第三十九話 黒歴史を晒される
透明な世界。全てが色褪せて、真っ白になって、石になってしまったようで。その世界で動いているのはソロモンとシトリーだけだった。
「(時が止まっている? そんなことが一個人に可能なのか……?)」
一個人としては有り得ない被害をもたらしたのはソロモンも同じなのだが、ことこの場においてはシトリーの異常性が極まっていた。時空を操るなんて、言ってしまえば『最強』ではないか、と。
「安心しなよ。そんな大層なもんじゃない」
シトリーは言った。
「ゼロから世界を創るのは難しくてな。だから、術を発動したときの世界をコピーしてるんだ」
そうしてソロモンを歓迎するように両手を広げて、まるでエンターテイナーのようにシトリーは言った。
「ここはただ俺とお前しかいない世界だ。存分に楽しめるぜ」
「……むちゃくちゃじゃないか……」
世界創造。しかも、攻撃するためでも防御するためでもなく、ただ戦場を用意するためだけに、これだけの大魔術を行使したのだ。世界の果てまでコピーして創造するのに、一体どれだけの魔力が必要なのだろう。ソロモンには想像もつかない。
「なに、安心しろ。別に無駄遣いしたわけじゃなくて、まあ、発動条件の一種だな。ここに俺とお前しかいないことに意味があるんだよ」
そうしてシトリーはまた何かしようとしたので、ソロモンは咄嗟に結界を張った。
「封魔結界!」
一辺が三十メートルくらいの立方体が作られる。それはわずかに吸引力を持っていて、少しずつ少しずつ、空気が逃げていくようにその場の魔力濃度が薄くなる。
「遅えよ!」
だが、シトリーの魔術は完成した。ソロモンは問題ないと対処しようとする。この魔術ただ一つを凌げば、有利なのは魔力を自由に使えるソロモンだからだ。
シトリーの身体が発光する。七色に光って、ソロモンはたまらず目を覆う。
ソロモンはそのまま自分の身を守った。周囲に結界を張り巡らせ、あらゆる攻撃に留意した。これさえ凌げば勝機が見える。この一撃さえ耐えられれば──と意気込むソロモンの前で、果たして光はどんどんと収まって──
──果たして光が完全に消え去りそこにいたのは、アストレア、だった。
「やあ、ソルモ?」
アストレア・ヴィ・レイヴ。勇者。赤い髪を綺麗に伸ばして、いつも毅然と背筋を伸ばして、でも少しだけポンコツで。剣を使えば右に出る者なき、神話の傑物。
そんな彼女と、姿形、声までまるで同じ生物が、そこに立っていた。
アストレア、いや、シトリーが笑う。その首元には、透明な首輪がちらりと見えた。
「……くく。『純愛の首輪』。俺の概創霊装だ」
最悪の想像がソロモンの脳裏をよぎる。だがそんなはずはないとそれを振り切って、ソロモンは強がった。
「……はっ。姿形を変えるなんて誰でもできるだろうよ」
シトリーはふっ、と嫌味に笑って、ソロモンの方に歩いてくる。
「おう。そうだな。ちなみにこれは対象の『愛する人』になり変わる首輪なんだけどな?」
こういうこともできるわけだ、と。
シトリーの、いや、アストレアが姿を変える。今度は身体が光り輝くようなこともなく、一瞬でその形は別物に変わった。
「これはお前の敬愛する男」
第三代勇者、アストレア。かつてバアルとイグシルとともにソロモンを追い詰めた男。普段は饒舌な好青年でありながら、正義のためとなると途端に寡黙になる男。
シトリーはゆっくりとソロモンの方へと歩いてくる。ソロモンは冷や汗を流して結界を解き、じり、じりと後ずさる。
「これはお前の友愛する男」
変わるはイグシル・ツレウルド。エルフの凄腕弓術士は、本人なら絶対にしないような、嫌な笑い方をした。
シトリーは歩み寄り、ソロモンもやはり、後ずさる。
「これは……おっと、お前の情愛していた女、か」
変わるは『冥界の女主人』、小人族の姉弟の姉の方。
シトリーは遂に、シストの姿にまでなり変わった。
「こんな女を好きだったなんてな。もしかしなくてもソロモン・ディビルズは幼女趣味か?」
「……ほっとけよ、変態が」
黒歴史を晒すんじゃない、と。どこか辛辣にソロモンは言った。
「くはっ。変態呼ばわりされちまった。……まあ、この状況なら、今お前が恋愛しているこいつが一番だな」
言って、シトリーは再びアストレア・ヴィ・レイヴの皮を被る。
この状況。ソロモンがあたり一帯の魔力を全部、結界の外に放出してしまった状況。ソロモンは結界外の魔力へとアクセスできるが、シトリーは体内の魔力を使うしかない状況。
だがしかし、剣技のみで成り上がる『勇者』アストレア・ヴィ・レイヴにとって、そんなことは関係ない。
魔力なんかに頼らなくても、勇者たる彼女は誰よりも強い。
「おらっ!」
シトリーはどこからか剣を取り出して、ソロモンに襲いかかってきた。
得物は神剣ではない。ではないが、それでも、その剣技は神域にある勇者のもの。ソロモンは凌ぐのが精一杯といった様子で、右に左に逃げ回る。
「……実力も本人のままかよ! いや、むしろこれ……」
最悪の想像が、現実になった。いや、最悪よりもなお悪い。コピーした相手の実力を兼ね備えるのみならず、これではまるで──
「──ああ、その通り! 俺の『純愛の首輪』はそいつの全盛期を再現する! アストレア・ヴィ・レイヴの全盛期はまだ来てないみたいだなぁ!」
