第三十七話 閃光弾が放たれる
マルクス→モラクスに訂正。
「どうして魔術を使ったんだ、ソルモ!」
アストレアが走りながらソロモンを詰問した。
「いや、だってこいつむちゃくちゃ腹立つんだぜ?」
ソロモンは抱える子供を少し持ち上げる。この、このと振り回してやると、子供は嫌味に気付かずきゃっきゃと笑った。アトラクションじゃないんだぞと。
「過ぎたことはもうどうしようもないわい。強行突破じゃ、このまま首都まで行くぞ!」
続けて、
「お主のせいで計画が台無しじゃ。何人か漏れがあるぞい」
言って、ダンタリオンは「『古代の書庫』」と魔術を行使した。それは、アモンのノートやセーレの眼鏡と同じ概創霊装。形態は古本。くたびれて、しわくちゃになった本だった。それが光って、そうして次の瞬間、ソロモンらの頭の中に情報が流れ込んできた。
「……これは……!」
「……すごいな」
古代の書庫。他人の頭の中に情報をねじこむ、ダンタリオンの概創霊装。それによってダンタリオンの持つあらゆる情報が、ソロモンらに共有された。
それは魔界に住みつく悪魔の情報。
『魔王』こと『序列二十一位』モラクス。千年夜城と呼ばれるものを建設しているらしいが、詳細は不明。
『城六伯』と呼ばれる幹部六名の、そのうちの三体。
第一席こと『序列十二位』シトリー・グリフォン。マルクスに従う理由は不明。恐らく魔界において最強の男。
第二席は『超人』ツラトゥストラ。驚くべきことに、このツラトゥストラというのは人間らしい。
第六席にソロモンの悪魔より、『序列六十三位』アンドラス。軍人気質の女。直接攻撃系の概創霊装を持つ。
第三席から第五席については現在調査中らしい。
「お主がもうちぃと大人しくしとったら、こいつらのことも調べて、それから万全の状態で挑めたんじゃがのう……」
思考の共有。情報の強制伝達。それを為した当人は、なんでもなさそうにそう言った。
ソロモンは驚愕する。ダンタリオンが魔術を使った瞬間に、上記のことが理解させられた。まるで最初から知っていたみたいに、知識の深いところにその情報があった。恐ろしいまでに有用で、計り知れない魔術。
例えば、『お前は死ななければならない』というような知識を常識として刷り込めば、その者の精神を崩壊させることも容易だろう。それでいて、このように正規の使い方をすれば、一瞬で自軍に情報を共有することもできる。
しかしそんなことよりも、ソロモンは与えられた知識の方に意識が持っていかれた。
「……『ソロモンの悪魔』が三体もいるのか……?」
ソロモンが顎に手を当てて考え込む。しかし、絶望に叩き落とすように、ダンタリオンは追い討ちをかけた。
「最悪、『ソロモンの悪魔』クラスの敵が六人はおるぞい。席次が強さで決められとるとして、アンドラスが第六席に置かれとるからのう」
最悪の想定だった。第三席から第五席までの三人が、その全員が『ソロモンの悪魔』たるアンドラスよりも強いかもしれない、と。
「……その、二人、知り合いがいる。まずアンドラスについてなんだが」
ここでアストレアが思案顔でダンタリオンに問うた。
「軍人気質の女。冷徹を絵に描いたような冷たい表情をして、背中まである黒髪で、しかし、残忍さも持っているような……そんな女で間違いないか?」
アストレアが列挙したのは、ダンタリオンが送り込んだ情報そのまんまだった。
ダンタリオンが頷いた。
「ああ、そうじゃ」
「……妙だな。私は過去、似たような、いや、全く同じ『ソロモンの悪魔』を討滅している。彼女も自分をアンドラスと名乗っていた」
ダンタリオンは考え込む。
「ふむ。アンドラスは直接戦闘系の概創霊装じゃから、自力で蘇生やら復活やらはできぬ。お主の勘違いか、それとも誰かの差し金か──まあ、会ってみればわかるじゃろ」
そして、思考を放棄した。
なぜならばもう時間はないからだ。誰かさんのせいで。
一行は駆ける。全力疾走する。ソロモンは、自分のせいとはいえ、転生してまでこんなに激しい肉体労働をしなければならないなんて思ってもいなかった。
ふとダンタリオンの方を見てみれば、彼は変なものに乗っていた。一反木綿のような真白い布は、ゆらゆらと揺れながらもしっかりとダンタリオンの体重を支え、浮遊している。
「なんだ、いいなそれ! 俺にも使わせてくれよ!」
羨ましがるソロモン。これが、とある男の逆鱗に触れた。
「……そんなに走りたくないなら飛ばしてやるよ」
苛立ちのこもった声をあげるはブラズ。今回の一番の被害者は彼である。姉ことシストのわがままでここまで連れてこられ、その姉とソロモンの失態で、危険な強行に同伴させられている。
「え?」と困惑の声をあげる暇さえなかった。ソロモンの身体はいつのまにか浮遊して、抱える子供とともに、遥か彼方へ飛ばされた。
「ええええー!!!?」
シストの力を『封印』とするならば、ブラズのそれは『解放』。
