第三十八話 開戦する
ブラズがソロモンを飛ばしてしばらく。四人──すなわち姉弟にアストレア、ダンタリオンは、依然変わらない速さで進軍していた。
「さっきのあれで四人を飛ばすことはできないのか?」
アストレアがブラズに問う。方法はともかく、凄まじい速さでソロモンは飛んでいった。
これにブラズはどこか苦々しい表情をする。
「……できるけど、やりたくねえ」
「……?」
「あー」
駆けながらブラズは後ろを振り返る。視線の先にはしおらしく項垂れるシストがいて、ブラズはぽりぽりと頬をかいた。
「俺にとっちゃ、この『進軍』やら『魔界攻略』やらは全部魔力の“無駄遣い”なんだよ。俺は俺と姉さんが守れたらそれでいい」
自衛以外に無駄に魔力を使いたくない、と。ブラズは悪びれもせずにそう言った。彼には彼の信念があって、それを否定する権利は誰にもない。
アストレアは納得した。
「あんたはなんでソロモンなんかに協力してんだよ、勇者さまが」
今度は反対に、ブラズがアストレアに尋ねた。
「……協力というか、利害が一致しているんだ。私も彼も、『ソロモンの悪魔』を倒したい」
「あいつはその『ソロモンの悪魔』を生み出した張本人だろ。大悪党も大悪党、そんなのに協力する手前も大概悪党じゃ──」
「こら!」
シストがブラズの口を手で抑えて封じる。もがもが、とそれでもなお続けようとするブラズを置いて、シストはアストレアに謝った。
「ごめんね。こいつ、昔から『勇者』が嫌いなの」
そのままブラズの頭を小突く。脳裏によぎるはかつてシストを殺した四人パーティ。ブラズは「余計なお世話だ」とそれを振り払い、そして、アストレアは──
「あ、ああ。構わない……が」
──アストレアはブラズの目をしっかりと見て言った。
「私はともかく、ソルモは悪いやつじゃないよ。ただ世界最強を目指していただけなんだ」
どこか誇らしげなアストレア。ブラズもその真摯な目で見られては何を言うこともできず、「お、おう」と戸惑った声を上げたその時、ダンタリオンが警告する。
「来たぞ! 遊んでないで迎撃じゃ!」
バッと全員が戦闘態勢に入った。シストとブラズは背中合わせに周囲を警戒し、アストレアは神剣を取り出す。ダンタリオンは一反木綿のような白い布に乗ったまま、目を瞑った。
そして、ダンタリオンが目を見開いたその時。
「上じゃ!」
「あああああ!」
ガキィン! と火花を散らして迎撃を強いられたのは、アストレアだった。
「アストレア・ヴィ・レイヴぅ……!」
空から襲撃をしてきたのは、女。緑の軍服を着て、真っ黒な髪を背中まで流して、冷徹を絵に描いたように澄んだ相貌をした、女。アンドラスだった。そんな彼女が今は激情に顔を歪めて、アストレアに襲いかかっていた。
「……っ」
アストレアも流石は勇者、これを無傷で迎撃する。そのまま剣戟に入るが、果たして数合の斬り合いの末に傷をつけられたのは、アンドラスだけだった。
「古代の書庫!」
ここで、ダンタリオンが概創霊装を使用して、思考をねじ込んだ。
『敵はこやつだけではない! ここはお主に任せて儂と姉弟は先に行く! 構わぬな、勇者よ!』
アストレアが頷くのを見て、ブラズもシストも動き出す。別れ際に、シストがアンドラスにとある封印を施した。
「……!?」
「これで戦いやすくなったでしょ! 頑張って!」
アストレアは目でお礼を言って、シストはブラズに余計なことに魔力を使うなと怒られていた。
アストレアはぷるぷると震えていまだ何を喋ろうともせず、しかし襲いかかるでもないアンドラスに改めて向き合って、言った。
「……久しぶりだな、アンドラス」
「その名を、呼ぶなあああ!!!」
果たして、アストレアが足止めを試みようとするまでもなく、アンドラスは遠くに離れる姉弟やダンタリオンには目もくれず、アストレアに襲いかかった。
○
ところ変わって、魔界の首都。
かつ、かつ、と。
そこは静謐な空間だった。広大。大広間。天井は高く、しかし、何もない。真っ白な大理石の上に、ぽつんと玉座が一つ、据えられていた。玉座の背後には、ぎょろぎょろとした目が、何百と蠢く壁がある。
かつ、かつ、と。何もない部屋に、その足音はよく響いた。何百の目が、一斉にその瞼を閉じる。
「……王よ。第一席、第二席。それから第五席と第六席が、賊の迎撃に出られたようです。どうやら第六席が閃光弾を上げたみたいですね」
話しかけるは男。一国の王子だと言われても信じられるほど、特徴的な顔立ちだった。高い鼻、大きく美しい瞳、それから少しパーマのかかった、ふわふわした金髪。白を基調に金色をあしらえられたタキシード姿がよく似合っていた。
「……お前は行かなくて良いのかしら、バティン」
バティン、と。ソロモンの悪魔の『序列十八位』。純粋な戦闘能力だけならシトリー・グリフォンに匹敵するだろうその怪物は、しかし優しく笑った。ポケットに手を入れたまま、キラキラと眩しい笑顔で。
