第三十六話 子供相手に激昂する
ソロモンとシストは宿屋に戻っていた。部屋はソロモンのもの。昨日はブラズが眠っていたベッドの上にシストが座り、ソロモンは床、ソロモンのベッドの上には、子供がいまだ、泣きじゃくっていた。
まずは、子供をなだめなければならない。いつまでも泣かれていては話も聞かないからだ。
「……私が行くわ!」
シストが言った。子供の目の前に立って、目線を合わせて、にっこりと微笑む。
「……ぼく、どうして泣いてるの?」
目線を合わせるまでもなく背丈は同じくらいなのだが、それは小人族だから仕方ないとして、その声音はとても優しいものだった。よしよし、と慈愛に満ちた様子で、全てを包み込むような雰囲気を持って、それにあてられてか子供も泣き止みこそしないが、シストの方に向き直る。
「……ん? よしよし、どうしたの?」
それから、追い討ちをかけるようにシストは頭を撫でようとした。やはり優しい声色で、それはまさしく天女のようで、そして──
──ぱあん! とシストの手が弾かれた。
「……え?」
「子供に子供扱いされたぁーー!!」そうして、子供はまたも泣きじゃくる。「僕よりお子様なのに! まな板のくせに! うわああーん!」
絶句。ソロモンもかける言葉がなかった。顔を青ざめさせて一歩、二歩と後ずさるシストを、ただ見ていることしかできなかった。
シストがソロモンの方を振り返り、そうしてそれで、ソロモンはシストの目に涙がたまっているのに気がついた。
「……あ、おい待てやめろ! 俺の負担を増やすな! 二人もなだめるのは無理だって!」
しかし、ソロモンの思いは届かない。ソロモンの願いは叶わない。無常。無情。不条理に、試練は彼に降りかかる。
顔を真っ赤にしてシストはぷるぷると震えて、それから、彼女も彼女で、泣き出した。
「……うぅ……ソロモン……!!」
うわああーん、と。外見相応に。年不相応に。シストは涙で視界を濡らす。しかし、ソロモンこそ目の前が真っ暗になった気分だった。泣きたいのはこっちだった。次に何をするべきか悩んで、悩んでばかりでは始まらないと思って、ああ、『悩んでばかりでは始まらない』なんて、こんな状況で考える言葉じゃないだろと思って、そして──
「──どうするもこうするもないだろ!」
まずは、子供をあやすことにした。シストはあとでいくらでも、どうとでもなる。今は子供だ。人間の子供。なぜか魔界に置き去りにされていた、人間の子供。正体不明。コレをあやして、事情を聞くのが、今の最優先事項だろう、と。
「あー……あ、フーアーユー?」
しかし、シストがこの有り様であれば、ソロモンこそ言語の壁に阻まれるが故に、コミュニケーションなど取れようもない。なんとか身振り手振りで、ソロモンは子供を安心させようとする。
奇しくも、その様子は先程のシストと同じようなもので。
「……」
子供が、残念なものを見るような目で、ソロモンを見た。
律儀にも一瞬泣き止んで。哀れみや、嘲笑。それら全てを含んだような、眉をしかめて、まるで頭のおかしい人を見るような目で、ソロモンは見られた。
「……は? なめてんの?」
果たしてソロモンは激昂した。
ああ、これではシストを笑えない。そんな『恥』を感じる余裕すらなかった。ソロモンは言葉を放棄することにした。すなわちこちらに関心を示す様子もなき子供に敢行するは、攻撃だった。
「花起句!」
「……え?」
泣き喚いていたシストが冷静になってソロモンを止めにかかろうとする。だが遅かった。もう、ソロモンは『魔力』を『起』こしてしまっていた。
「鳥承句、風転句、お前ら全員、月結句!」
「……あー、あー、わー!」
シストのあわあわと取り乱す様子はまるで子供のようで、いや、姿形こそ十一歳ほどの幼子のそれなのだが、外見相応に目を丸くして、魔力の様子に慄く彼女は実年齢を感じさせなくて。
戦慄して、ソロモンをまさしく馬鹿を見るような目で見て、しかしそれを『封印』して止めようとはしなかった。
「……あーあ」
「花鳥風月!」
瞬間、ソロモンの魔力は解放される。
花が咲く。風が舞う。天狗が踊れば花は散る。散る花たるに風吹けば、踊り語ろう風天狗。頭上に佇む白鳥なれば、天狗は慄き幼くなりて、花散ることなく桶屋が儲かる。子供の上には桜が見える。
果たして子供は泣き止んで、ついできゃっきゃと笑い出した。
「……これ、宴会用の……」
「おう、一発芸! 花が舞って、天狗が踊って、白鳥が飛ぶ花鳥風月!」
ソロモンは胸を張って、子供を見る。いまだ自分の周りを舞う桜を掴もうとしながら、しかし小さくなった風天狗は器用に扇子を振って、子供が今まさに掴もうとした桜の花びらは、ぬるりとその手を逃れた。白鳥がそらを見て天狗を小突いて、子供に花びらをくちばしで咥えて、渡してやる。
子供はやはり、きゃっきゃと笑った。
「……そうじゃないでしょ……」
