第五十四話 エピローグ
さて、これで話が終わったわけではない。そもそもからしてソロモンは状況を何一つ理解していないのだが、何も解決されていないことだけはわかった。
だから、会談の場が設けられた。『首脳会談』とでも言うべきそれは、ソロモン陣営からはダンタリオンとアストレアにソロモン、魔界陣営からはモラクスとバティンを迎えて始まった。
「それで、あなたたちはそもそも何をしに来たのかしら」
モラクスが尋ねて、バティンが笑って捕捉した。
「大体想像つくけど、改めてね。君たちがいなければ俺は人知れずモラクスを手にかけていただろうから、これは怒ってるんじゃなくて、帳尻を合わせてるんだ。希望があれば叶えるよ、って」
モラクスがぷいっ、と横を向いた。ソロモンとアストレアは目配せして、アストレアが目を閉じたからソロモンが口を開こうとした時、ダンタリオンが言った。
「いまのこやつ──ソロモン・ディビルズの境遇は知っておるな? こやつはあらゆる『ソロモンの悪魔』に狙われる立場じゃからして、工房を構えて迎え撃った方が良かろうということになったのじゃ」
「道理なのだわ。魔術師の真価は城を構えてからだものね」
モラクスは納得した。特に彼女は魔術師にとっての『工房』がどんな意味を持つのかを知っていたから。
しかし、ダンタリオンは次の言葉で前言を撤回した。
「──というのは建前で」
「はあ!?」
ソロモンは驚愕した。そしてダンタリオンを詰めようとするが、彼は知らんぷりにそっぽを向いて、暴れ出そうとするソロモンをどうどうとアストレアが諫めた。
「離せ、アストレアっ! 俺たちはダンタリオンの奸計に利用されたんだぞ!」
「まあ待て、憤るのは話を全て聞き終わってからでも遅くはないだろう」
果たしてソロモンは衝動を抑えて、それをモラクスは酷く冷めた目で見つめていた。ダンタリオンはそれを確認してから続けた。
「……いつくか理由はある。千年夜城が危険すぎたり、それでなくてもここにはソロモンの悪魔がおりすぎとったり。じゃが──」
ダンタリオンはモラクスと目を合わせて言った。
「──それに比べて、あまりに妨害がお粗末じゃったとは思わんかのう?」
モラクスは目を閉じて同意した。
「確かに、言われてみればその通りなのだわ。完成すれば魔力を使えなくなるというのに、誰も千年夜城の建設を邪魔しにこないのだもの。びっくりしちゃうのだわ」
「それじゃ。じゃったら、既に魔界には伏兵がおると考えるのが妥当じゃて。それも一人でモラクスを、いや魔界におる全ての手だれを相手にしても勝利できるほどの、な」
ダンタリオンはバティンをちらと見た。バティンはたははと笑って頭を掻いた。責めておるわけではない、とダンタリオンは続けた。
「ならば疑うべきは洗脳だとか操作だとかじゃろう。そして、儂は最悪を想定しておったというだけじゃ。『魔界にはサミジーナの魔の手が伸びておる』と」
「……一理どころか大正解だったね。確かにサミジーナが睨みを利かせていることを知ったら、誰も魔界なんて放っとくだろう。彼が千年夜城の完成をみすみす許すはずないんだから」
バティンが言って、モラクスがきっ、とバティンを睨んだ。
「魔界なんて、とは酷い言い草なのだわ。それにどの口が言っているのかしら。洗脳されていた張本人が」
「ごめん、ごめんよ。悪かったです。でも、それについては言いっこなしってさっき決まったでしょう?」
口調こそ剣呑なそれだったが、彼らの心に刺はないように見えた。ダンタリオンは彼らの会話が終わるまで待ってから言った。
「なお酷いのは、千年夜城の魔力がサミジーナに利用されることじゃった。それを阻止するために、儂はソロモンらを率いてここに来たんじゃ」
モラクスらは納得した。そして、ダンタリオンの語る最悪が回避されたことを喜んだ。バティンもダンタリオンへ感謝の言葉を述べて、そして、会合は終わった。
○
「……え?」
ソロモンは誰もいなくなった部屋で呟いた。寝過ごしたわけでも先の会談の結論に納得したわけでもなければ、ただ、理解が間に合わず呆けていただけだった。そして、既にその疑問をぶつけるべき相手はここにいなかった。
「サミジーナ、って誰だ? 千年夜城──はともかく、つまり、俺はタダ働きしたってこと?」
人知れず、世界の危機を救ったのかもしれない。それはするべきことではなくしなければならないことだったのかもしれない。だけれど、それはひとまず置いておいて。
