第五十三話 制御を丸投げされる
話は数刻前に遡る。
「俺たちは勝たなくていいんだ」
高い鼻。パーマのかかったふわふわな金髪。真っ白な肌にぱっちりとした目。
そんな眉目秀麗な男──バティンは言った。フェネクスとシトリーは頷いたが、もとより今の彼らがバティンに逆らうことはない。これはここにいるもう一人への確認だった。
「時間を稼ごう。決してモラクス王のもとへ行かせないように。そうすれば、千年夜城が全てを終わらせてくれる」
ここにいるもう一人。ただ一人正気の存在。サミジーナに操られてもいなければ、バティンに記憶を弄られてもいない、淡い金髪の少女。うっすらと半目の彼女だけが、誰にも憚られることのない自分を持っていた。
「だ、だけど、私たちの千年なのだわ──」
「モラクス王」
そう、モラクス。八重歯をたたえた少女のその言葉は、しかし言い切る前にバティンに遮られた。
「俺たちにはこれしか残されていないんです。サミジーナに使われるか、俺たちが使い切るか。二つに一つでしょう?」
「……バ、バティンは、サミジーナにソロモンらの迎撃を命じられている、のよね……?」
モラクスが言った。
「はい。曰く、手段を問わずに、と。ならば、今すぐ千年夜城を起動してしまいましょう」
未だ逡巡する様子を見せるモラクス。かがみ込んで視線を合わせてから、バティンはもう一度、優しく微笑んだ。
「やろうと思えば、彼らを打倒することも可能でしょう。シトリーもフェネクスも優秀だ。でも、その選択が迎える結末は、あなたの千年がサミジーナに浪費される未来です」バティンは表情暗く俯いて、モラクスを見上げた。「そんな世界なんて、俺には耐えられません」
モラクスも俯いた。ぷるぷると震え、そしてそっぽを向いた。バティンに涙を見られたくないのだ。そして、服の裾で目元をごしごしと拭ってから、バティンの方に振り返った。
口を開く前に、もう一度モラクスは俯いた。
「わ……私があの時、あなたを守れなかったから──」
「モラクス!」
びくっ、とモラクスの身体がはねた。
「それは言いっこなしです。あれは、サミジーナの邪悪をはかりかねた俺のせいでもあるんですから」
「……」
しばしの沈黙を経て、モラクスは髪を梳きながら言った。
「……そう、ね。そうなのだわ。じ、じゃあ……ちょっとだけ、頑張ってくるのだわ……」
あともう少し。あと、本当にもう少しだったのに、と。悔しがるモラクスは、頬を染めながらバティンのもとへ歩を進めた。
「……ん」
「はは」
バティンは笑った。そうしてモラクスの頭を撫でてやった。それはとても優しい手つきだった。
「久しぶりですね、こういうの。長らくあなたは『王』だったから。……確かにここには僕ら以外誰もいない」
「……うるさいのだわ。黙って続けて」
モラクスはいっそう深く頭を埋めた。朱に染まったその顔を見られたくないかのように。それを知ってか、バティンも空を見上げながら、モラクスの頭を撫で続けた。
「……もう、会えないかもしれないんだから……」
「会えますよ、きっと」
バティンは言った。
「最初から間違っていた。千年前のあの日、俺が死んだ時から。そのツケを払わされているだけです」
俺たちはきっとまた会えます。その言葉を信じて、モラクスは奥の部屋へと進むのだった。
○
モラクスは奥の部屋へと行った。シトリーとフェネクスは迎撃の準備に出た。
はあ、と。
「……美しく、ないよなぁ……」
誰もいなくなった部屋で、バティンはため息をついた。
○
膨大な魔力。膨大、という言葉すら生温いソレ。『ソロモンの悪魔』が、文字通り千年を捧げたソレ。それをもってすれば何をも達成できそうな理不尽は、容赦なくソロモンらを襲ったハズだった。
だけど、膨大な魔力の本流の中にいながら、誰も意識を失ってすらいなかった。
