第五十五話 プロローグ
やはり、『工房』。そこはひときわ小さく纏められたソレだった。余計なものなど一つもない美しい部屋。そこには二人の人物が佇んでいた。
「……改めてありがとう、ダンタリオン」
感謝するのはバティン。されるはダンタリオン。彼らは小さな椅子に座って対面しながら、談笑を続けた。
そして話もひと段落と言った頃、バティンは首をすくめて、それからやれやれと左右に振った。自慢の部屋を見回して、その美しさに自画自賛した。そして言うのだ。
「美しければなんでも良い──そんな風に思っていたけれど、美しいままに勝利できるほど、俺は強くなかったな」
ダンタリオンは首を横に振った。否定。ティーカップの上の紅茶を一口飲んで、かたり、と音を立ててそれは元の場所に戻された。
「お主は大切なものを守り切った。それでいいではないか。それ以上に美しいことなんてないじゃろうや」
バティンはふっ、と笑った。それは感謝をするような、それでいて何かを諦めたようなため息だった。行く風の流れに逆らえない砂粒のような、自身の矮小さを理解したような。
「ありがとう、ダンタリオン。じゃあ俺も……最後くらいはちょっとだけ、泥臭く足掻いてみるよ」
言ってバティンは意識を手放した。まだ何かするのかとダンタリオンは身構えたが、彼の周りで何かが起きるわけではなかった。
「ああ、なるほど」ダンタリオンは呟いた。「お主もなかなか、性格が悪いのう」
○
「俺の概創霊装は『繋がり』を辿って敵を精神世界に引き込む。だから、普通は対象に触れることでそれを達成してるんだが──」
バティンは誇らしげに笑った。卑怯で陰惨な不意打ち。美しさとはかけ離れた行為を、何より醜い『私怨』をもって為す自分の身を省みながらも、誇らしげに笑えるくらい今のバティンは強かった。
「──お前は俺に関わりすぎたんだよ、サミジーナ」
○
「……あれ」
ところかわって洋館。あどけない声が呟いた。それは少年だった。男性だった。少女だった。女性だった。
ありとあらゆる生命の可能性を一身に宿す者──それこそがサミジーナだった。彼は少年の姿で頭をおさえて言った。
「どうしてだろう。なにか、大事なことを見落としている気が……まるでそのことを綺麗さっぱり忘れてしまったみたいに」
そんなサミジーナに話しかける声があった。彼の対面に座っている男だ。にやにやとした、いやに気分を損ねさせるたぐいの笑みを浮かべた男だった。
男は名をバアルと言った。
「大したことじゃないでしょう? 『序列四位』であるあなたが、下賤な精神汚染など受けるわけがない。たとえ相手がかの鬼才、バティンであろうとも」
少年──『序列四位』サミジーナは困惑して言った。
「君は一体なんの話をしているんだ? いや待て、その前に、バティンとは誰だ?」
バアルはやはりにやにや笑いながら言った。
「誰でしょうねえ……」
サミジーナはため息をついた。バアルがこの笑い方をする時は、決して口を割らない時なのだというのを知っていたからだ。それから剣呑な瞳でバアルを見つめた。
「それで今日は何をしにここへ来たんだ? ようやっとお眼鏡に叶った、ってことか?」
バアルは首をすくめた。
「いえいえ、ソロモンが概創霊装を発現したと聞きましてねぇ。いてもたっても居られず会話の相手を探しておりますと、サミジーナ殿がいらっしゃったのですよ」
「この僕を暇つぶしの相手に使うか。はっ、確かに僕はソロモンだかソラマメだかに興味はないけれど、決して暇なわけじゃないんだよ」
後ろのメイドがじっ、とサミジーナを見つめた。その視線に気が付いてか、サミジーナは笑った。
「どうしたの、アンドラス? 何か言いたげだね」
「……いえ。少なくとも私はあなたさまが働かなくていいよう、誠心誠意努めているつもりでおりました、というだけです」
ぷいっ、とメイドはそっぽを向いた。それはまるで照れ隠しか、拗ねてしまったかのような動作で、しかしその言葉の節々からサミジーナを慮る雰囲気があるのがなんとも可愛らしかった。
「あはは。ごめんねえ、そうだった。アンドラスのおかげで僕は暇だよ」
「……ほ、本当ですか?」
「うん」
サミジーナはメイドをを手招きした。そして前方を指で示すと、メイドはそこに跪いて、まるで『待て』をさせられた犬のようにソワソワし始める。それを見て、サミジーナは満足そうに彼女の頭を撫でた。
メイドは幸せな絶頂にいるかのようにはにかんだ。
次の瞬間だった。幸せそのものといったような彼女のその瞳の奥、そこにある理性が一転憎悪に染まった。ぎりぃ、とアンドラスは歯を食いしばって何かに耐えるような表情をして、彼女は眼前の仇敵に襲い掛かろうとする。だがそれもサミジーナがぱちん、と指を鳴らすと、笑顔に戻った
「……今度はまた、面白い『設定』の死霊ですねえ」
