第四十一話 ブラズは追い詰める
不安で不安で仕方がない。ただし、目の前の女を放って行くわけにもいかない。
ブラズはそわそわしていた。それはもう一目見ればわかるくらいそわそわと忙しなかったので、グリーディアも呆れるしかなかった。
「……あなたねえ。ブレイズくんだっけ? どうしてそんなに油断してるの」
グリーディアは言って、タバコの煙を吐き出す。ブラズはやはり貧乏ゆすりを続けながら言った。
「命より大切なんだ。姉さんは」
「……だったら助けに行ってあげなさいよ。私はアンドラスのもとへ向かうから」
ブラズは少しだけ、いや、かなり迷った。
「……どうして、そんな提案ができる」
グリーディアは笑った。
「私ね、アンドラスのことが大好きなの」
ブラズは考える。
仮にブラズがグリーディアを見逃したとして、『勇者』たるアストレアならば、アンドラスとグリーディアの二人を相手にしても勝利しうるかもしれない。そして、ブラズとシストが協力すれば、きっとツラトゥストラには勝利できる。
悩みどころだった。ブラズにとってはアストレアなんかどうでもいい。むしろ『勇者』なんて憎悪の対象である。シストを守るためには、グリーディアの提案に乗るのが最良の選択かもしれない。
ただし、グリーディアの言葉が真実なら。
「……だめだ。俺と姉さんが合流した後に、背後からお前に奇襲されるかもしれん」
そうすると、シストに迷惑をかけてしまう。ただでさえグリーディアは未知の存在なのだ。やはり一番いいのはこいつを殺してしまってからシストの応援に向かうことだ、と心に決めて、ブラズはさっさと片を付けてしまおうとする。
「あら、そんなことしないわよ。私だってアンドラスが心配だもの」
「俺だってその言葉を信じたい。だけど、ダメなんだ。お前のそれが嘘で、姉さんを危険に晒す可能性が少しでもあるから──」
ブラズが戦闘態勢に入る。魔力を練って、専用の『衣』を被る。『死神の衣』だ。目元が隠れるほどの深いフード付きのローブ。暗闇は真っ黒に禍々しく、これで手に鎌でも持っていれば正しく死神。そんな姿形で、グリーディアに襲いかかる。
「──だから、さっさと死ね」
「あら怖い」
果たして、グリーディアは逃げた。
○
グリーディアが逃げた。
彼女はブラズの目の前から忽然と姿を消した。この時に真っ先にブラズが考えたことは、『どうして』ではなく『どこへ』だった。一番最悪なのは姉のもとへ向かわれること。それ以外はどうでもいい。
「ああ、くそっ」
ブラズは単純明快な、一番簡単な方法で解決する。
すなわち、全方位無差別攻撃。
どずんっ、と、ブラズを中心に、まるで隕石でも落ちたかのような大崩落が起きる。地面はひび割れ、赤茶けた大地はぱらぱらと砂になり、グリーディアはもちろん、ブラズまでもその大崩落に巻き込まれる。
「……っ、むちゃくちゃじゃない!」
自身を巻き込んでの、自爆特攻。あたり一帯数百メートルは崩落した。グリーディアはたまらず姿を現し、生き残るために全神経を集中する。グリーディアの『能力』はあまり複雑ではないが、だからこそ、こんな異常事態に対応するには集中するしかなかった。
果たして、グリーディアは生き残った。そこは地下だろうか、ぽちゃん、ぽちゃんと水音が聞こえてきそうな鍾乳洞が散見される。大地の下にこんな大空洞、洞窟があるなんてグリーディアは知らなかった。
仮にこの洞窟がなかったとしたら、グリーディアは果たしてどこまで落とされていたのだろう。考えるだけでもゾッとしない話だった。
はあ、はあとグリーディアは肩で息をする。その目の前で、のそり、と。死神の衣を纏った少年が、なんでもなさそうに起き上がった。
「……なんで、生きてるのよ。私見たわよ。あなた、頭から落っこちてたでしょう」
「……はあ。死人がもう一度死ねるわけないだろうが」
死人。ブラズは既に死んでいる、と。
それは真実であり、間違いでもあった。
『冥界』は死者の国だ。生者は冥界に存在することができない。そのルールはたとえ『冥界の主』が相手であっても適用され、だからブラズは『死にながら生きる術』を見つけなければならなかった。
そうして編み出したのがこの『死神の衣』。着ている間、装着者を『死者』とする。もう既に死んでいるから、たとえ頭を強打されようが、手足を捥がれようが、再び死ぬことはない。痛みを感じることもない。
グリーディアにはブラズが何を言っているのかわからなかった。だが、ブラズがいわゆる『無敵』であることは、どうしてかわかった。