「あれ……?」
ソロモンは困惑に呟き、アストレアも神剣を振ろうにも振れない、そんな時だった。
「ソロモン!」
背後からソロモンを呼ぶ声があった。それはあどけないながらも大人びた、決してここにはいないはずの声で──
「シスト! ツラトゥストラも!」
──しかし、ソロモンは歓喜した。妖精族に次いで寿命の長い小人族、その実質的な長たる彼女は、いつもこういう時に助言をくれた。
だが、解決策を示したのは彼女ではなかった。
「お前、それでも結界魔術師か!」
ツラトゥストラ。アストレアの教育係であり、アストレアを救おうとしていた男。独学で結界魔術を修めた彼は、馬鹿にするような声音で言った。
「この『声』が聞こえないのか!?」
「ああ!?」
たまらず叫び返したソロモンだったが、その言葉には素直に従った。声、と。耳を済ませてみると確かに、そこには『意思』が点在していた。
先人の言葉が思い出された。曰く、『魔力とは生き物である』と。
「言ってるだろう! 魔力が、空気が、『この俺を御してみろ』と!」
「ああ、言ってるよツラトゥストラ! どっちかっつったら『この私を』っぽいけどな!」
「性別なんて関係あるか!」
「あるだろ、この感じだと術師は女性だ!」
くだらない言い合いを続ける二人にアストレアが言った。
「話が見えない! 結局事態はどうなっている!? 私は何をすればいい!」
「つまりだなぁ──」
ソロモンは言った。興奮に両手足を広げて、理不尽を嘆くかのように、しかし嬉しそうに言った。
「──俺たちがこの魔力を頑張ぁって制御し切ったらみんなハッピー! できなければまとめて爆発だ! アストレアはもしもの時のために神剣構えといてくれ!」
膨大な魔力は、いまかいまかと純度を高めている。それはただの魔力の塊だ。決して指向性を与えられた『魔術』ではない。しかし、そこには強い意思だけが色濃く反映されていた。
「ツラトゥストラ、手伝え!」
「言われずとも」
二人はやった。魔力の意思を尊重しながら、それを『術』へと昇華させる行いを。『制御』を放棄することを誓約にこの『膨大さ』を獲得しているのではないか。そう思わせるほど莫大な魔力の、そこに宿る『意思』を実現する試みを。
「おい、こら邪魔するな!」
「邪魔はそっちだ、それでも開祖か?」
一刻一秒を争う作業だった。言い合っていたのもほんの数秒で、それが過ぎれば二人は何も言わなくなった。魔力の流れに合わせて最適解を導き出す。繊細なその作業が、二人に『以心伝心』ですら生温い一体感を与えていた。
ツラトゥストラの心が手に取るようにわかる。ツラトゥストラも、ソロモンが何を思ってどうするかわかる。
極限の集中は、まるでしのぎを削り合う好敵手がようやっと戦えたかなような、至高のひと時を生み出して。
「ちく……しょう! こ、んな、経験は、アストレアとしたかった!」
そして、二人はやり切った。二人がぜえはあと息を吐きながらその場に弾き飛ばされて、そして魔力は制御された。
それは小さな太陽だった。膨大な熱とエネルギーを内包する小宇宙。鳴動、胎動する力は唸りながらも球体に安定し、頭上に鎮座していた。あとは少し『指向性』を与えてやれば、それは魔術へと変貌する。
そして直後、待ってましたとばかりに力を解放する存在があった。
「あなたの思い受け取ったわ、モラクス王」
『冥界の女主人』シスト。彼女が用いる力は、後にも先にも一つしかありえなかった。
「この魔界を、封印すればいいのね……?」
強烈な光が舞うこともなければ、途轍もない破壊が繰り広げられることもなかった。
シストが術を完成させた後、そこに残るはただの静寂だった。
耳が痛いほどの静謐。未だ警戒を続けるアストレアに、やり切った表情のシスト。そして。