「ん? ほら、泣き止んだぞ。話を聞こう」
言葉がわかるのはシストなんだ。ここからはお前の役目だぞ、と。そう言うように満足げな顔をするソロモン。それをシストは鬼のような形相で睨んで。
次の瞬間、部屋にアストレアとブラズ。それからダンタリオンが駆け込んできて。
「……よりにもよって、魔術を使ってどうするのよ!!」
シストが、それは自分の醜態への羞恥か、ソロモンへの怒りか。顔を真っ赤にしてそう言った。
「……あ」
気付いた時にはもう遅い。鬼のような形相のシスト。困惑するアストレアに呆れるブラズ。それから笑う子供に、引きつったようにソロモンは唇をひく、ひくとさせて、それから顔を青ざめさせる。
「……逃げるぞ、お主ら!」
ダンタリオンのその声で、ソロモンら五人と、それから子供も放ってはおけないとソロモンが抱えて、一行はその場を逃げ出した。もはやローブも纏わず、魔術も使い、あらんかぎりに遠くへと。
○
遠く。そこは魔界の首都真っ只中で、反応を示したのは五人。城六伯のうちの四人と、それから、『魔王』モラクスだった。
「……侵入者、か」
探りあいが起きる。誰が行くか。何人が行くか。はたまた放っておくか。モラクスが首都を離れることはない。千年夜城のそばを離れるわけにはいかない。だから行くのは五人のうちの誰かだ。
果たして、それに最初に気付いたのはアンドラスだった。
「……! これは、ソロモン・ディビルズ……!?」
性根が軍人たるアンドラスは、たとえ気が付かなかったとしても出陣しただろう。だが、気付いてしまったのなら、駆ける足も早くなろうというものだった。
「……!」
「おっほあ! ソロモン・ディビルズか!」
一拍遅れて他の四人も気付く。しかしもう遅い。その時には既にアンドラスは首都を離れていて、そうして、城六伯にはとあるルールがあった。
「……なにしやがる、グリーディア」
すなわち、『侵入者は原則一人で迎撃する』、と。
出陣しようとしたシトリーの首に、そっ、と女の手刀が添えられていた。まるで『動けば殺す』と言っているように。
「……もう既にアンドラスが出たのよ。早いもの勝ちでしょう、こういうのは」
「でも、ソロモン・ディビルズだぜ!」
「関係ないわよ」
シトリーは、それでも出ようとする。今回ばかりは例外だと。グリーディアも引かない。そもそもいつも侵入者を迎撃しているのはアンドラスなのだ。それをこの男は、普段は面倒くさがって全く出陣しないこの男が、相手が相手だからといってルールを破ってまで、戦いに行こうとする。
それが、グリーディアは許せなかった。タバコを咥えて、軍服は着崩して、しかし、それでもグリーディアはソロモンの悪魔の中では心のある方だった。アンドラスに、こんな時くらい、花を持たせてやりたかった。
次の瞬間、バッ、とグリーディアが弾き飛ばされる。
「……今ならまだ、見逃してやるぜ、グリーディア」
そこにいるのは悪魔。『序列十二位』の大悪魔、シトリー・グリフォンである。並の悪魔では到底敵わない、『魔王』モラクスよりも強いだろう男。モラクスより第一席の座を与えられた、正真正銘の城六伯最強。
シトリーがべろぉ、と舌を出す。長い舌。真っ赤にぬらめくそこには、『1』の文字が大きく存在感を放っていた。
「……第一席……『序列十二位』シトリー・グリフォン……!」
グリーディアはたじろぐ。怯む。義に厚いと言っても、強者を前にした時に震える体を抑えられるほど、獣の本能を捨ててはいない。立ち上がろうとしては、手を滑らせ、尻餅をついて、身体が、心が逃げようとする。
それにため息をついて、シトリーが前へ進もうとしたその時。
「……待て」
かつ、かつと奥から、ゆっくりと歩いてくる影があった。
「グリーディア。臆病で勇敢な『ソロモンの悪魔』よ。今回ばかりは、手を貸そう」
少年だった。屋根の上でよくグリーディアと会話を交わす少年。人間の身でありながら城六伯の席をもらっている超人。灰色の髪を靡かせ、この世の全てを呪うかのような目つきで、シトリーを睨む。
「……人間が何の用だよ、おい」
「そうだ。俺はお前たちからすれば、取るに足らない人間だろう。だが──」
シトリーが少年に襲いかかる。グリーディアはソロモンの悪魔だから『同胞』として扱うが、少年はただの人間。その限りではない。シトリーは少年を、遠慮なく殺すことができる。
ガキィン! と。シトリーが振り下ろした剣は、簡単に少年に弾き飛ばされて、くるくると宙を舞い、シトリーの背後にぼとりと落ちた。
「──だが、それでもモラクスから第二席を預かっているのでね」
背後にグリーディアを庇う少年は、そう呟いて、いつからか取り出していた剣を正面に構える。
「こういう時くらい活躍しなければ」
右の手の甲には、真っ黒な墨のようなもので『2』の文字が書かれていた。




