第四十七話 決戦に備える
ダンタリオンが胸を貫かれた。手だ。何者かの手が、ダンタリオンの胸を貫通していた。震える声とともに後ろを振り返れば、そこには虚な瞳によだれを垂らして、モラクスがだらんとしていた。
「……あ、っが……」
ダンタリオンの姿が溶ける。スライムか粘液かのように、どろどろとしたアメーバ状になってその場に溶け崩れる。やがて、水の一滴すらその場から蒸発して消えた。
モラクスが自分の手を眺める。先ほどまでダンタリオンを貫いていた手は、にちゃにちゃとした嫌な手応えを感じさせた。
ダンタリオンが消えたそこに、バティンは歩みよった。検分するように数刻眺めて、うん、となにかに納得して、ひとりごちる。
「これがダンタリオンの『百貌』か。老若男女の顔を持つ策謀家。スペアの身体は死ぬとこうなるんだね。あれ、スペアとか本体だとかの概念はダンタリオンにはなかったっけ?」
バティンはモラクスに向き直った。虚な目。それは前方を見てはいたが、バティンを見てはいなかった。心の奥底で悲鳴が上がる。だが、それは押し殺されて、バティンは嫌な笑顔を浮かべる。
「モラクス。君の千年分の魔力、僕が大事に使ってあげるよ」
○
「──と、いうわけじゃ」
白髪の少女が呟いた。腰まである長い白髪で、目は長い前髪に隠れて見えず、服装は真っ白な、肩口が見えるワンピース。そんな格好の裸足の少女が、そう呟いた。
「いや、わかんねえよ」
ソロモンが言った。それもそのはず、この少女はつい先ほど唐突に現れて、ソロモンとアストレアの談笑を邪魔して、急に皆に聞こえる、大きくも小さくもない声で、こう言ったのだ。
『儂じゃ。ダンタリオンじゃ。城に行ったんじゃが、かれこれこういう事情でこうなっておるから、儂らはサミジーナを全力で打倒せねばならん』
急に『序列四位』サミジーナとかが出てきているのも分からなければ、フェネクスやシトリーの動向も不明だった。なにせ、フェネクスに至ってはソロモンを一度助けているのだ。
「まず、お前誰だよ」
美少女だった。決して老人ではない。そんな彼女が、可愛らしい声で、ダンタリオンと全く同じ口調で喋っている。
「ダンタリオンじゃが」
「おれは! 認めないぞ! 可愛いのもムカつくし、なんならワンピースが似合ってんのもムカついてきた!」
散々ソロモンが喚くのをダンタリオンは黙って見ていた。引いていたのかもしれない。
「つまりじゃのう……」
落ち着いたのを見計らって少女──ダンタリオンは言った。もう自分が美少女になったことへの説明をする気はないらしい。
「モラクスの千年夜城は誰にとっても止めなければならない代物だったんじゃ。世界から魔力を奪うからの。『ソロモンの悪魔』を代表して魔界に潜入しておったのが、サミジーナだったっちゅうだけじゃ」
「……? だったら、そのサミジーナってやつが俺らの代わりに止めてくれたんだろ、そのモラクスのなんちゃらフォートレスってのを。万々歳じゃねえか」
拠点こそ手に入らなかったけどよ、と。ソロモンが今欲しているのは『穏健派』を迎え撃つ拠点。それに魔界を選んだのは、戦場になってしまった際に一般人を巻き込まないためだ。そんな場所、探せばいくらでもあるだろうし、ここはサミジーナに任せていいのではないか。
ダンタリオンは根気強く、懇切丁寧を心がけて言う。
「……千年夜城はモラクスが千年の間、魔力を注ぎ続けて完成する概創霊装じゃ。これが完成すれば世界から魔力が消えるから、完成が止められるのは良い。じゃが、ならば、モラクスが千年注いだその魔力はどこへ行く?」
「!?」
合点がいった。サミジーナとやらは、千年夜城を止めるばかりでなく、それに使われる魔力を悪用しようとしているのだ。
「特にそれがサミジーナに渡るというのが解せんのじゃ。私事ですまんが、どうか力を貸してくれんか」
そう言ってダンタリオンは頭を下げた。目的を偽り魔界攻略を強行したこと。『ソロモンの悪魔』という自分の身分。明かされないサミジーナとやらの素性。それらを全て飲み込んで、力を貸してくれないかと。
