第四十二話 アストレアは楽しむ
私は弱かった。ただでさえ貧弱な身体に、せいぜいできて『恐怖喚起』くらいが関の山の概創霊装。殴り合いでは勝てなかった。魔術戦でも勝てなかった。
だから努力した。恥も外聞も捨て去った。生来殺戮やら蹂躙やらを好んでいたが、欲望を押し殺して、日々修行に励んだ。
「ああ、誰でもいいから、殺したい」
その頃には、剣に於いて右に出る者はハルパスくらいになっていた。そう、剣。私は獣の身でありながら道具に頼る愚か者だ。概創霊装の形態が『剣』なのならばともかく、純粋に武器として剣を使っているのは私くらいだった。
お前は獣だろう。鉤爪を使え。その鴉の嘴は何の為にあるのだ。引っ掻き突っつき、臓物を抉り取るためだろうと。
何度も馬鹿にされた。なまじ概創霊装を使えたから『ソロモンの悪魔』に選ばれたのが良くなかった。私がただの獣であったころは、周りよりちょっと強いだけの獣であったころは、こんな気分を味わうことはなかった。
だから、剣は捨てた。するとどうだ。今度はあまりの弱さに笑われた。概創霊装を使えるほどの魔力はあるのに、才能はあるのに、どうしてそんなに弱いのだと。私は悔しさに涙した。
「ああ、誰でもいいから、殺したい」
私は考えた。どうして自分はこんなに苦悩している。ただ殺戮を楽しみたいだけなのに。ただ蹂躙が好きなだけなのに。
私は努力を放棄した。思考を放棄した。才能を放棄した。理解を放棄した。友人を放棄した。そして、蚊帳の外で私を笑う全ての者を、気にしないことにした。
あとには欲望だけが残った。
「ああ、誰でもいいから、殺したい」
そんな折、結界が破壊された。忌々しくも我々を荒野に閉じ込めていた結界だ。どうせアガレスだろうと思った。前々から計画されていたことだったようだが、私は知らなかった。すぐ後にばあるとやらがやってきて、何やら私たちと取り引きしていたみたいだけど、それこそ知ったこっちゃなかった。
私はどうせならできるだけ遠くへ行こうと思った。
果たしてそこは──天国だった。
『恐怖喚起』。私の概創霊装の能力。ちょっとだけ怖がらせて、ちょっとだけ洗脳して、ちょっとだけ怯えさせる程度の精神攻撃。結界の中では、ゴミみたいな扱いを受けていた力。
これが、人間どもには面白いように効いた。
ちょっと力を使ってやれば、人間は泣き叫び、悲鳴を上げ、慟哭し懺悔する。道端には祈りを捧げながら頭を抱えて叫び続ける奴もいれば、虚に瞳の光を消して佇むだけのやつもいた。泣きながら家族を殺すやつもいれば、笑いながら投身自殺するやつもいた。
「はは、ははは」
哄笑が止まらなかった。そこは以前は『皇国』と呼ばれていたみたいだったが、そんなことはどうでもよかった。ここはもう私の国だ。私が壊し尽くすと決めた国だ。
それは一方的な殺戮で、抗いようのない蹂躙であり、これこそ私が求めていたものだった。努力? 希望? 強さ? 力? この快感に比べれば、そんなものは全くどうでもいいもののように思えた。
私は栄華を極めていた。
だが、唐突に天から与えられたものは、やはり唐突に天より奪われるのが世の定めか。
アストレア・ヴィ・レイヴがやってきた。
強かった。勝てるヴィジョンが見えなかった。封印していた剣術まで使って抗ったが、その自慢の剣すらプライドごとへし折られた。なす術もなく殺された。
これで終わり。呆気のない人生。それもまた私らしくて、空虚で面倒くさい私らしくて、私は満足していた。最後に自分の本能と向き合えたし、誰に馬鹿にされることもない『私』というものを得たような気分でいた。そりゃもうちょっと遊んでいたかったけど、まあ許容範囲だった。
そんな時だ。
「ああ、僕の可愛いアンドラス」
それは、私が大嫌いな男の声だった。
「私が皇国を取り戻してやろう。私が生き返らせてやろう。私がお前を愛してやろう、アンドラス」
いやだ。だめ、やめて、そうなるくらいなら死んだほうがマシだ! そんな悲痛の叫びは当然その男に聞こえるわけもなく、果たして私は生き返った。