「そんなそんな、モラクス王」
モラクス。『序列二十一位』の魔界の王は、玉座に片肘をついてその手で顔を支えながら、眠たげな目をしていた。じとっとした目は半開きで、口元には薄ら笑いが浮かべられている。淡い金髪をツインテールにして、口の奥には八重歯が見えた。高級な絨毯のような真っ赤な装いを羽織って、彼女は訝しげに目を眇める。
「私は第四席ですよ。一席と二席が行かれたのでは、私の出る幕はありませんって」
そう言ってバティンは掌を見せつけるかのように開く。そこには確かに、『四』の文字が刻印されていた。
モラクスはため息をつく。
「……まあ良いわ。万一ということがあるものね。私の側に付いていてくれるのは、助かるのだわ」
なにせ、と。
「私にはいま、戦う力なんかこれっぽっちもないんだからね」
バティンは安心させるように微笑んで、まるで世間話でもするかのように言った。
「……しかし、ソロモン・ディビルズとは、大物がやってきましたね」
「あんなの小物よ。興味もないのだわ」
「おや、そうだったのですか。千年夜城があれですから、てっきりモラクス王はソロモン・ディビルズに執心しておられるのだと思っておりました」
モラクスは再びため息をついた。
「……はあ。確かに、千年夜城は完成とともに世界から魔力を奪うわ。だけれど、それはあやつに感化された訳でもなくて、それが一番効率的だからなのだわ」
世界を征服するのにね、と。
それだけ言って、モラクスはバティンを玉座の間から追い払った。ここまで、長かった。これといった苦労はしていない。強いていうなら、暇の潰し方が見つからなかったくらいだ。ただただ、長い千年だった。
それもようやく報われる。気合いを新たに、モラクスは再度千年夜城の建設に取り掛かった。
「(それにしても、どうしてソロモンは世界最強を手にしてまで、転生したのかしら)」
それだけが疑問なのだわ、と。物思いに耽るモラクスの背後では、バティンが「はい」と笑顔で退室していくところだった。
○
ソロモンは歩いていた。疲れたわけでも、走るのが面倒になったわけでもない。子供が目を覚ましたのだ。どういうわけか子供は抱かれるのを嫌がったので、今は手を引いて進んでいる。子供の歩幅に合わせているので、自然それは歩行になるのだ。
「……なあ君、名前はなんていうの? 言葉、わかる?」
ソロモンは恐る恐る尋ねた。子供は頭に手をやって、何かを必死に思い出そうとするようにする。
「……わかんない。わかるけど」
「……? ……!」
ソロモンは一瞬悩んで、それから理解した。(名前は)わからない。(言葉は)わかるけど、と。子供はそう言ったのだ。
「そう。記憶喪失なのかな。 ……できれば関わりたくなかった案件だね」
「記憶は、あるよ。おじさん何言ってるの」
「……なあ、急に走りたくなってきたんだけどさ、もちろん君を放って。というより俺は確か今、できるだけ早く移動しなければならないことを思い出したんだけどさ、君はどうする?」
ソロモンそう言って、やけにいい笑顔を子供に向けた。
「名前、わかんないや」
子供も、いやに無邪気な笑顔でそう言った。それはまるで「質問に答えられたよ、偉いでしょ!」と誇っているようでとても愛らしいものだった。が、それは同時にソロモンを酷く惨めな気持ちにさせるものでもあった。
「……そっか。じゃあ──」
ブン、と子供は、透明な結界に閉じ込められた。身動きすら窮屈なほど狭い直方体。ぺたっ、と手を結界に触れて、閉じ込められたことを理解して、子供は言った。
「え?」
「──思い出すまでそこにいるんだぞ」
直後。ソロモン・ディビルズの全身を鳥肌が走った。相当な魔力。そして何より、自分への執心。蛇が獲物を睨みつけるように、そいつはソロモンを見据えていた。
そいつは、ゆっくりと近づいて来ていた。まるで焦る必要などないかのように。絶対強者のように振る舞うそいつに、ソロモンは言った。
「……場所を、変えないか。庇いながらじゃ勝てそうにない」
「枷が無ければ勝てるみたいな言い方だなあ、おい?」
粗暴な見た目。爬虫類を思わせる、黒と黄に統一された全身。背中に生えるはグリフォンの翼。それらは全て、ダンタリオンからの情報と一致する。
そいつの名はシトリー・グリフォン。『序列十二位』、城六伯の第一席。ただでさえ化け物揃いな『ソロモンの悪魔』の中でも一際凶悪だと思われる存在。
「なんだ、おれのことを知ってるのか。まあいいぜ、場所を変えてやる。ただし──」
シトリー・グリフォンがパチン、と指を鳴らす。
瞬間、世界はどんどんと色を失っていき、やがて、有色の存在はソロモンとシトリーだけになった。
「──ここは俺の世界だがな!」
世界創造。それもかつてセーレの創ったようなモノではなく、そこは正真正銘の牢獄だった。
灰色の世界の中で、ソロモンはじとりと汗を流し、目を細めるのだった。