ソロモンらは顔を見合わせた。アストレアは言うに及ばず、ブラズは我関せず。シストは笑顔で、にぱーっとソロモンに笑いかけた。
よし、とソロモンは、それを見て力強く頷いた。
「顔をあげろよ、ダンタリオン。どっちにしろなんかヤバイのは確かなんだし、敵は『ソロモンの悪魔』なんだろ」にっこりと笑って、「それだけで、俺にとっては十分だ」
ソロモンらにとってはその『千年分の魔力』がモラクスに使われてもサミジーナに使われても、どっちでも同じこと。どちらにせよ、災害が起きるのには違いないのだから。ダンタリオンに協力する以外の選択肢が、そもそも存在していなかった。
ダンタリオンは見えない瞳を潤ませて、しかし毅然と立ち直った。
「お主ら、ありがとう! 然らば、すぐにでも城に攻め込もう。敵の情報は今から『古代の書庫』で送り込む!」
『序列二十一位』モラクス。
『序列十二位』シトリー・グリフォン。
『序列十八位』バティン。
『序列三十七位』フェネクス・ポイニクス。
首魁はバティン。その他は動く機械人形、抜け殻のようなものらしいが、油断は禁物である。そのどれもが、それぞれが凶悪な力を持つ『ソロモンの悪魔』の一柱なのだから。
「ところで、なんでダンタリオンは女の子に?」
聞いてはいけない雰囲気のなか、恐る恐るソロモンは聞いた。誰もが耳を傾けるなかダンタリオンは言った。
「……儂らは百の貌を持ち、世界中に散らばっておる。老人の儂がやられてしもうたから、近くにおった少女の儂が駆けつけてやったんじゃ」
「え、まじで?」
なにはともあれ、決戦の時は着実に近づいていた。
○
私は笑った。どうにも酷いが過ぎる状況になると、笑う以外のことはできなくなる。乾いた笑い、というのは、本当に枯れた落ち葉のように空虚なものなのだなと思った。
次いで襲うは恐怖。私の身体を蹂躙する力。かつてと同じ。今までと同じ。昔と同じ。何も変わっていない。私は未だ、何に抗う力も得てはいなかった。
『お前、人間だろ』
私より頭一つ分以上小さな少年だった。妙な力を持った少年だった。もしかしたら私と同じ境遇なのかなと思って期待したけど、彼はむしろ私とは正反対な存在だった。
『「ソロモンの悪魔」を騙っているのは、人間だとバレた時に追い詰められるからか?』
その呟きは独白、考察、その類いのもので、決して私に話しかけているわけではなかった。その証拠に私の返答も待たず、少年はすぐにどこかへ向かってしまった。きっとツラトゥストラのところへだ。姉を助けるために。
枯れ葉のように空虚な笑い声は、誰に聞かれることもなかった。
「あーあ、また死ねなかった」
私はアンドラスが好きだった。一度『死』を経験している彼女が羨ましかった。そして、一度死んでもなお、サミジーナからの解放、『死』を望むアンドラスに親近感を覚えた。
私の『貧民の剣』は預かり物だった。他人のペットを、旅行に行くから少しだけ預かってもらえない? と渡されて、凄く懐かれてしまったようなものだった。簒奪者め、返してよ! と言われても、私にはどうすることもできなかった。
「ねえ、私の愛しい『貧民の剣』?」
だから、できうる限り私はこの魔剣に反抗した。だっさい名前をつけてやって、前の持ち主を殺して、この魔剣は私を殺してくれないようだから、むしろ私は死にたがった。追い詰められることに喜びを感じる程に。
まあ、追い詰められれば追い詰められる程、私は死ななくなるわけなんだけど。
「あなたがいなければ私、ただの村娘だったのよ」
声に出してしまうと、悲しみが溢れてきてしまった。このような『発作』は、結構頻繁に訪れるが、今日のは一段と、大きなソレだった。
どうしようもなく、何かに怒りをぶつけたくなる『発作』。
あなたがいなければ、私は今ごろ──さんに告白して、それで付き合うことになって、ゆくゆくは結婚していたのに! あなたの前の持ち主だってそう、グリーディア。グリーディアは私の家族だった! ああ、グリーディア、どうして私はグリーディアを殺してしまったのだろう? 精神がおかしくなっていたのだ、病んでいたのに、そんな状態の私を『貧民の剣』が煽ってきて、それで──
