第五十話 奥の手を引っ張り出す
ソロモンは思考を止めなかった。この時間、アストレアに負担を強いていると思うと、止めようにも止められなかった。そうして、フェネクスに問うた。
「てめえらの王ってのは、モラクスじゃないのか」
フェネクスはまるでわからない、と言った風に答える。
「……? どうして君が城から一歩も出ないモラクスのことを知ってるかわからないけど、モラクスは城六伯の一人、第四席だよ」
フェネクスにしても会話は本望、といったところなのだろうか。律儀にソロモンの言葉に応じてくれる。ならば、それはどうしてだ? 神剣を封じるほどの概創霊装に制約がないなんてことがあるのか? だから、今のフェネクスには戦闘能力はないのか?
疑問は尽きない。だが、闇雲に戦うだけでは勝てないのだ。舌戦をしたいのならばこちらこそ、望むところだ、とソロモンは頭を回した。
「そうか。ところで勇者の『不死』は対策してるんだろうな? 『対象の最も強い力を封じる』。その言い方だと、『審判の時計』では一種類しか力を封じられないやうに思えるが」
フェネクスは笑った。
「知らないよ。その辺はシトリーに任せてるんだ。でも──」
見据えるは後方。ソロモンの後ろ、剣戟するアストレアとシトリーを眺めて、フェネクスは言った。
「──今代勇者の『不死』は不完全なんだろう?」
ばっ、と、ソロモンもフェネクスに倣って振り向いた。そこにあったのは予想外の光景。シトリーが如何にアストレアをコピーしたとて、『不死』対『不死』の戦いならば多少は持つと思っていた。ジリ貧ではあれど、互いに決定打の無い戦いだと。
そこにいたのは、十人を優に超える、子供の姿のアストレアだった。まるで小人族のような背丈だった。
「再生するたびに細胞を消費するとかなんとか。まあ、なんにせよ限界があるんだってね、その『不死』に。あと数分斬り合ったら死ぬんじゃ無いかな」
「アストレア、一旦退け!」
しゃにむにかまわずソロモンは叫んでいた。そして、フェネクスなんかもう無視して、シトリーに襲い掛かった。あえなく一蹴されるが、シトリーを封魔結界に閉じ込めることに成功する。
「あん?」
次の瞬間には結界は斬られて霧散してしまったが、数秒の時間は稼いだ。その隙に、アストレアは大きく後退していて、ソロモンもその側に立っていた。
「大丈夫か!?」
「……なんとか、ね」
アストレアの答える声はそれはそれは弱々しく、どこか自虐しているようにも感じられた。
「私の全盛期、か。戦いの中で成長すればいい、なんて大口を叩いたが、すまない。厳しそうだ」
「謝らなくていい。俺だってシトリーには勝てなかった」
気丈に振る舞いながらも、格好をつけながらも、ソロモンは内心焦っていた。戦闘中の一分や二分なんて、ともすれば永遠のように感じられるほど長い。ツラトゥストラはまだ来ないのか! と、怒りにも似た感情を抱いて、その怒りを向けるべきはダンタリオンだと気がつく。だからせめてツラトゥストラは待つべきだと言ったのだ、と、たらればの話をすればキリがない。
さて、ところで、転生前のソロモンは確かに強者であったが、見据えていたのは世界最強。彼の戦いは基本的に挑戦であり、つまり、ソロモンは強者との戦い方も、なかなかに心得ている。事前準備なんかに繊細なのもそのためだ。
そして、ソロモンは勝利になりふり構わない。元『序列八位』としてのプライドを持って、ソロモンは口を開いた。
「なあ、シトリー。お前の王は誰だ?」
シトリー・グリフォンの顔に浮かぶは困惑。だがしかし、何をされても真正面から打ち破れる事実に裏打ちされた自信が、シトリーを舌戦に応じさせる。
「何言ってんだ。バティンに決まってるだろうが」
にやり、とソロモンはいやに笑った。まるで、何もわかっていない子供を嘲笑うように。実際は何もわかっていないのはソロモンの方だったが。
「はは、なるほどね。千年夜城を造っているのは?」
「……? 第四席のモラクスだろ」
「バティンが魔界の王様をやっている理由は?」
「んなもん知らねえよ。そもそも俺たちが従ってんのは利害が一致してるからだ。互いにそんなに互いの事情に踏み込まねえんだよ」
「バティンは今、モラクスが千年夜城に込めた魔力を、私利私欲のために使おうとしてるんだぜ」
「ああ。だからどうした?」
ソロモンはそれからも口を回しながら、それ以上の速さで頭を回した。おかしい。ダンタリオンの話と食い違う、と。
シトリー達かダンタリオンか、そのどちらかが間違えている。だが、今考えるべきはどちらが正しくてどちらが間違っているかではなくて、それが、攻略の糸口になるか否か。
ソロモンは『ならない』と思った。
「あー、もうなんか面倒だな!」
シトリーが痺れを切らした。即興の会話劇にしては上出来だろうとソロモンは時間稼ぎをそれで終いにして、アストレアに尋ねた。
「回復したか」
「ああ」
いつのまにか、アストレアは一人、かつもとの姿になっていた。子供の姿ではなくて、十代後半くらいのそれ。ソロモンの意図を察してか、アストレアは前に出た。