「は? 何を言ってる。アンドラスはアンドラスだ。まさかお前、僕のアンドラスを否定するつもりか?」
表情を消してサミジーナは言ったが、思い出したかのように笑顔になっていった。
今はなぜか気分がいい。魔界の顛末については何故か記憶が曖昧だが、『アンドラスの回収』という第一の目標は達成された。
「ああ、ダメだ。僕はアンドラスのおかげで暇なんだった。君の暇つぶしに付き合ってあげられるくらいにはね。それで、今日はどんな話をするつもりなんだい?」
バアルは珍しく狼狽していた。あらゆる死を統べるサミジーナは、それつまりあらゆる死を経験し、それが故にあらゆる人格を統べる。気まぐれの極地。多重人格なんて大層なものではなく、一つの人格の中に無数の『スイッチ』があるような人物が、『序列四位』サミジーナであった。
時に無邪気な子供であり、時に傲慢な主君である。ある時は妖艶な美女であり、ある時は慈愛に溢れた聖人である。姿形さえ定型を取らず、絶えず変わり続ける死霊の王。
バアルも切り替えて言った。なんであれサミジーナの機嫌が良くなったのはいいことだ、と。
「聞いてください。先ほども言ったんですがねぇ、ソロモンが概創霊装を使用したんですよ!」
「はあ、それが?」
歓喜を隠そうともせずにバアルは顔に喜色を浮かべた。
「はい! 『概創霊装』は技術もそうですが、何より相応の魔力が無ければ使えない。つまり、ソロモンの現在の肉体の、そのポテンシャルが証明されたんです! まあ、最高の依代を用意したわけですから予定調和と言えば予定調和ですが、成功が知れた時の喜びと言ったら!」
バアルは語り出すと止まらなかった。うんちくはもとより聞いてもいないことまで話し始めたので、サミジーナは問うた。
「……わかった、わかったよ。で、ソロモンが強大な肉体を手に入れたからなんなんだい? たしか彼は肉体に依存しない魔術──結界魔術だったか。それを使うんだろう。だったら、それは喜ぶほどのことじゃなさそうに思えるけど」
バアルはやはり上機嫌に指をちっ、ちと振った。まるで道理のわからない子供に説教するようなその仕草にサミジーナは苛ついたが、それでも黙って『暇つぶし』に付き合ってやるのが、数少ないサミジーナの美点だった。
「かつてソロモンが『序列八位』だったことは知っていますね? これは、『核生成』が全くできず、『塗装』だけしかできなかったのに、この順位なのですよ」
はあ、とサミジーナはため息をついた。
「だから『塗装』だけでも発動できる魔術が結界魔術なんだろう? ソロモンにおいてそれはハンデではないんじゃないかい?」
「いえいえ、それは違うんですよ」
バアルが言った。
「かつて、もしもソロモンが常人レベルの『核生成』ができたら──彼は世界を統べていたかもしれないくらいなのですから」
がたり、とサミジーナは音を立てて立ち上がった。辺りを見回して、それから『魔界』の方を向いた。ソロモンやモラクスたちがいるところ。それを見たバアルは自分の考えに賛同してくれたのだと思って、尚更上機嫌になった。
「ここからでも感じられるでしょう? 私が用意したソロモンの肉体の素晴らしさが!」
「……ああ」
魔界。『序列四位』サミジーナが感じ取ったものはソロモンの肉体のポテンシャルではなかった。モラクスの千年夜城の魔力でもなかった。
(これは……冥界に主人が戻ったな……?)
『魂の管理者』の復縁。シストのわがままによって、この時より冥界には『冥界の主』が再度、鎮座することとなった。
今まで、彼の不在をいいことにサミジーナは好き勝手に死霊を蘇らせてきた。それを自覚するサミジーナは面倒だと思うと同時に、楽しくなってきたとも感じた。何事も順調なばかりではつまらない。
それにこれは好機でもある。いままで行方の知らなかった『冥界の主』を手に入れる好機。
サミジーナは笑った。バアルもそれを見て笑った。それは側からみれば談笑を続けるただの大魔術師たちで、そして、サミジーナは立ち上がったままに部屋を退出しようとした。
「おや、もうお別れですか」
「ああ。付いてこい、アンドラス」
アンドラスは従順に従った。バアルはやはり恍惚と天を仰ぎながらも身支度を整えてふっ、と姿を消して、サミジーナは音を立てて扉を開いた。
「……はは。ブラズに、シストか。太古より生きる小人族のその腕前、存分に堪能させてもらうぞ」
彼の表情は新しいおもちゃを見つけたかのように獰猛に歪んでいた。
穏健派と好戦派について改めて解説です。
穏健派……ソロモンを殺したいがためにバアルと契約を交わし、ソロモンが転生するまで鳴りを潜めていた者たち。
好戦派……ソロモンなんかどうでもいいから、好き勝手に暮らす者たち。こいつらの中には『この時代の戦士たち』に狩られているやつも結構います。