「あ、グリーディアって、──さんの妻だったっけ」
──私は、グリーディア夫妻の人生をぼろぼろになるまで崩し尽くしたのだった。
私は泣いた。私は笑った。もう感情がぐちゃぐちゃだった。私が異常なのか、『貧民の剣』に操られているのか、それさえもわからなかった。
『相変わらず、まともに別れの挨拶もできないんだねえ、シトリーは』
別れの挨拶すらできないのは私だった。グリーディアを有無を言わさず殺したのは私だった。泣き叫ぶ──さんを泣きながら撲殺したのは私だった。
『私からすれば軽々に名を明かしてる方が不思議だわ』
過去を知られたくないのは私だけだっただけだ。後ろめたいことがあるのは私だけだっただけだ。ヒト様の名を騙っていたのは、私だけだっただけだ。
村のみんなが私を殺そうとした。魔剣欲しさに目がくらんだのだ、と非難した。グリーディア夫妻から魔剣を奪い取るために、彼と彼女を殺したのだと詰問した。
そうして、私を追い詰めた人は皆、『貧民の剣』によって殺されてしまった。私は生き残った。こんなに死にたがっている私だけが、生き残った。村は壊滅した。
「あはははは!」
ひとしきり笑って、『発作』はおさまった。私は定期的に過去を嘆く。嘆かなければやっていけない。こうして『貧民の剣』を呪わなければ、私はいつか自分の罪に押し潰されてしまう。
でも、『発作』がおさまった後には、決まって先ほどよりも空虚な気持ちになるのだ。悲しい、だとか寂しい、だとかではなく、諦めの境地、諦観の念に支配されるのだ。
「……グリーディア」
そんな私に話しかける声があった。今の私の話し相手になってくれるような人は、後にも先にも一人しかいなかった。
「なあに、ツラトゥストラ?」
いつのまにか、その青年は背後に立っていた。いつからいたのかは分からない。でも、私が落ち着くのを待っていてくれたのだというくらいは、鈍い私でも察することができた。
だけど、愛しのその青年は、続く言葉で私に絶望をもたらすのだ。
「千年夜城は完成しないらしい」
私は脱力していた身体に急に力が入るのがわかった。がばっ、と起き上がってツラトゥストラの肩を掴んで揺さぶった。ツラトゥストラの瞳に映った私は、とても酷い顔をしていた。
「え、どうして、『貧民の剣』を封印する唯一の機会が……やっと私、死ねると、思ったの──!?」
がっ、と。今度肩を掴むはツラトゥストラだった。その瞳に強い意志の光を宿して、ツラトゥストラは私の肩を強い力で揺さぶった。至近距離で、私の目をしっかりと見据えて、言った。
「死にたいなんて、言うな!」
それは、私が一番欲しかった言葉だったのかもしれなかった。
誰もが私を嫌った。誰もが私を疎んだ。私は嫉妬に狂ったただの大罪人で、誰もが私を非難する権利を持っていた。何より、私が一番私のことを嫌いだった。
「勇者が来た! 神剣があればどうとでもなる! 俺がなんとかしてやる! だから、死にたいなんて言うな……!!」
あ、はは、と。私が戸惑いとともに頬をかきながら発したその声は、決して乾いてはいなかった。呆れてものもいえず、と言った風情の、困惑の声だったが、その声は決して、乾いてはいなかった。
「それだけ、言いに来たんだ。俺は賊──裏切ったバティンを倒してくる。だから、必ず生きて俺の帰りを待っていてくれ」
そう言って去ろうとするツラトゥストラの腕を、知らず私は掴んでいた。
「待って、よ。『貧民の剣』はあなたがどうにかしてくれるんでしょう? もうすぐ使えなくなるのでしょう? だったら最期くらい、盛大に働いてもらわないと」
私も行くわ、と。ツラトゥストラは、なんとかこれを了承してくれた。
「私の名前はフィランソロフィ。今まで騙っていてごめんなさい」
グリーディア。私の妹の名前。──さんに選んでもらえた女の名前。だから、私が好きだった名前。だけど、私にはもう、必要のない名前。私にも、私を選んでくれる人ができたから。
こうして私はようやく、自分の本当の名前を好きになることができた。