「アストレア。ちょっとだけ守ってくれるか」
「ああ」
襲いかかるはシトリー・グリフォン。相変わらずフェネクス・ポイニクスには動きがない。アストレアはシトリーの斬り込みにどうにか剣を合わせ、受け流す。ソロモンはその場に結界を作って自ら閉じこもり、魔力を練り出した。
「!?」
瞬間、シトリーの臓腑を何かが揺るがす。全身が鳥肌に覆われる。言い知れぬ恐怖感に、シトリーはソロモンの結界目掛けて剣を振り下ろす。目の前のアストレアよりも、結界の中でなにかをしているソロモンの方が危険に見えた。
「させるか!」
カキィン、と、シトリーの剣は弾き飛ばされて、結界のすぐ横に打ち付けられる。速度でも力でも、技術でも熟練度でも負けているが、それでもアストレアは勇者だった。余人を守るためならば、その剣に届かぬところなどなかった。
「ちぃっ!」
それでもシトリーは結界を狙い続ける。そして、アストレアはそれを防ぎ続ける。剣戟はかつてないほど激しく、そして、長かった。
ソロモンは未だ、目を瞑ったまま集中を続ける。アストレアを信じ切っていた。敵の刃が自分の喉元に届くことなどありはしないと、信じ切っていた。
「フェネクス!」
シトリーが叫んで、フェネクスは、逡巡しながらも、これに応えた。
「……! ……『審判の時計』!」
すなわち、ソロモン目掛けてその『審判』の力を解き放った。まるで、そこに神の剣以上の脅威があるように。
だがしかし、それは同時に、神剣が自由になったことをも意味していて。
「エンハンブル!」
スパァン! と、その『審判』の力は、ソロモンに届くより前にアストレアの神剣に斬られた。
アストレアのその隙をついて、シトリーが結界に向き直る。そうして、シトリーはその勇者全盛の剣技でもってソロモンを止めようとするが、遅かった。ソロモンが目を開いて、ソレを発動させる方が、早かった。
「目覚めろ、『万物の主』」
概創霊装。帝国でレラージェ・フォーテに教えてもらった、ソロモンのとっておきの一つ。
その力が今、解放された。
○
ソロモンの概創霊装『万物の主』。その力が解き放たれて、一度、その場は静まり返った。
結界が壊れる。その役割を全うしたからだ。満足そうに朽ちていくその結界を優しく慈しみながら中から出てきたのは、果たして──肌を浅黒く染められた姿の、ソロモンだった。
そして、その力は既に、この場にいる者全員を蝕んでいた。
「……なあ、シトリー」
ソロモンが、問う。いや、それはソロモンであって、ソロモンでなかった。充血した目、血管の浮き出た、真っ黒な肌。『魔』そのものを体現するかのような姿で、そいつは言う。
「お前の王は、誰だ?」
あ、が、と。なぜ、どうして。そんな疑問を脳裏に浮かべながら、シトリーは震え出す。その膝は、まるで跪こうとするのを嫌がるように笑っていた。
「あ、お、俺、の……いや、私、の王は……」
簡単な質問だ。シトリーの今の王はバティンである。つい先ほども答えたばかりの、簡単な問い。だけど、シトリーにはそう答えることができなかった。目の前のソロモンを差し置いてバティンを王と呼ぶなんて、そんな大それたことはできなかった。
どうしてか、シトリーにはソロモンが『万物の王』に見えてしまっていた。
そのまま、シトリーの足は一人でに、優しく笑い続けるソロモンのもとへと向かう。
「私の、主は……あなたさ──」
そして、心からソロモンに屈してしまおうとしたその瞬間、それを止める声があった。
「正気に戻れ、シトリー! 『審判の時計』!」
フェネクスだった。シトリーがソロモンに跪こうとした瞬間、フェネクスの叫び声がそれを止めた。同時に、またしても強大な魔力の塊がソロモンに向けて飛来し、そして、今度はそれを止める者がいなかった。アストレアは既に、ソロモンに首を垂れていたからだ。
『審判』の力が着弾する。ソロモンの目は白身を取り戻し、肌も明るくなって、そして、あたり一帯に立ち込めていた異様な雰囲気も消え去った。
「はっ!」
「おい、アストレア。お前まで術にかかってどうするんだよ、神剣持ってるくせに」
正気を取り戻したアストレアにソロモンが言う。その物言いは普段のソロモンで、呆れたように続くため息にすら、アストレアは安堵を覚えた。
「今のは、一体……?」
「んー。俺の概創霊装。やっぱり制御がまだ甘いなー。アストレアを巻き込んじゃった」
だけど、と。ソロモンは言葉を続けた。
「だけど、そんなこと今はどうでもいいんだ。どうやらフェネクスの概創霊装は二つ以上の力を同時に封じることはできないみたいだから、もうこれで充分なんだよ」
アストレアが神剣を使えるからな、と。
フェネクスが歯がみした。強力な力だが、ソロモンまでが致命の力を持っているのならば、その力の意義は破綻する。神剣か、『万物の主』か。どちらか一方を封じても、もう片方は自由に使われてしまうからだ。
「形勢逆転だな」
どこか癪に触るドヤ顔で宣言するソロモンに、フェネクスは悔しくも、返す言葉がなかった。