ただし、私は『私』を失った。
「アンドラス。僕は努力していた君の方が好きだったよ。必死に足掻く様子が可愛くて」
私は従った。
「アンドラス。僕ははしたない女の子は嫌いだ。野蛮な戦闘を好むなんてもってのほかだよ」
私は従った。
「アンドラス。僕は──「アンドラス。「アンドラス「アンドラス「アンドラス」」」」
私は従った。
昔から、自分が軍人気質なのは知っていた。上に立つ器ではなく、誰かに手綱を握ってもらって初めて役に立てるような性格だ。冷静を装ってはいるが、いつも欲望に負ける愚か者だ。
でも、下につくと言っても、ソレだけは絶対に何かが違った。
『死体操作』。『死霊術』。呼び方は何でもいいが、とにかく、その男の力はそういう『死者を操る』類のものだった。
従ったというより、従わざるを得なかった。死霊である私にとって、その男の命令は絶対だった。
私は逃げた。
『恐怖喚起』。それは確かに拙い能力だが、『精神操作』の力であることは確かだった。器用に器用に男を誤魔化して、少しづつ自由を取り戻して、私は逃げた。もう耐えられなかった。何より、一度は欲望に従う快感を得てしまっていたことが、ダメだった。
モラクス王に保護してもらったのは、そんな時だった。
「千年夜城が完成すれば、きっとそれの拘束力も消え去るのだわ」
だって魔力が消えるのだからね、と。
それは契約だった。モラクス王は私を匿ってくれる。私は千年夜城の完成のために死力を尽くす。断る理由はなかった。早く解放されたかったから。むしろ、進んで協力したいくらいだった。
「でも、完成するまではその拘束力と付き合わなければならないのだわ、アンドラス」
「……え?」
モラクス王は哀れむような目で私を見る。何を言っているかわからない私は、きっと目をキョロキョロさせていて、今思えばそれは、とても滑稽な様子だったと思う。
「……わかったのだわ。別に咎めたりはしないから。アンドラス、あなた、とても剣術に熱心なのね」
「……え?」
モラクス王の御前で私は、あろうことか剣の素振りをしていた。
『僕は努力をしていた君の方が好きだったよ』
「あ、ああ、」
『僕の前でそうかしこまらなくていい『激情してはいけないよ』剣でも振って『お前は僕の犬だ』いるといいんじゃないかな』
あの男の呪いは、未だしっかりと私を捉えて放さなかった。
「あああああ!!!」
小柄な少女は、モラクス王は、蹲る私の背中を優しく撫でてくださった。それで決壊した。今の今まで押さえつけていた何もかもが、喚起された恐怖が、束縛への恐怖が、あの男への恐怖が、自分が自分じゃなくなる恐怖が、あとからあとから涙となって流れ出た。
『アンドラス、激情してはいけないよ』、と。
その涙すら、三秒後には枯れた。
今の私は『私』ではない。
アンドラスという名前さえ、嫌いになってしまいそうだった。
○
アンドラスが嫌いな人物はこの世界に二人いる。
一人は死霊術を使う男。名前を呼ぶことすら憚られる。あいつは何より気持ち悪いのだ。存在からして嫌いだった。趣味思考、容姿に声、その立ち振る舞いから喋り方まで、思い出すだけで鳥肌が立つ。
そしてもう一人はアストレア・ヴィ・レイヴ。アンドラスをかの地獄に叩き込んだ張本人。
今目の前にいるこいつがいなければ、アンドラスはあんな思いをしなくて済んだのに。
「あああああ!」
アンドラスが叫びながら襲いかかる。『激情してはいけないよ』とあいつの声がして、急激に、すとんとブレーカーが落ちたように冷静になる。それがまた腹立たしくて、アンドラスは叫び声をあげるのだ。
「ああ!」
ガキィン、と、アンドラスの剣は弾かれる。そのまま剣戟へと移るが、何度斬り合っても傷がつくのはアンドラスのみ。勇者の不死のためではない。純粋に、アンドラスが剣技の腕に於いて負けているのだ。
「くうっ!」
たまらず後退した。アストレアは追撃をかける様子はない。ただ、まるで王者の様に佇むのみである。
