第四話 毒を盛られる
がつがつ、と、食事にむしゃぶりつく音だけが部屋に響いていた。そのテーブルが一つだけある畳の簡素な部屋は、まるで「一時滞在するだけですよ」と言っているようだった。事実そうなのだろう。ソロモンはそんな部屋に招かれていた。
「ふむ」
少女の声がした。ただ、今は一刻を争う。心中を懺悔で埋めながら、しかし手は止めないソロモン。がつがつ、がつがつ。気持ちの良い音が続く。
「……」
がつがつ、がつ。一皿を平らげる。山は越えたか、と確信したソロモンは、なおも問いかける少女の声にようやっと答える。
「ごちそうさま。本当にありがとう」
「いや、それはいいんだ。けど、説明が欲しい」
むしろなぜ今まで、特に道中、何も聞かなかったのだ、と言いたくなったのを、ソロモンは咄嗟の判断でやめた。
時を遡って、獣を倒してもらって、少し。
慎重に、慎重に。繊細に動かし、自分を把握する。把握して、改竄する。
成長魔術。
一生の後悔か、一時の安堵か。そのどちらを得るか、それは今決定された。
「あ、あ、あ。あいうえ、お」
──成功だ。ふう、とソロモンは安堵のため息を吐いた。失敗すれば一生残る傷が付くというのに、成功の安堵はもう数時間もすれば忘れてしまうのだろう。割りに合わないな、と思った。
さて、ソロモンがこんな危ない橋を渡ったのには理由がある。魔術を使う赤子。それを客観視した時の異常性くらいは弁えていたという話だ。だから、意思疎通が可能なレベルまで成長した。一日ずつ、一日ずつ、成長しては言葉を発し、明瞭に音を出せるまでそれを繰り返す。準備不足の魔術なんて危険なものを、過剰に使いたくはなく、何歳から喋れるようになるか分からない。魔術の最小限の行使を目指した結果、このような形になったのだ。
恐らく二歳と半年程度。そこまで成長したソロモンは、目の前の、律儀にも黙って作業を待ってくれていた少女を見据えて、言った。
「俺は転生者だ。成長するから飯を用意してくれないか」
少女は、なぜか、こくこくと何も言わずに頷いた。
回想終わり。それで、少女の住むところに連れてきてもらって、ご飯を大量に用意してもらって、成長魔術をこれまた慎重に使って、ご飯を食べて、今に至る。
成長魔術。最終手段。できれば使いたくはなかったとソロモンは嘆くが、大きな失敗もなくだいたい成功したし、別に問題はないかと開き直る。ソロモンを発見したのがいかにも優しそうな人だったり哀れんでくれそうな人だったりして、そのまま『保護』してもらって安全な場所で自然に成長するのが理想だったのだが、実際に現れたのはソロモンの結界をも両断する野蛮人。コレと会話ができないのは不味い、と判断した結果の、苦渋の決断だった。
それで、成長魔術だ。これを人間に使えば骨格は変わり、筋肉は枯れる。骨格が曲がるのは人間は植物とは違って複雑な構造をしているからであり、筋肉が枯れるのは急成長に代謝が追いつかないからだ。
さて、複雑な構造をしているから、骨格が歪む。ならば、正確に術を施せばどうなるか。何度も言うがソロモンは魔力操作、『塗装』の分野においては類稀なる才能を持つ。また訳あって人体の構造に精通していた。その知識と技量を存分に発揮し、その上で最大限慎重に魔術を施すことにより、この問題を解決した。
そして、代謝が追いつかず、筋肉が枯れる。これは単純で、見てもらったら分かるように大量に食べ物を用意してもらった。もちろんそれでも一気に成長させたりはせず、少し成長して、大量に食べ、少し成長して、と繰り返し、恐らく後遺症なんかは残らなかったのではないか。
つまりソロモンは、少女には感謝してもしたりないということだ。少女のおかげで、ソロモンは実質的に何も失わず、十歳程度まで成長できた。この辺りで止めたのは食物がなくなったからである。もちろん文句など言えない。
「この恩は必ず返す」
「いや、恩なんて。で、説明してくれるかい?」
説明しろ。先ほどから少女が繰り返すのはこの言葉なのだが、ソロモンは思う。自分がおかしいのだろうか、と。その言葉の意味が全くわからない。
「えっと、何を? どうして転生したかとか?」
