そうか
『ソロモンの悪魔』で最も強いのは誰か、と問われれば、「俺だ」と答える傲慢な奴らを除いて、「アガレス」と答える者が大半だろう。『序列二位』の名は伊達ではない。権謀術数張り巡らせても、一対一でアガレスに勝つことは誰であれ困難だろう。
さて、果たしてそれは、『現在』の話である。
今から一千年と少し前。未だ『ソロモンの荒野』は結界に閉ざされていて、人類が魔術を半ば失っていた時期。その結界内で、常識となっていることがらがいくつかあった。当時の獣たちの知性は、未だ人類のような高度なモノではなく、貧弱な、『本能』と言ってもいいくらい希薄な、知能。そんなものだからこそ、共通認識たるその常識は広く浸透していた。
すなわち、アモンには逆らうな、と。
アモン・ヒープには逆らうな。
アモン・ヒープの前を歩くな。
アモン・ヒープの気に障るな。
世界はアモンを中心に回っていて、アモンが世界を回していた。
『序列七位』アモン・ヒープ。『序列』というのは強さを表したものだが、その点アモンは能力一つ一つの相性が良すぎたのだ。『この能力なら七位程度の強さだろう』と世界に定められたのに、戦闘において誰をも凌駕した。アガレスでさえ、彼と争うのは躊躇った。
アモン・ヒープの特に優れていた点は知性だった。知能において誰より勝っていたから最強たりえた。次から次へと手を考えだし、それを実行する能力があった。いつしか彼のもとには、数多の部下がいて、彼はそれを、渋々ながら、率いることになった。
アモン・ヒープは優れた知性を持っていた。
それ故に自分が最強である現状を憂いたのか。危険だと思ったのか。また誰かの策略であったとして、それに全く気がつかなかったというわけでもないだろう。最後はやはり、アモン・ヒープが自ら受け入れたのだ。
「私ごとき、人を率いる器ではない」
アモンはいつのまにか二人に分かたれていた。
『善』のアモン・ヒープ。『悪』のアマイモン。彼らは互いに互いを嫌っていたから、共闘するようなこともなく、戦闘能力は文字通り半減した。これを以て『序列七位』はようやく、序列通りの強さに収まったのだ。
「こうして俺が生まれたわけだ」
そうしてアマイモンは締めくくる。アマイモンがセーレを拾ったのは何かに使えると思ったからだ。それ以上でも以下でもない。少なくとも、こんな身の上話をするためではなかった。
「一つ気になったのですが……」セーレの人間だった頃は黒かった髪は、荒野の魔力に当てられていつしか虹色に光るようになっていた。元来の無表情さも相まって、それは悪魔らしい神秘的さを醸し出す。「『善』とか『悪』とかって、誰が決めてるんですか?」
「世界だよ」アマイモンは即答した。「お前もわかるだろう? 俺の序列は七位、お前の序列は七十位。勇者の正義は世界の正義。……って、ああ。お前は人間だったから、わかんねえか」
「いいえ、わかります。なぜだか、自分が七十位ってことは、わかります。アマイモン様が七位であることも。でも、善とか悪とかは、わかりません」
「俺はわかるんだよ。アモンも多分わかってる。俺が悪であいつが善だ。自分のことだからな。世界に選択される感覚がわかるんなら、まあ、そういうことだ」
アマイモンはそう言って、そっぽを向いた。ああ、今日は稽古をつけてもらえないな、とセーレは思う。これで意外と繊細なところがあるのだ、アマイモンは。見たところ特に気に障ったわけでもないらしいのがセーレにとってはやりづらい。
「……だから、世界を壊すのですか」
どうせ今日はもう構ってくれないのならば、聞いてしまおうと思った。ここまで踏み込むと、明日も明後日も構ってくれないかもしれない。それでもセーレは尋ねてしまった。自分が悪だとされたから、世界に復讐するのか、と。
「……そうじゃねえ。俺が悪なのはいいんだ。あいつが善なのが気に喰わねえんだよ」
あいつも俺も同じなのにな、と。