そのアストレアが、ふと呟いた。
「……強くなったな、アンドラス」
「!? 当たり前だろう、何年努力させられたと思っている!」
そのまま続けて、
「もしかして馬鹿にしているのか、神剣も使ってないくせに!」
そう、アストレアが用いていたのは、両手持ちだか片手持ちだかすらよくわからない直剣だった。勇者の主武装である神剣ではなく。手加減しているのだ。
アンドラスは顔を真っ赤にして襲いかかった。
「そうではないよ。ただ、神剣の理不尽さはつい最近、我が身で思い知ったばかりなんだ。魔術師ならばともかく、剣士を相手に使えない」
自分の猛攻を難なく凌ぎながらそうのたまうアストレア。その余裕そうな姿に羞恥を感じて剣を振るう手はどんどんと速くなり、その激情もまた、急にすとん、と落ちる。
「──っ」
水面の様に穏やかな心境にさせられて、アンドラスは再び後退した。
「確かに強くなった。だが、君、何かに囚われているね?」
アストレアが言った。
「……っ。知ったような口を聞くな。誰のせいだと思っている」
「それはわからない。しかし、私も最近、まるで剣の修行を始めたばかりの頃のような気分でいるんだ。何をやっても面白くて、上達するのがわかる」
「……? 何が言いたい」
「だからね、決して戦闘狂なわけではないけれど、戦いが楽しくなってきたって言ってるんだ」
そう言ってアストレアは神剣を取り出した。煌めくように神々しい光を放つ剣。『今現在』だけとはいえ、時空を斬り裂く神話の武具。
アストレアはいつの間にか、アンドラスの懐に潜り込んでいた。
「……え?」
「本気を出してもらうよ、アンドラス」
斬撃。アンドラスの左肩から右腰に抜ける袈裟斬り。斬られたのだ。アンドラスにはその動きが全く見えなかった。神速だ。だけれど、その事実にプライドを傷つけられるより前に、アンドラスは身体に異変を感じた。
「……あ、ああ」
「呪縛だかなんだか知らないが、君とあの男との繋がりは斬り落としてしまったよ。これで本気を出せるだろう。 ……迷惑だったかな?」
「あああ、あああああ!」
あの男との繋がりが、無くなった。
今までどこからか聞こえてきていたあの男の声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。
『今現在』を斬る神剣。それは『今現在』に存在しているものならば神さえ斬り落とすからこそ、神の剣と呼ばれているのだ。たかが『ソロモンの悪魔』の魔術一つ、斬り裂けない道理はない。
「迷惑なもんか! ありがとう、ありがとう!」
「礼を言われる筋合いはないよ。私は君を討滅するんだから」
「ああ、やろう! 本気で!」
アンドラスが斬りかかる。アンドラスは気付いていなかったが、その速度は今までの比ではなかった。『自由に動ける』ということが、『束縛されない』ということが、肉体を解放していた。
そして何より、それは久しぶりの感情だった。湧き上がり続ける高揚感。止まるところを知らない全能感。コンセントレーションは最大限にまで高まって、依然上昇し続けた。今までは、こんな風になる前に『激情』は沈められていたから。
楽しかった。それは、殺戮や蹂躙とはまた違う悦楽だった。
そして、やはり楽しい時間というものは、唐突に終わりを告げるものなのだろう。
「──あ」
アンドラスの右腕が、斬り落とされた。握力を失った拳から剣がこぼれ落ちた。左腕で剣を拾ってまだ戦おうと思ったが、次の瞬間には左腕も切り落とされていた。
「アンドラス。やはりお前は、強かった」
スパァン、と。最後に首を落とされて、アンドラスは目を閉じて笑った。
『剣を使うな。獣ならば獣らしく戦え』という思想は一部の過激派の思考です。そういった人たちがアンドラスの周りに集まっていただけだと思われます。
事実『序列七位』アモン・ヒープ(アマイモン)は剣術を嗜んでいますし、その弟子であるセーレも剣を使っていました。




