表情でそれを見送った。見えなくなるまでその姿を視界に収めていた。
見えなくなると、自然涙が溢れだした。
「……失恋した」
いや、果たしてこれは恋だったのだろうか。思えば俺はアストレアを愛でるだけで、特にそういったアクションを行ったわけでもないし、どこに惚れたのかと言われると己を認めてくれたからで、自分の努力を認めてくれる人ならば誰でも──
「──やめろよ。そんなことを考える暇があるんだったら手を動かせ」
ソロモンは結界を広げてあたりを探索した。やはり特に魔力の残滓だったり、魔術師だったりは結界センサーには引っかからなかった。
ソロモンはため息をついた。
「アストレアもいなくなったし……やるかぁ、あれ?」
そうしてソロモンは目を閉じた。しばらく自然体で脱力していたが、唐突にその目がぱっ、と見開かれた。
「……目覚めろ、『万物の主』」
ソロモンの身体を禍々しい魔力が覆う。目は充血して肌は浅黒くなり、ところどころにどす黒く血管が浮き出た上に角と羽根が生えたその姿は、まさしく『魔族』、『悪魔』のようだった。
悪魔は言った。
「おう、こら。てめぇら、俺にカタストロフィの変遷を教えやがれ」
命令。
ここには悪魔の他に誰もいない。見ようによっては虚空に向かって妄言を吐くやばい奴であるが、しかし。
次の瞬間、あたりの草木や魔力やらがざわめき出した。
『か、かのま、魔術師は──』
『こ、こっち! こっち!』
これがソロモンの概創霊装『万物の主』。それが生命であるならばなんであれ従える力。意思なきものには意志が芽生え、それは全力でソロモンに献身を捧げる。
「っあがっ、……っ」
ばちぃっ、と何かに弾かれたようにのけぞってソロモンは『万物の主』を解除した。アモン・ヒープのノートやフェネクスの時計、シトリー・グリフォンの首輪なんかとは違って、『万物の主』は自分自身を霊装にする。
「……ああくそ、だから流れ込んでくるな、『序列一位』……」
流れ込んでくるな、と。
自分自身を霊装にする、その弊害。それは肉体に『自分が在りし日は序列一位だったこと』を思い出させ、その結果──
(お主はワシの身体を使ってさえも、その程度なのかぃ?)
── これを発動している間、絶えずどこからか『声』が聞こえるのだ。
「……ちぃ」
恐らくはバアル本人の声。ソロモンが乗り移る直前まではこの身体を支配していた人格が、ここぞとばかりにソロモンを乗っ取りにかかる。
この制御がうまくいかないばっかりに、ソロモンは『万物の主』の使用に積極的になれないでいた。
(制御? ワシを、制御しようと言うのかのう?)
「だあっ、くそ!」
もどかしいように両手足をわきわきとさせながらソロモンは地団駄を踏んだ。頭の中の声は日に日に強くなっている。
「最近は平常時も出てくるようになりやがって!」
(ほれ、さっさと進めよぃ、草木たちが正気を取り戻すぞ)
「んなことお前に言われなくてもわかってんだよ、『序列一位』!」
ソロモンはやはり何とも言えない表情で、眉を顰めながら歩き出した。
○
ソロモンのことを『主』だと思い込んでいる草木は、何の変哲もない荒野で立ち止まった。そこは何度も通った場所で、何度も結界を巡らした場所でもあった。ソロモンにはそこには何もない確信があった。
だが同時に、ソロモンは『万物の主』に信用を置いてもいた。
しばらく四つん這いになって匂いを嗅いだり、赤土を触ったりと検分を繰り返した。すんすん、とんとん。
そして──一時間ほど時間を使って、ソロモンはついに見つけた。
「……なるほどね。あんたが本気で隠れようと思ったら、こうなるよなぁ……」
ソロモンは結界を張った。そしてそこから魔力を抜いていく。
だが、いつまで経ってもその場所から魔力が完全に消えることはなかった。
「……そこか」
つまり、この結界の中に魔力を永続的に生成している場所がある。
ぶわん、と透明な扉が浮き上がった。それは決して目には見えないが、魔力の流れが、そこに扉があることを証明してくれていた。
恐らく生成、というより流出、と言った方が正しいだろう。僅かな隙間から漏れる空気のように、魔力はそこから漏れていた。放出結界の吸引力に当てられて、その扉の隙間から魔力はどんどんと漏れ出ている。
永続的に魔力を流す扉。
今も魔力は放出され続けている。にもかかわらず、『扉』の向こうで魔力が枯渇する様子は一向になかった。ゆっくりと、しかし確実に漏れ出ている。
ソロモンは透明な『扉』に近づいた。意を決して取手を掴み、ガチャリとそれを開けた。
瞬間、ぶわっ、と魔力がソロモンの全身を覆った。膨大というにまだ足りない、そこには無限の魔力が存在していた。
トントン、という小気味良い音が聞こえた。永遠に続くかに思われたそのトントン、という音はしかし、次の瞬間あっさりと消え去った。
「……おや、お客さんが来るのは、久しぶりだわぁ」
柔らかな声が言った。女だ。彼女はエプロンをつけて厨房に立っていた。扉の向こうは普通の一軒家の一室だった。畳に、テーブル。厨房があって、奥には風呂場も見える。手には包丁を握っていた。野菜を切っていたらしい。
途端にいい匂いが立ち込め始めたが、しかし。
ソロモンは呆然と呟くことしかできなかった。
「次元魔術師、カタストロフィ……」
崩壊、屈折、でぃめんしょんを操る、前世であれば最強の一角だった彼女。
「あらあら」彼女は長い金髪を揺らして言った。「ソロモンちゃんじゃあないの。おかえりなさい」
鍋を煮込みながら振り返ってぱちりとウィンク。うへぇ、と思わずにはいられないソロモンだった。
すみません……すみません……。
更新が滞っていますが、か、書いてはいるんです。毎日三千字くらいは執筆してます。じゃあなんで更新されないのかというと、書いてるのがこの作品じゃないからです……。
『世界征服後』。全六話です。よかったら読んでいってください。https://ncode.syosetu.com/n1613gj/




