第五十一話 バティンは抵抗する
「アストレア!」
「シトリー!」
それはほとんど同時に叫ばれた。ソロモンとフェネクスにだ。呼ばれた二人の反応も早かった。
「俺を神剣で斬れ!」
「勇者を止めろ、またソロモン・ディビルズのアレがくるぞ!」
アストレアがソロモンに駆け寄る。フェネクスの『審判の時計』がソロモンの概創霊装『万物の主』を封じているということは、神剣が自由になったことを意味する。その神剣をもってすれば、どんな魔術であれ斬り捨てることなど容易だ。
つまり、アストレアがソロモンを神剣で斬れば、ソロモンはまた『万物の主』を使えるようになる。
「ちぃっ、中途半端な能力だなぁ、フェネクス!」
しかし、そうは問屋が卸さない。シトリー・グリフォンが間に入って、アストレアと対峙する。ソロモンのところに行くには、シトリーを通り抜けなければならなくなった形だ。
「同時に一人しか封じられない制約があってこそ、あそこまで強固な封印を施せるんだよ。魔術は等価交換が基本だろう」
シトリーと背中合わせになって、フェネクスが言う。規格外の権化のような存在に基本を語られてしまって、ソロモンは少し呆然とした。
「等価交換、か。だったら、ソロモンのアレはどう説明する? 俺が意識を持ってかれるレベルの精神攻撃が、あの様子だとあたり一帯に必中だぜ」
「知らないよ。バアルは僕らの王だったからね、常識外れも大概にしてほしいけど」
制約ならある。それでも、ソロモンの『万物の主』はタネがバレなければ、なかなかに強力な代物であることは確かだった。規格外の扱いをされるのは存外悪くないものだな、とソロモンは思った。
「神剣も自由になったしよう、追い詰められちったな」
シトリーが言った。
「……なんだよ。まさか僕の選択に文句があるのか? だったらシトリーは神剣とアレ、どっちが危険だと思うんだよ!」
「ソロモン・ディビルズに決まってんだろ。あんな気持ち悪い思いはもうしたくねえ!」
「……だったら、死んでも勇者を自由にするなよ」
ちぃ、とシトリーが舌打ちする。言われなくても、と構える目の前にはしかし、万全のアストレアが待ち構えていた。
シトリーが冷や汗とともに、笑った。
「は、はは。急な目に力が灯るじゃねえか。てめぇの全盛期は未熟者に神剣一本で戦況をひっくり返される程度のものなのか?」
「……そうだな。確かに、そのようなやわな鍛え方はしていないつもりだが──」
アストレアも自嘲げに笑う。その脳裏には、神剣を持ったエンハンブルにいいようにやられた記憶がよぎる。
剣の中。あの何もない原っぱで、エンハンブルが満足げに微笑んだような気がした。
「──我が剣、エンハンブルはすごいんだ」
○
「それにしても、ダンタリオンはいつまで寝てるんだ?」
ソロモンが言った。ダンタリオンは、扉の近くで意識を失って、いまだ倒れたままだった。
○
「……制約なんかは、ないのかのぅ」
ダンタリオンが言った。あいも変わらずここは何もない『無の世界』。真っ暗で、陰湿で、自分の姿形すら定かではない世界。
「ここが精神世界であることはわかっておる。現実の儂がどうなっておるかくらい、教えてはくれんか」
『寝てるんじゃないかな。シトリーたちには手を出すなって言ってあるから大丈夫だよ』
まるで空間に響くように、バティンのその声は反響した。館内放送を聞いている気分だ。前後左右どこからも発される声。
ダンタリオンが言った。
「それは……儂の記憶を抜くためか?」
少しだけ、バティンは沈黙した。
『……おっかしいな。俺の能力は「瞬間移動」だ、というふうに、皆の記憶は改竄したつもりだったんだけど』
そうして、どこか寂しそうに、
『でも、俺の能力を知ってるんだったら、もう手遅れなことも知ってるだろ?」
ぞわっ、と暗闇の中で何かが蠢いて、ダンタリオンに巻きついてきた。蔦だ。ここは精神世界。バティンの思うがままに存在する世界。
ダンタリオンがバティンの能力について知っていることは多くない。せいぜいが『瞬間移動』はブラフであるということくらいだけだった。そして先の戦闘を経て、『精神操作』、もしくは『記憶操作』のたぐいだと推測し、カマをかけた。
「(記憶操作でアタリ、かのう。厄介じゃなあ)」
蔦はダンタリオンに絡みつく。そして、ダンタリオンが完全に身動きが取れなくなると、それはきりきりとダンタリオンの身体を締め出した。
「うぐうっ」
思わぬ悲痛に声が出た。バティンは続ける。
『ここは俺の世界だ。制約だって? この世界に入った以上、魔術の大原則はもう関係ないよ。その蔦が君を殺した時、君は終わるんだ。君の記憶の操作権は俺に譲渡される』
蔦はただ締め付けるのみならず、その数を増やし続ける。ここはバティンの創った世界。彼の意のままな世界だ。ただ殺すだけならば、剣を創り出したり、弓矢を創り出したりすれば事足りる。
それが、蔦なんかで時間をかけて事を為すのは、バティンなりの抵抗か。サミジーナに操られている今をどうにかしてくれることを、無意識にダンタリオンに望んでいるからか。
『….…すまない』