強い怒りの感情とともに振るわれたその『放出』の力は、あらんかぎりにソロモンを飛ばした。ぶっ飛ばした。ソロモンに否があるとはいえ、シストは顔を手で覆わずにはいられなかった。
「……やりすぎじゃない、ブラズ?」
「やりすぎくらいがちょうどいいだろ、あいつには。 ……あと、姉さん。姉さんも今の自分の立場わかってる?」
ブラズにそう睨まれては、シストは何もいえなかった。そしてダンタリオンもアストレアも、決してブラズを責めなかった。彼や彼女も同じ気持ちだったからだ。
○
アンドラスが駆ける。目指すはソロモン・ディビルズ。彼の魔力の質は覚えているから、気配は比較的追いやすい。それが急に、恐ろしいまでの速さで移動した。
「!?」
ソロモンの気配はどんどんと近づいてくる。まるで大砲にでも飛ばされてきたかのようで、やがて、それはアンドラスの目の前に着地した。
「いてっ」
着地。結界を張り、恐らく弾力のあるそれだったのだろう、ぼよん、と優しく弾かれてから、ソロモン・ディビルズはアンドラスの目の前に尻餅をついた。手には子供を抱えており、いてて、と頭の後ろをさすっている。
「……」
アンドラスは困惑した。これがソロモン・ディビルズか? と。自分たちを六百年も結界に閉じ込め、大悪党と呼ばれる者が、こんな凡夫のような雰囲気の男か? と。
青みがかった黒の髪。一本、真っ青なメッシュが左目の上に入れられている。格好は魔術師そのまんまと言ったような茶色のローブだったが、いくらか機能的な装飾も施されていた。腰には収納用のポケットが二つついており、だぼついた服により、他にもどこに何が隠されているかわからない。
よくよく見れば、そのように『戦闘』的な出で立ちをしている。だけれども、アンドラスは思うのだ。
覇気がない、と。
意思が感じられない、と。
かつて自分たちを閉じ込めた『結界』にはあったあの意思が。
絶対に魔力を逃さない。世界最強の座は渡さない、という強い意思が、眼前の男からは感じられない。
きっとこの男にとっての今生は、転生後の世界は、余生のようなものなのだろう、と。どうしてか、アンドラスにはそれが理解できた。
「……っ」
ここで、アンドラスはもう一つの気配を感じとる。ソロモンとはまた違う、因縁の相手。かつて自分を奈落の底に叩き落とした女。
「アストレア・ヴィ・レイヴ……!!」
アンドラスは閃光弾を頭上に打ち上げてその場を後にした。
ソロモン・ディビルズなどどうでもいい。こんな腑抜けた男など他のやつらに譲ってやる。今はこの奇跡的な偶然に感謝しよう。勇者との再戦が叶うことを喜ぼう、と。
残されたソロモンは急に空に打ち上げられた閃光に驚いて、少し経った後に、首都の方へと歩き出した。
「……とりあえず、進むか」と。
ふと、ソロモンの視線が子供に向いた。ソロモンらに会うや否や急に泣き出した子供。魔物だらけの魔界で、どうしてか一人ぼっちだった人間の子供。彼はいま、ソロモンの手の中で安らかに眠っていた。
ソロモンは、とりあえずこの子だけは守り切ろうと心に誓った。自分たちの都合でこんな危険な目に晒しているのだ。その責任は、取らなければならない。
奇しくも、その瞳は強い意志の光に満ちていた。
○
「……ちぃっ」
シトリーが舌打ちをする。眼前には血だらけの少年ことツラトゥストラと、毅然とシトリーを睨むグリーディアがいた。
ツラトゥストラは頭から血を流して、その白い装束も真っ赤に染めて、しかし半身に構え、シトリーに剣を向ける。
シトリーは思う。装束。そう、あの真っ白い装束が厄介だ、と。
それは袴田と呼ばれていた。上半身は真っ白、下半身は真っ赤。道着のようなゆったりとしたその服は、相手に足運びを悟らせない。気付いた時にはツラトゥストラは目の前にいて、気付いた時にはいなくなっている。
加えて、グリーディアだって腐っても『ソロモンの悪魔』である。シトリーに比べれば大したことはないが、それでもちまちまと邪魔をしてくるのがうざったらしい。状況はシトリー優位の膠着状態といったところか。だが、それはつまり、彼らはシトリーの足止めという目的を達成していることを意味していた。
「……っ!」
「!?」
「……」
ここで、遙か遠くの空に閃光が輝いたのが、三人の目に届いた。
「……は、はは。おい手前ら、見たか? 見たよな?」
シトリーが尋ねる。これにツラトゥストラは静かに目を閉じ、頷いて刀を下ろした。グリーディアも構えを解いて首都を出ようと走り出す。シトリーは言わずもがな、誰よりも先に出発していた。
閃光弾。先に迎撃に出た城六伯が、一人では手に負えないと判断した場合に上げる救援要請。敵が複数だったか、それともアンドラスよりも遥かに強かったか。果たして閃光は放たれた。
「さあ、凱旋だ!」
シトリーは、嬉しそうに、楽しそうに、そう言った。