その返答に、どこか安堵している自分がいるのに、セーレは気付いた。もしもアマイモンが肯定していたら、セーレはこう言ってあげるつもりだったのだ。『世界が悪と定めても、私はアマイモン様を慕っておりますよ』、と。結局、死ぬ間際まで伝えることはできなかったが。
この日、アマイモンは稽古をつけてくれた。
○
「お前はいいのか」と。
それは恐らく、アマイモンの、初めてセーレを案じた言葉だった。
セーレは驚いて、少し反応が遅れて、さらに言えば、アマイモンが何と言っているのか、わからなかった。
「いい、とは?」
「……世界を、壊せるかって話だ。お前は一応、人間で、家族がいて、友人だってその、いるだろう」
セーレは微笑もうと思ったが、できなかった。家族を自分の力に殺されてしまった時以来、うまく表情を作れなくなってしまった。自分のすることなすこと全てが、制御不能に、災害を作り出してしまう気がするのだ。ならば、まばたきなど絶対にすることのなく、目を閉じて無表情でいる方がいい、と。
こんな場面で微笑むことすらできないのは、少し歯痒く感じるが。
「……いません。友人も、家族も、知人も」
無表情で、そんなことをのたまうセーレ。きっと酷く怖がられただろう、とセーレは思った。こんなこと言わなければよかったとセーレは思った。しかし、アマイモンは微笑んで、こう言うのみだった。
「俺だけってのは、不公平だろう。お前もなんで世界を壊したいのか、話せ」
あの日、どうしてアマイモンが稽古をつけてくれたのか、分かった気がした。他人に自分の奥底に踏み込まれるというのは存外気持ちの良いものだった。アマイモンだからかもしれない。セーレが尋ねて欲しかったからかもしれない。それはわからないが、嬉しそうに、しかし無表情で、セーレは言った。
「……私なんかに、こんな力を与えたからです」
もしもセーレが普通の人間だったなら、まばたきなんかで勝手に魔術が発動してしまうような特異体質でなければ、何度まばたきをしても一向に枯れる様子もない膨大な魔力を持っていなければ。セーレは幸せに暮らせたのだ。村を追い出される必要も無かった。故郷に帰るのにコソコソする必要もなかった。そして、家族を殺してしまうことも、なかった、と。
「……そうか」
アマイモンは不服そうにする。それから、セーレには聞こえないほど小さな声で、呟いた。
「そうすれば、俺と会う必要も、なかったもんな」
○
アマイモンは帝国皇帝になった。かねてより前皇帝の息子となり変わっていたのだ。それもこれも全て、アモンがリンスとか言う女に執心だったからだ。やがて親父は死んで、息子であるアマイモンが帝位を継いで、リンスもまた、アマイモンの妻となった。帝国民どもはここに違和感を感じられるわけもない。獣人迫害を始めたことについても、全く気にしていない。
続いて、アマイモンはセーレを帝室に呼んだ。
セーレはどこか不機嫌そうで、しかし無表情に部屋の中へと入ってきた。目を合わせようともしないセーレに、アマイモンは言う。
「俺が妻を娶ったことがそんなに気に食わないか」
「そうではありません。リンス嬢は、アモン・ヒープを翻弄する手段の一つでしょう」
「……そうだな。そうだ。俺はアモンの中の『悪』を引きずり出す。あいつがちっとも『善』じゃないことを、証明しなければならない」
そうですか、とセーレは言った。
「……世界、壊さなくもいいかもしれません」
「……? どうしてだ、セーレ」
セーレは、心の中でだけ、微笑んだ。
「以前、私はこう言いましたよね。家族も友人も、知人もいないと」
「……ああ」
「……今は、一人だけ、いるんです。……知人」
ここで家族と言えないのが、セーレの照れ隠しであって。
ここで「そうか」としか言えないのが、アマイモンの照れ隠しであった。
「……はい。そうなんです、アマイモン様」
書いているうちに好きになってしまったアマイモン&セーレ