では、ソロモンは徒労を行ったのか、と。シトリー・グリフォンやフェネクス・ポイニクスは命を落としても仕方がないくらいの強敵だった。彼らとの死線を潜り抜けたことが無償の奉仕であるというのは、割りに合わない仕事が過ぎるのではないか。
そして、幸運か否か、ソロモンのひとりごとに答える声があった。
「騙される方が悪いのだわ」
まだ幼い女性の声。刺々しさを隠しもせずにソロモンと場を同じくするは、魔界の主、モラクスその人だった。
ソロモンは言った。「だま、される……?」
「そうよ」モラクスは繰り返した。「建前と本音。ダンタリオンの提案はそんなに魅力的だったのかしら?」
ソロモンはしばらく考えた。そして慎重に言葉を選びながら言った。
「今思えば、不自然かもしれない。でもそれはどこまで行っても『かもしれない』レベルのものだ」
モラクスは鼻で笑った。
「はっ。じゃあ聞くけど、『工房』だなんて設備が整っていればどこにでも作れるのだわ。どんな田舎の山奥にでも、栄えた都市の中心にでも。じゃあなんで、その場所にわざわざ『魔界』を選んだのかしら」
「それは──」
「そう。お前の作る『工房』は、ソロモンの悪魔を返り討ちにする場所──つまり戦場になるのだわ。民家の只中に作って、彼らをそれに巻き込みたくなかった。……違う?」
「そうだ」
ソロモンは頷いた。そして、続くモラクスの言葉で口を閉ざさざるをえなかった。
「じゃあ、魔物は巻き込んでいいのかしら」
何も言えなくなった。魔界に来る前はここが魔物に不当に占領された街だと思っていたから。そしてそこに秩序はなくて、ただ害獣が群雄割拠している場所だと思っていたから。だがそんなことは関係ないのだ。たとえどのような理解を胸に行動していたとしても、ソロモンが魔界を侵略しようとした事実は変わらない。
「お前は見たかしら? その様子だと見たみたいね。どうだった、わたしの街は? 魔物が知恵を持たず、ただ搾取される時代はとうの昔に終わったのだわ」
ソロモンの脳裏に蘇るのは、フードを被って行動した数日の間に目にした、魔界の『街』の姿だった。通貨を用いて買い物をし、理性をもって暮らす獣たちの姿。それに対して『人間の街とそう変わらない』という感想を抱いたのを、ソロモンは覚えていた。
「お前は最初から間違えていたのだわ。今回のタダ働きはその勉強代とでも思っておきなさい。もっとも──」
モラクスは遠くを見ながら続けた。
「──ダンタリオンはあれでなかなか義理堅い男なのよ。そのうち、この恩は返してくれると思うのだわ。それまで黙って待つくらいの器は見せなさい」
話は終わった。それを感じて、ソロモンは最後に一つだけ聞きたいことがあったのを思い出した。「ひとつ聞いてもいいか」と尋ねると了承されたので、ソロモンは言った。
「なあ、モラクス。俺は君のことを、『完全受動態』の悪魔、魔界に城を構えた時点で世界を征服した悪魔。受動態でいる限り最強の悪魔、と聞いていたんだけど、それだけの力がありながらサミジーナとやらには勝てなかったのか?」
モラクスはきょとんとした顔をした。目を丸くして、それから手を顎に当てて考え事をした。何かに思い当たったようだった。そして笑った。
「ああ、それ、嘘なのだわ。本当は千年の間戦う力なんてこれっぽっちもなかったのだけど、そう言っておけば、多少は侵攻を躊躇ってくれるかなーと思って」
呆気ないことだなとソロモンは思った。それでその場を後にしようとしたソロモンだったが、部屋を出る前にモラクスに呼び止められた。まだなにかあるのか、とソロモンは振り返った。
「お前が変なことに悩んでいたから、そもそもの用件を忘れていたのだわ。お前に──」
モラクスは人差し指一本で真上をさす。その爪の先に、くるくると魔力が舞った。
「──最後の最後、きっちり私の魔力を制御してくれたお前に、私からも褒美くらいは授けてやるのだわ」
○
ソロモンらが別の部屋で話し合いをしている頃。暇を持て余した者たちがいた。城六伯の面々である。とりわけシトリーは、こういった手持ち無沙汰な時間が大嫌いだった。
「なあー、フェネクスー」
「……なにかな。僕は暇じゃないんだ──ってわけでもないけど」
ここはフェネクスの『工房』だった。城六伯のメンバーは城の中にそれぞれ工房を持っている。そこは互いに不可侵が暗黙の了解となっていたのだが、あまりの暇に、シトリーはフェネクスのそれに遊びに来ていた。
フェネクスは机に肘をついてぼうっとしていた。会話に応じるにまんざらでもなさそうなその様子を見て、シトリーは問うた。
