第三十四話 ソロモンは嘆く
知らず、ため息が漏れた。今は近くにブラズもいないのでそれがからかわれるようなこともなく、さらに言えば皆んな馬車の中で眠りこけているので、反応してくれる人さえ一人も、いなかった。
ただ一人起きて馬車をひくはソロモン・ディビルズ。ため息をついたのもソロモンだ。結局馬車をひく人は交代制になったので、今はたまたまソロモンの当番というだけなのだが、孤独であるのは否めない。鞭を振る手も鈍ろうというものだった。
いや、手が鈍いのは、孤独なためばかりでもない。
「……なんでこんなことになっているんだ」
ソロモンは魔界になんぞ行きたくはなかった。
始まりは何だったか。そうだ。勇者に殺されないために、ソロモンの悪魔討伐を掲げたのだった。そうでもしなければ大悪党ソロモン・ディビルズは世界の敵になってしまうから。これは避けようのなかったことであり、強いていうならアストレアと出会ってしまったことが、間違いだった。
アストレアと出会ってしまったことが、間違いだった?
それは違う、とソロモンは思う。彼女は優しくて可愛くて強くて、理想の女性だ、と。
「……アストレアは良いやつなんだけどな……」
つまり、勇者が悪い。蝶々が全ての元凶だ。『正義を執行することを強制する虫の思念』ってなんなんだよ。異常事態にもほどがある。
まあ、アストレアに出会わなければ隠居して、悠然と過ごしていただろうことは間違いないのだが。
ソロモンはまたしてもため息をついた。始まりを思い返しただけで、魔界進軍が避けられない事象だったことを再確認してしまったからだ。魔界というのはソロモンの悪魔の一柱、『序列二十一位』モラクスが占領した、元は人間の国だった場所のことらしい。ソロモンの悪魔が住み着いているのならば、ソロモンにはそこに行かなければならない。
「……なんじゃい、そんなため息をついて」
「うわぁ!」
ソロモンは驚いて手綱を放り出してしまった。慌てて結界魔術を器用に使って手綱を再度掴んで、振り向いて見ると、そこにいたのはダンタリオンだった。白髭白髪の老人。眉も白く、顔はそれぞれのパーツが見えないほど、真っ白な毛で覆われている。今日は執事服を纏って、杖をついていた。
「……なんだかアモンみたいだな、ダンタリオン」
「人をお化けみたいに驚いて、続く言葉がそれか。ワシのはこすぷれじゃよ。執事ってなんだか賢者っぽいからのう! アモン・ヒープは生粋の奉仕人じゃから、一緒にしてはあやつがかわいそうじゃ」
ソロモンはキャラ被ってるな、なんて思った過去の自分を殴りたくなった。訂正するまでもなく、ダンタリオンはアモンとは全く異質の、食えない老人だった。
「それで、何しに来たんだよ」ソロモンはあくびをした。「俺の暇つぶしでもしてくれるのか?」
「まさにそれじゃて」ダンタリオンは嬉しそうに、悪魔のように言った。「ため息の訳を聞かせよ。笑ってやるわい」
「……つくづく『悪魔』だよな、あんた」
人の不幸は蜜の味。そう言わんばかりに、憚りもなく自分の『悪魔』な部分を前面に出すダンタリオン。ソロモンはしばし悩んだが、減るものでもなし、暇つぶしに付き合ってくれるならと、会話に応じることにした。
「俺、魔界なんか行きたくないんだよ」
「……ふむ」
「んー、なんて言うかな。俺の人生は昔バアルとアストレアーーああ、アストレア・ヴィ・レイヴじゃなくて、俺の時代のアストレアな。こいつら二人に全力を尽くして負けた時に、終わったんだよ。だから今現在は俺としては、余生のつもりなんだ」
最強を目指すつもりもないし、世直しするつもりもない。もう一度転生するのも面倒だし、死にたくないから、ソロモンの悪魔討伐を目指しているが、本当は、ゆっくりと過ごしたい。
「ベリアルも、レラージェの件も、帝国のーーアマイモンっつったっけか。こいつらのいざこざも、ほとんどアストレアが解決したようなもんだ。俺はいつだっていてもいなくても変わらないポジションにいた。こんなことになるんだったら、魔力封印を解除してから転生すれば良かったなって」
「……そうすれば、私もアモンも、生まれはせんかったんじゃがのう」
「……それもそうだ。あんたはともかく、アモンは結構好きだからな。封印解かなくて良かったよ」
ソロモンは鞭を振るう。そろそろ馬も休ませなくてはならないかもしれない。馬車を選んだのは、魔界に行きたくないソロモンのせめてもの抵抗だった。調教された魔獣に車をひかせればもっと早く移動することができたのだが、「疲労困憊の帝国からそんな労働力を奪うなんて!」と訴えて、馬車を採用したのだ。次の町からは魔獣車を借りることになっているが。