「……や、やりきったぁ……!」
ソロモンとツラトゥストラは、お互いを称え合いながらその場に崩れ落ちた。
○
こつ、こつと。自分から歩み寄ることはあっても、彼女の方から歩み寄られることは、久しく無いことだった。
彼女は自分の方へと歩みながら、しかし途中で立ち止まって、誰かに話しかけた。
「……ありがとう、ダンタリオン」
「なに、これで一件落着じゃて」
ダンタリオン。サミジーナの敵というだけで、間違いなく自分の味方であるはずの存在。だというのに、自分は彼に散々なことをしてしまった。
「魔力の『声』が聞こえるだなんて……そんなわけがあるか、たわけどもが。儂の『古代の書庫』の応用じゃて」
もしかしたら、『結界魔術』の使い手にしかわからん感覚もあるのかもしれんがのう、とダンタリオンは言った。
「語弊なく『意思』を伝える……切迫した状況なら、これほど使い勝手の良いものもないのだわ」
彼女も称賛した。そしてそのまま談笑を続けようとする彼女を、しかしダンタリオンは引き離した。
「主や、今は儂と話すよりも、やるべきことがあるじゃろう」
「……」
沈黙。少しして、また足音が聞こえ出した。一つだけ。小さな足が、小さな歩幅で歩む音だった。それは、迷うことなくこちらへと続いていた。
足音はあともう少しで自分をまたぐ。そんなところで止まった。話しかけられはしなかった。
だから、俺は自分から話しかけた。
「どうされたのですか、モラクス王」
モラクス。『序列二十一位』だなんて冠しながら、普通の女の子な彼女は、嗚咽を漏らしながら泣いていた。
「……本当に、どうしたんですか」
「ま、魔力を……えっ、ひっぐ……」
嗚咽を繰り返しながら、モラクスは言った。だから、俺はそれを決して遮らないように黙った。格好悪いところは見せたくないのに、仰向けの身体は口以外ぴくりとも動かなかった。
「世界の、ま、魔力を、封じるには……少し、た、足りなかったのだわ……」
「……そうですか」
「だ、だから私は……制御をま、丸投げして、『結界』を、張ってもらったのだわ……」
結界? 俺は困惑した。そんな計画は知らないものだった。モラクスが俺に勝手に物事を決めるのも、久しくないことだったから、俺は困惑した。
「そう、結界」モラクスは微笑んだ。「何人たりとも、私の許可なしにこの魔界には手だしできない結界」
それは俺も一度は考えたことのある選択だった。だけど、それには致命的なデメリットがあるから、俺ならばまだしも、決してモラクスが選ぶような結末ではなかったはずだった。
「モラクス王。『外からの影響を遮断』、と言いましたね。それだと、一度死に、そしてサミジーナからの魔力供給で生きながらえている死霊である俺は、死んでしまいますよ」
だけど、それがモラクスの選択ならば俺は迷いなく死を選ぶ。それくらいの覚悟、いや『愛』くらいはあるつもりの俺だったが、それでも少し悲しくなってしまった時。
モラクスがふっ、と微笑んだ。
「私が何年魔力を溜めてきたと思っているのかしら。あなたを永遠生かすくらい、わけないのだわ」
俺は言った。
「そう、ですか……」
やっと、右手が動き出した。ここで動かなければ、俺はこれだけ俺を痛めつけたダンタリオンを生涯許さなかっただろう。
格好悪いところを見せたくない俺は、ようやく動き出した右手で目元をおさえた。
「それは……ありがとう、ございます……!」
だというのに、涙は後から後から溢れ出てきて、右手だけでは到底拭いきれなかった。にぱっ、と笑うモラクスは、黙って俺の頭を撫でてきた。
ソロモンがフェネクスの『審判の時計』を自力で解決してしまったがために、急遽作ったツラトゥストラの見せ場。本当はまだ『万物の主』を出すつもりは無かったのに……。