バティンは謝った。この世界に連れられて生き残った、いや、バティンに記憶を操られなかった者はいない。誰もがこの強力無比な、『当てたら勝ち』の概創霊装の前に朽ちていった。
だから、ダンタリオンの姿がもう蔦に覆われて見えなくなって、操る蔦に首の骨を折る確かな手応えを感じた時、バティンは黙祷した。故人を阿った。
それが、油断だったわけではないはずだ。だけど。
次の瞬間、ダンタリオンに巻きついていた蔦は霧散した。
『!?』
息遣いで、バティンが驚いたのが、ダンタリオンにはわかった。
そして、自由になったダンタリオンはふむ、と身体をほぐし、笑う。
「ほっほ。何を驚くことがある。ここが『精神世界』と言ったな。お主の頭の中の世界とあらば、儂とて干渉できるのが道理じゃて」
ダンタリオンは「『古代の書庫』」と呟いた。すると、何もなかったその場所に、真っ赤なソファと木の机が現れる。優雅にそこに腰掛けて、ダンタリオンは言った。
「勝負じゃのう。お主が儂の古代の書庫のからくりを見破るのが先か、儂がお主の魔術の隙を見つけるのが先か」
○
ダンタリオンは言った。
「どちらが先に見破るか勝負じゃ、とは言ったものの……」
真っ赤なソファに木の机。机の上にはコーヒーカップが置かれていて、ダンタリオンは悠長にもそれに手を伸ばす。
足元からは真っ黒な蔦がにゅるにゅると生えてきて、ダンタリオンを襲おうとするが、それもすぐに掻き消えた。
「儂の力にからくりなぞ無いしのう。相性が悪かったな、バティンや。 ……いや──」
それからも、真っ黒な蔦はダンタリオンを襲い続ける。しかし、能力が発動する前に蔦はダンタリオンの『古代の書庫』で掻き消され、それで攻撃はどんどん苛烈になる。苛烈になるが、それでも、ダンタリオンには傷一つつかない。
「──いや、お主には『全力でやったけどダメでした』っちゅう結果が、必要なんじゃろうのう。だから執拗に儂を襲い続けるんじゃ。ソロモンやアストレアらには目もくれず、儂だけを狙い続けるんじゃ」
バティンは答えない。しかし、蔦の動きが一瞬、鈍ったような気がした。
「これはただの独り言じゃ」ティータイムを続けながらダンタリオンが言う。「お主の概創霊装は、魔術を当てるところに制約をかけて、効果を強大にしておるのじゃな。発動が難しい代わりに、発動すれば必殺の魔術、と」
『……』
ダンタリオンは続ける。
「発動の条件はわからぬ。儂がわからぬのじゃから、誰にもわからぬじゃろう。お主はとてもうまくやっていたよ」
『……』
ダンタリオンは続ける。
「そして、発動すれば必殺。精神世界に引きずり込んで、ここで対象を殺害すれば、記憶の読み取りから改竄までなんでもできる。いや、恐らくもっと高度なこともできるのじゃろうな。だが──」
『……』
ダンタリオンは、続ける。
「儂の『古代の書庫』は言うなれば頭の中の改竄じゃ。お主の頭の中に情報を送ってやれば、否応なく、お主の頭の中と同期しとるこの精神世界も改竄される。ワシの思う通りにな」
そうして、ダンタリオンは言葉を切って、蔦の猛攻もようやく止んだ。コトリ、と、中身の無くなったコーヒーカップが机の上に戻された。
そうして、か細く、絶望したような声音で、『どうして』とバティンは言った。
『……どうして』
それは、うわごとのように繰り返された。この世の全ての憎悪を足してもまだ足りないくらいの悪逆の念をもって、バティンはダンタリオンを糾弾した。
『どうして、種明かしをしてくれたんだっ!』
呪いの言葉を、ダンタリオンは甘んじて受け入れた。
『俺は相性的に君に勝てない! それに気がつかないフリをしている間は、僕は誰かを傷つけないで済んだのに!』
バティンは続ける。
『それを知ってしまった以上、僕は魔術を解除して、標的をソロモンやアストレアに変えなければならなくなったじゃないか! もうこれ以上サミジーナのために力を使いたくなんてないのにっ!』
「……安心せい」
ダンタリオンは、弔いを済ませるように敬虔な声音で、「『古代の書庫』」と呟いた。
次の瞬間だった。バティンの魔術は解除されて、ダンタリオンは現実世界に戻ってくる。身体を起こすと目の前には、のたうちまわるバティンの姿があった。
「うっ、うわ、がぁっ!?」
バティンは体を痙攣させて、発狂でもするように頭を抱えた。石壁に頭を打ちつけ続け、やがて、血を流しすぎたのか、意識を失った。
それを憐むように眺めて、ダンタリオンは言う。
「儂のここ最近百年分の記憶を一気に送り込んだ。他の誰でもない、儂の百年じゃ。この密度の情報に脳が整理をつけるのには、いかなお主とて時間はかかろう」
ソロモンとアストレア、シトリーとフェネクスが、ダンタリオンとバティンに気がつく。
アストレアとシトリーは極限の剣戟を続けていた。その隣りでフェネクスとお遊びのような戦いをするソロモンが、ダンタリオンに向けて叫んだ。
「おい、ダンタリオン! どこ行ってたんだよ!」
対して、ダンタリオンは呟いた。
「済まんの。『古代の書庫』」
改竄する。送り込む。強力無比なダンタリオンの概創霊装が、この場にいる誰もを襲った。




