第五十三話 千年夜城が建つ
城前。あともう一歩で城に踏み入り、仲間を助けられると意気込む二人がいた。
ツラトゥストラ。そして、フィランソロフィ。
しかし二人は、予想もし得なかったトラブルによって停滞を余儀なくされていた。フィランソロフィの動転、そして裏切りである。そんなどうしようもない状況は、未だ改善されてはいなかった。
「フィランソロフィ! 自分を強く持つんだ!」
ツラトゥストラが言った。フィランソロフィに手を出すことはできず、しかし彼女はツラトゥストラを容赦なく襲う。その結果として彼女を追い詰めていないのが、不幸中の幸いか、そんな言葉しかかけられない自分にツラトゥストラは嫌気がさす。
「何かが間違ってる! こういう時に信じるべきは魔術の効かない勇者だ! アストレアは神剣で全ての魔術を弾くから、彼女は誰に何の影響も受けていない!」
ツラトゥストラは続けた。
「そして、アストレアはバティンがモラクスを誑かして、千年夜城を台無しにしようとしていると言った!」
「それは勇者にダンタリオンが植え付けた知識でしょう!」
フィランソロフィは叫び返しながらも、その手を止めることはない。猛攻を必死に凌ぐツラトゥストラを眼下にフィランソロフィは続けた。
「そんなところまで考えたら、もう何を信じればいいかわからないじゃない!」
「だったら──」
「だから、私は私を信じるの!」
ツラトゥストラは怯んだ。彼は、フィランソロフィが遙か昔から千年夜城のために働いているのを知っていた。
「千年よ、千年! 千年間も私はバティン主導の千年夜城計画に仕えてきたわ! それを否定してしまったら、私が私でなくなってしまう!」
ツラトゥストラは何も言えなくなった。そこから先は会話のない、ただの戦闘だ。ツラトゥストラが決して反撃しないので、ジリ貧であることは誰の目にも明らかだった。
そして、終わりは唐突にやってきた。
「何やってるの」
凛とした声が響いた。それは希望を叶える救世主のそれのようにも聞こえ、また絶望をもたらす死神の声のようにも聞こえた。
続いてぱちり、と、指を鳴らす音が聞こえた、その次の瞬間だった。
「フィランソロフィ!」
糸の切れた操り人形のように、猛攻を続けていたフィランソロフィの身体が崩れ落ちた。それが地面に倒れる前に抱きかかえ、ツラトゥストラは後方、声のした方に向いた。
「君は、確か──」
──降りたのではなかったか、と。
真っ白な髪。拙い背丈。未成熟な身体に、そして、強い意志のこもった瞳。
帰ってきた冥界の主は、ツラトゥストラに言った。
「降りたのはブラズ。私はまだ戦いたいの。それで、これはどういう状況?」
ツラトゥストラは説明した。フィランソロフィの異常と、それに伴い、未だソロモンらへの加勢が叶っていないこと。
シストは言った。
「フィランソロフィ……さんは寝かしときましょう。不安要素だわ。今すぐ私たちだけでも、加勢に入るべきよ」
「でも──」
「恐らく精神操作を受けているの。私が“他者とのつながり”を封印して気絶した、ってことは、彼女は何者かから操られていたと見るべきだわ」
シストは先ほど何を行なって、そしてどうして今フィランソロフィが意識を失っているかを推測した。ツラトゥストラはかなり渋ったが、『封印結界』でフィランソロフィを保護しておくことを条件に、シストの提案を承諾した。
「急ぎましょう。『ソロモンの悪魔』がこれだけいるというのに、どこか空気が静かすぎる。まるで敵は最初から勝つ気がないみたい。なんだか嫌な予感がするわ……」
先導するシストの後ろを、名残惜しそうにフィランソロフィの方を度々振り向きながら、ツラトゥストラは続いた。
○
ソロモンは困惑した。
「どうなってんだこれ……?」
目の前には蹲るシトリーとフェネクス。先ほどソロモンとアストレアに『古代の書庫』で送られてきた言葉はこうだ。
『こやつらはバティンに記憶を弄られておる。無理やりに正常に戻してやるわい』
確かに、這いつくばるシトリーらがうわ言のように呟くのは『バティン……モラクス?』だったり、『千年の魔力が……千、城は……?』だったり、何かしら頭の中で情報を整理しているように見えた。
ソロモンは言った。
「じゃあ、これで解決ってことか?」
「いや、それがのう……」
ダンタリオンは戸惑いながらも、自分の力無きを悔やむように、歯痒そうに言った。
「バティンは用意周到じゃった。まさか自分の記憶を消してまで、儂からソレを守りきるとはのう……」
ダンタリオンの『古代の書庫』は情報戦において類稀な力を発揮する。特に、先ほどのような好条件が揃えば敵の頭の中を彷徨って、記憶を読み取ることすら可能である。そこに『拷問』だとか『恫喝』だとかの手間は必要なく、対象から好きな情報を取り出せる。
だが、無いものは探せない。バティンは自分の記憶からソレをあらかじめ削除して、ついにダンタリオンから守りきったのだ。
ソレ、とは、すなわち──
ダンタリオンは言った。
「──ソロモンや。のう、今、肝心のモラクスはどこにおるんじゃろうの……?」
直後だった。膨大な、それこそ『ソロモンの悪魔』と比べても強大極まりない魔力が感じられた。背後、玉座のある、それよりも更に向こう側からだった。
「!?」
ソロモンはアストレアを庇った。それが気休めと知りながらも結界を張り巡らせた。アストレアもソロモンを庇った。それが魔術であれば神剣で斬り裂けると、ソロモンの前に立ち塞がり、その膨大な魔力と対峙した。
そして、ダンタリオンは横たわるバティンの指先が、ぴくり、と動いたのを見た。
「……ふふ。無駄、だよ……」
バティンはどこか誇らしげに、しかし自嘲しながら呟いた。
「俺、と……モラ……クスの、千年だぞ……?」
それをサミジーナのために使わなければならないのは不服だがな、と。
次の瞬間、魔力は大きく唸って、容赦なくその場にいた全員を飲み込もうとするのだった。
○
「……バ……ティン……」
真っ暗な部屋だった。照明を落としたからだ。醜い姿を、見られたくなかったからだ。
無数の目が、壁にびっしりと張り付いていた。何百、何千という目。今はまだまぶたが閉じているからそれほどでもないが、仮にそれが開かれた時を想像すると、怖気が走る光景だった。醜悪極まりない魔術だった。
「……あなたは、美しかったのだわ……」
そして、私はあなたのために、自分の美醜を捨ててまで、千年夜城を建てることを計画したのだわ、と。
『序列二十一位』モラクス。長い髪を梳きながら、裸足の彼女は呟いた。
「サミジーナは、許さない……けど、あなたが死んでは意味がないのだわ……」
流されるは涙。そっ、と愛しい子供にするように、モラクスは無数の目が閉じられる壁を撫でた。近くにあったまぶたが、気持ちよさそうな揺れた。
「ごめんね……バティン……」
そして、次の瞬間それらはパッ、と開かれて、膨大な魔力がモラクス自身をも飲み込んだのだった。