「違うよ、違う」
ソロモンの言葉に馬鹿を見るようなジトッとした視線を向けて、少女は言う。
「どうしてあんなところにいたのか、だよ。『ソロモンの荒野』に転生者とはいえ赤子が一人! おかしいだろう?」
それで、やっとソロモンは納得した。恩はいつか必ず返すし、できる限りの義理も果たしたいのだけれども、答えられないものは仕方がない。
「いや、すまない。それは分からないんだ」
「……ふむ。じゃあ、君はやっぱり……」
少女が立ち上がり、こちらに近寄り、先ほどまでソロモンが飲んでいたお茶? を、一口で飲み干した。
「『最下位』バアル……で、間違いないな?」
明らかな確信と共に紡がれた言葉に困惑を返す暇もなく、
「うっ……!」
ソロモンは激痛に襲われた。喉の奥から焼け、腹の底から鈍痛をもたらすような痛みだった。恐らく、毒。しかもタチの悪い、即効性の。
「……うっ、ぐ……か、はあ!」
うずくまって苦痛に呻きながらも、周囲の魔力を操作し……ようとして、魔力が薄いことに気付いた。恐らくソロモンに気付かれないように、少女がやったのだ。仕方なく自分の体内の魔力を『放出』してそれを『外部の魔力』として操作し、結界を発動する。
「いや、人違いならどうしようかと思っていたが、問題なかったみたいだ」
いや、人違いだ。
「人違いというより魔物違い、かな。僭越ながら、暗器を用いさせてもらった。あんまり趣味じゃないがね」
だから、人違いだ。
ソロモンが右手をサッと水平になぎ、その動きに結界が連動する。結界はソロモンを通り抜け、それと共に痛みがすぅと消えていった。先ほど成長魔術で自分の体を精密に把握した後だったし、このくらいの『隔離』は容易だった。
「……っはあ。勘違いで、人を、殺すなよっ」
脂汗を浮かべ、息を整えながら、少女を見上げる。苦痛を免れたことに気付かれぬよう、慎重に。
ソロモンは目を見開いた。
少女が、三人に、増えて、いた。
そっくり、そのまま、生き写し。
「「「さすがは変幻自在の獣の王」」」
声が重なって聞こえる。
「「「毒殺なんかができるわけもなし」」」
ソロモンは少女の言を思い出す。『最下位』バアル。バアルとは変幻自在の獣の王。つまり、『ソロモンはバアルとやらで、赤子に化けて少女を殺そうとしていた』と考えられている?
「「「正面からでも、負けんがな」」」
相手は三人。それも、一太刀で結界を切り裂く怪物。暗器の扱いにも長け、聞く耳を持たない。偏見で当てずっぽうだが、恐らく経験が浅く、なにかに焦っている。生き急いでいる。
ソロモンはゆっくり両手を上げた。
「降参だ」
「信じると思うかね」
三人のうちの一人が言った。ソロモンには少女がここまで頑なに不信を貫く理由が皆目見当もつかない。だから、説得に移る。
「『聞く』が、ちょっと、早とちりが過ぎると思う」
起句。魔力を起こし、次の『承句』での魔術の発動に繋げる補助魔術言語。かつてのアストレアですら気付けない、ソロモン自慢の代物。いざという時に逃げるために、ひっそりと発動する。
「『ソロモンの荒野』で無事。いくら転生者と言えど、信じられん」
「俺はそもそも、その『ソロモンの荒野』も知らん」
「一千年も昔からある大地だ。そんなわかりやすい嘘を吐くな」
「もっと言えば『最下位バアル』も、『獣の王』も知らん」
「ああ、もう、面倒な!」
あろうことか、少女は思考を、問答を放棄した。経験が浅く、無鉄砲。あの当てずっぽうは当たっていたかもしれない。三人が三人とも異空間から両手持ちと片手持ちの中間くらいの直剣を取り出し、襲いかかる。
と、三人のうちの一人が持つ、煌びやかだが、それでいて質素な『神剣』に、ソロモンは見覚えがあった。「あ、おい!」と、ソロモンは少女に呼びかける。
「その、『シュテルネンハオフェン』で、俺の嘘を斬って見ろよ!」
「……あっ」
少女は剣を振りかぶったまま、間抜けな表情で静止した。
『神剣シュテルネンハオフェン』の持ち主。
驚くべきかな、少女は、間違いなく『勇者』の正当後継者だった。
その神剣の使い方も、知らないのに。