つまり、今のシトリーは、アストレアが研鑽に研鑽を積み、あまねく逆境を乗り越えて絶頂に立った時の実力を持っている、と。
今でさえ怪物じみた強さを持つアストレアの、数段上の力を有している、と。
わざわざ能力を明かしてくれるのは、明かしたところで何の問題もないからか。
ソロモンの眼前に、絶望の二文字が浮かび上がった。
○
首都近辺。姉弟とダンタリオンの三人は、前から歩んでくる人影に足を止めた。
「……二人、か。ダンタリオン、ここは俺たちが受け持つから、お前が先に行け」
ブラズが言う。これにダンタリオンは少しの逡巡を見せる。なぜならダンタリオンは姉弟の実力を知らないからだ。アストレアならば安心して任せられるのだが。
「勝てる勝てないじゃないんだよ。俺は姉さんと離れたくないし、それに、お前以外が先に進んで何ができるってんだ」
シストも同じように、強い瞳でダンタリオンを見るので、ダンタリオンは「任せたぞ!」と言って歩み来る二人を無視して、首都へと進む。
果たして二人は、ダンタリオンが側を素通りするのを許した。
「……良かったのか、グリーディア」
姉弟の方へと歩み行く二人の男の方──ツラトゥストラが、もう一人の女に話しかけた。
「まあ構わないでしょう。城には第四席バティンもいるしね」
女──グリーディアは相変わらず軍服を着崩して、そう答えた。
「……そうではない。シトリー・グリフォンにソロモン・ディビルズを譲ったことについてだ」
「それこそ構わないわよ。私はソロモンなんかに興味はないし、それに『序列十二位』には逆らえないって」
「……そうか」
雑談である。その様子をブラズは用心深く眺めていた。
すなわち、どっちが弱いか。
「(強い方は俺がやる。姉さんに万が一があってはならない)」
ブラズにとっての最優先事項は姉の安全であり、次点で自分の安全。それ以外は本当にどうでもいいのだ。強いて言えば姉の望みを叶えることだが、命に差し迫れば存命を優先する。
「俺は『冥界の王』ブレイズ・セィブリングズ。強い方とやってやる。かかってこいよ」
「だめよ、ブラズ!」
だがそれは、姉にしても同じことである。
シストにとっても、何より大切なのは弟であるブラズの命。むしろシストは自分の命はブラズにもらったものだと思っているので、命に変えてもブラズを守る心積りすらある。それはブラズも同じ思いだが。
「私が強い方をもらうわ! 抜け駆けはだめ!」
そうしてグリーディアとツラトゥストラに向き直って、
「私は『冥界の女主人』システィーナ・セィブリングズ! ほら、あなたたちも名乗りなさいよ」
「なあ、姉さん! 俺が姉さんを──」
「いいから黙って!」
──守る、と言おうとして、シストに発言を遮られた。
ツラトゥストラとグリーディアも互いに目を交わす。そうして一歩前に出て、仁義を尽くすはツラトゥストラだった。
「名乗られれば、こちらも名乗らぬわけにはいくまい。俺は城六伯の『第二席』、ツラトゥストラと言う」
「……はあ、真面目ねえあなた。私は『第五席』、グリーディアよ」
ツラトゥストラについては知っていた。ダンタリオンからの『情報』に載っていたからだ。問題はグリーディアとやら。これについては全くわからない。
「(くそ、ソロモンめ。お前がもう少し大人しくしていたらダンタリオンがこんな事態を許さなかっただろうに……!)」
未知の『第五席』か、既知の『第二席』か。
強いのは第二席ツラトゥストラだろう。二番の位をもらっているくらいだ。だけれどその手の内は知れている。彼は極東出身の凄腕剣士で、魔術は全く使えないという。だが、何故かはわからないが『魔術を斬れる』らしい。神剣を持っているわけでもないのに。
そして、ツラトゥストラは人間で、グリーディアは恐らく『ソロモンの悪魔』だ。何をしてくるかわからない怖さも相まって、ブラズにはどちらと戦うか決めきれない。
どうすればシストを守れるのか、わからない。
そうして思考にブラズの身体が硬直した時、シストが言った。
「私がツラトゥストラさんとやるわ」
「……その心は」
「……彼、手負いよ」
シストの言う通り、ツラトゥストラの袴田のいたるところには、血痕が見られた。怪我をしている。誰にやられたのかはわからないが、相手が『手負い』であれば、シストは圧倒的優位に立ち回れる。
「わかった。俺が女をやろう」
「あら、話し合いはもう終わり?」
女──グリーディアが、どこか妖艶にそう言った。
「ああ、場所を移したい。構わないか、女」
「私は良いわよ。ツラトゥストラは?」
「問題ない」
ツラトゥストラの返答を聞いて、グリーディアは頷いてバッ、と高速で首都とは反対側に移動を始めた。
「姉さん、死なないでよ!」
「そっちもね!」
それを追いかけて走り去るブラズに激励されながら、シストも目の前の敵に向いて構える。
「じゃあ、ツラトゥストラさん。始めましょうか」
第二席。数多の『ソロモンの悪魔』とともに有りながらその地位を築く常軌を逸した人間を前にして、しかしシストはまるで自分こそが絶対強者だと言うように、振る舞う。
「私、弱いものいじめは嫌いなんだけど」
果たして、ツラトゥストラは無言でシストに斬りかかった。