「……はは。じゃあ、私は今、追い詰められてるのね」
諦観の念強く、グリーディアはそう呟いた。
ブラズが言う。
「知らん。……もう隠れなくていいのか、殺すぞ?」
もともとこの大崩落は、グリーディアを炙り出すためだけに行われたもの。ブラズとしてはどうせまた隠れられるだろうから、壊して、逃げられて、壊して、といった『いたちごっこ』になると思っていたのだが、どうもグリーディアにその様子がない。
「ええ、もうその必要はなくなったもの!」
グリーディアがブラズに襲いかかる。取り出すは剣、構えるは正眼。そのまま、ブラズの『死神の衣』を破壊しようと斬り付ける。
その剣が『死神の衣』に触れた瞬間、じゅわ、と嫌な音を立てて、剣が溶けた。
「──っ!」
「やめておけ。並の得物では冥界の瘴気に耐えられん」
ブラズは返す刀でグリーディアに殴りかかる。ブラズの戦闘スタイルは徒手空拳である。なぜならば『冥界の衣』を纏ったその拳は、蹴りは、必殺の一撃だから。わざわざ得物を持つ必要も無ければ、持った瞬間にそれらは溶けてしまうから。
「ああ、まだ私は追い詰められるのね!」
ブラズはもう言葉も返さなかった。淡々と、業務をこなすかのようにグリーディアを殺そうとする。殴る。蹴る。器用に逃げ回るグリーディアだったが、遂に、壁際に追い込まれた。
そうして追い詰めたのに、ブラズは手を止めない。その瞳はまるで殺戮マシーンのように冷たい光を放っていた。
「──っ!」
ばっ、と。ところが一転、ブラズは後退した。後方へと大きく飛んで距離を取る。はあ、はあと息は荒く、腹部は斬られ、血が、臓物が、まろびでようとしていた。
「……何を、した……!?」
対するグリーディアはやはり壁際。追い詰められた姿勢のまま、へたり込んでいる。ただし、右手にはいつのまにか剣を持っていて、その切っ先には血痕がついていた。
グリーディアが立ち上がる。いつのまにか溶けていた剣は形を取り戻していて、ぶん、とグリーディアが剣を振れば、ぴっと血が飛んだ。
「……私ね、たった一個しか『能力』って呼べるほどの力は持ってないんだけど」
ブラズは様子を見るように、じりじりと後退する。一番の問題は剣閃が見えなかったこと。次点で『死神の衣』が貫かれたこと。わからないことが多すぎる。
くそ、突然不確定要素が増えやがった、と。ソロモンへの怨嗟の念は尽きない。しかし姉に任された以上、グリーディアはブラズが請け負わなければならない。
グリーディアの言葉が続く。
「これが私の概創霊装、『貧民の剣』。私、追い詰められれば追い詰められるだけ強くなるのよね」
グリーディアは一瞬でブラズの背後に回る。辛うじてその動きを捉えることができたブラズは防御の構えをとるが、その時にはもうそこにグリーディアはいなくなっている。
「な──!」
「やあ!」
またしても、背後だった。知覚外からの一撃にブラズは吹き飛ぶ。鍾乳洞を二、三個貫通して、それでもなお勢い止まらず壁に激突する。
何より、速すぎる。ブラズにはその動きを捉えることができなかった。ブラズの触れたところの壁がぼろぼろと腐敗し、崩れ落ちていく。まだ『死神の衣』は健在だ。
「あー、生身で触っちゃうと流石にダメかー」
グリーディアは右手に炎症を起こしていた。先ほどブラズを殴った右拳だ。皮膚は爛れ、溶け落ち、どろどろになっている。その代わりを務めるように、左手に持つ『剣』が輝きを増した。
「また追い詰められちゃった」
お前が自爆したんだろ! と叫びたいのを置いて、ブラズは悪霊を呼び出す。
「眷属召喚!」
召喚するのはかつて『剣聖』と呼ばれた男の魂。だというのに、大量殺人の罪を犯した男の魂。ただの黒いもやだったそれが、ゆっくりと人の形を作り出す。
「ちょっと足止めしろ、観察する! そしたら『刑期』二百年縮めてやる!」
懲役二千と百年。それがその男の罪に当てがわれた年数だった。それが済むまで、男は決して成仏することができない。それほどの罪を重ねられるほど、男は残虐で、また強かったのだ。
果たして──剣聖のもやは、グリーディアに一瞬で細切れにされた。
あの剣が、やばい。死者の魂というのは『死神の衣』と同じくらいの瘴気を持っている。それを切り刻んでなんともなってないあの剣が、一番やばい。
「眷属の召喚だなんて……また追い詰められちゃった」
余裕綽綽にちらりとべろを出して、グリーディアは妖艶に、たばこを取り出して言う。
「ねえ、もっと私を追い詰めて?」