「お前、これからどうするんだよ」
「……これから、って?」
「モラクスは魔力を解放しちまった。また千年、待たなきゃならねえぜ」
千年夜城の完成には文字通り千年の時間を必要とする。完成間近だったそれは水泡に帰して、もう一度ゼロからやり直さなければならなくなった。
「そういうお前はどうするんだよ、シトリー」
フェネクスはどうでも良さそうに聞いた。それは気持ちの整理をつけているみたいな仕草で、未だ状況を信じられていないのがシトリーにはわかった。
「……俺はもうあと二千年くらいは待つよ。もとより一回二回の妨害は織り込み済みだ。一回結んだ約束を違えんのも趣味じゃねえしな」
「ははは」とフェネクスは笑った。「強いなぁ、シトリーは」
「……それで、お前は?」
フェネクスは笑い声を潜めて、ため息をひとつ吐いてからいった。
「……はぁ、うん。僕はね、何度も言ってるけど『最強』が嫌いなんだよ」
「知ってるよ」シトリーは相槌を打った。
「それでさ、千年夜城が完成したら、きっと最強はシトリーになったと思うんだ、僕」
千年夜城の完成。世界から魔力が消えて、モラクスだけが魔術を使える世界。そして、対象の全盛期を真似ることのできるシトリーは、モラクスを真似てしまえば、その世界でも魔術を使える。
そして、互いに魔力無限の状態でモラクスとシトリーが戦えば、きっとシトリーが勝つだろう。自明たる最強だった。
フェネクスは言った。
「でも、この調子だと向こう二千年は『最強』は生まれないだろうなぁ……」
ちらり、とシトリーは盗み見られる。フェネクスのそれは悪戯をする子供のような仕草で、シトリーは馬鹿馬鹿しさに笑った。言外に『お前はまだ最強じゃないんだぜ、シトリー』と言っているのだ。
だが、今現在の自身の未熟は、シトリーも認めるところだった。
「……だろうな。千年夜城をみすみす放っとくやつもいねえだろうし」
「うん、だからね」
フェネクスは笑った。
「僕、アガレスのところへ行くよ」
アガレス。『序列二位』のソロモンの悪魔であり、そして、かつて結界内を事実上取り仕切っていた最強。隙のない概創霊装に類稀な頭脳をも併せ持つ老賢人。
「……そうか。裁定者ってのは大変だな。『最強を許さない力』──『審判の時計』の強制力はそんなに強いか」力に支配されるというのはどんな気持ちなのだろう。フェネクス然り、勇者然り。「……アガレスが自発的に何かするとも思えねえが」
シトリーは心から呆れたようにそう言った。
フェネクスも笑った。
「する、しないじゃないんだよ。何もしなくてもいいのが、アガレスらしいじゃないか」
「……それもそうだ。何もしてないところを見るに、あいつは今でも最強なんだろう」
シトリーは頑張れよ、とフェネクスを送り出した。
○
「何言ってるの。もう死ぬ理由もなくなったんだし」
「……そうか?」
ところ変わって屋根の上。ここは屋外でありながら、グリーディア──もといフィランソロフィの『工房』だった。対面するはツラトゥストラ。不可侵のそれに自ら侵入したのではなく、フィランソロフィに招かれたから彼はここにいるのだった。
そして、ツラトゥストラが彼女に「魔界に残るのか」と尋ねたところ、先の返事が返ってきたのだ。
フィランソロフィは言った。
「千年夜城は『貧民の剣』をぶっ壊してやるための手段の一つだったし、なんでぶっ壊したかったかって言ったら死にたかったから。死にたくなくなったから、もう私に魔界に残る理由はないのよ」
フィランソロフィはいつにも増して機嫌が良かった。煙草を咥えているからかもしれない。自分の憩いの地に戻ってきたからかもしれない。何はともあれ、それはツラトゥストラにとって喜ばしいことだった。
そして、その言葉を聞いてツラトゥストラは謝罪した。
「……そうか。もうその問題を解決する必要はなくなったのだな。『俺がなんとかしてやる』と約束した手前気恥ずかしいが、その必要がなくなったのならば何よりだ」
ところが、その言葉を聞いてフィランソロフィは眉根を寄せた。そうして声を低く落として探るような目をツラトゥストラに向ける。
「……何とか、って、神剣──勇者様に頼るつもりだったでしょう」
「……? ああ、そうだが」
何でもなさそうにツラトゥストラは言った。それから彼女はすこぶる不機嫌になってしまったので、口すら聞いてもらえなくて、ツラトゥストラは泣く泣く自分の部屋に戻って、身支度を整えるのだった。