「……なあ、ソロモン」と、ダンタリオンは声を低くして、真面目そうに言った。「そう簡単な話でもないかもしれんぞ」
「……何の話だ?」
ダンタリオンは、まるで頭の中で考えを整理しているように、ゆっくりと話し出した。
「仮に、仮にじゃ。お主が勇者と会わず、ソロモンの悪魔に無関心に過ごすとしよう。勇者と出会わなければお主は正義に生きる必要などないのじゃから、お主は余生を謳歌する。ここまでは良いな?」
「……ああ」
「……じゃがのう。お主を恨んどる奴なんて、山程おるんじゃぞ。ソロモンの悪魔にも、人間にも」
「……あっ」
ダンタリオンは意地汚く笑った。
「じゃからお主が安寧を得たいのならば、ソロモンの悪魔をみな殺すしかないのじゃ。そうすれば、人間どもも許してくれるじゃろうしのう」
ソロモンは項垂れる。八方塞がり笑止千万。そもそもアストレアの存在によって八方はもともと塞がっていたわけだけれども、希望を見ることすら許されないのか、大罪人には、と。せめてもの意趣返しに、明らかに八つ当たりなわけだけれど、ソロモンはダンタリオンに言ってやった。
「……その『人間ども』っていうの、なんだか魔獣みたいだぜ」
ダンタリオンは微笑んで、しかし、その目の奥の光が怖かったので、ソロモンはそれ以上は何も言わなかった。
○
町から町へ、国を跨いで移動を続けて、一週間が経ったころ。周囲の風景も生活するに似つかわしくないもの、おどろおどろしく、まさに『魔』の国を思わせるものになってきた。その様変わりは唐突で、現につい先ほどまで、ソロモンら一行は人間の町で過ごしていたのに、もうそこは草木が枯れる真っ暗な土地だった。
「……ここから、魔界か」
「……そうじゃ。驚くのはまだ早いぞい」
魔獣に襲われるようなこともなく、ソロモンは馬車を走らせる。果たしてダンタリオンの言葉は真実だった。それは、魔界に入ってから一日が経って、初めて『魔界の町』にたどり着いた時だった。
「わあ」
それは、獣だった。獣人ではない。四足歩行の、正真正銘『魔獣』が、和やかに過ごしている様子だった。談笑し、通貨を用いて買い物をし、門をくぐってすぐのそこは市場だろうか、賑やかさは人間の町にも劣らない。よくよく見れば二足歩行のものも散見される。そこは紛れもなく、魔獣の町だった。
ソロモンたちはフード付きのローブを被っていた。顔を隠すためだ。ダンタリオンだけは素顔を晒しているが、彼は真っ白な羊面である。宿をとるのも馬車を預けるのも、全てダンタリオンがやってくれた。
「……ぷはあ。すごいけど、息が詰まるな、ここ」
宿の部屋に入ってすぐ。ソロモンは荷物を整理してベッドに倒れ込み、重圧から解放されたようにそう言った。その所感には通ずるところがあったのか、続くブラズも同じようにベッドに倒れ込んだ。
「…….すぐそこに魔獣がいるというのは、確かに落ち着かない。強風でも吹いたらどうしようかと思った」
「こんな薄っぺらなフードが命綱っていうのも酷いよな。変装魔術なんかは俺は使えないし」
「……魔術を使ってはダメだと言われただろう。相変わらずヒヨコみたいな記憶力だな」
「は?」
ブラズは右手をひらひらするだけで、それきり喋らなくなった。煽るだけ煽って無視。腹が立つが確かに、ダンタリオンがそのようなことを言っていた気がする。
「……完全受動態の悪魔モラクス、だっけか。『能動的に動かない』制約を遵守している限り、爆発的な力を発揮する。確かに、そんな奴の目と鼻の先でトリガーを起動してやることもないか」
曰く、モラクスにとっては、魔界として『国』を建設した時点で世界を征服したようなものなのだと。モラクスが『受け身』であるうちはほとんど無敵のようなものだからだ。モラクスは王座で座して待つだけで、勝手に魔界に挑んでくる奴らは、『無敵の権能』に負けるのだ、と。
『……じゃから、ソロモン。お主は撒き餌じゃ。餌。チョウチンアンコウのちょうちんじゃ。お主をやつの目の前にぶら下げてやって、なんとかやつを『能動的』にする』
話はそれからだ、と。モラクスに落ち着いて考える時間を与えないために、至近距離に接近するまで決して悟られるようなこと、特に魔術を使用するようなことは、絶対にしないでくれ、と。
明日もお世話になるだろうフード付きローブを、ソロモンは微妙な顔で眺めた。




