第三十三話 バアルは翻弄する
「安心するんだ、ニア」
男が、少女の頭を優しく撫でる。淡い橙色の髪の毛をみかんみたいな髪型にしたその少女は、猫のように気持ち良さげな顔をして、それに身を任せる。
ダンタリオンは、端っこの方に座って、事の顛末を見届けようとしていた。
そこは大きな会議場のような場所。真ん中に行くほどに席は低くなっており、その真ん中に座る者を、誰もが睥睨できる円形の部屋だ。まわりに座るは数多の穏健派『ソロモンの悪魔』。そして、真ん中に座るは『魔術王』バアルその人である。
「やあ、やあ。今宵はお集まり頂き誠にありがとうございます」
バアルが立ち上がり、三百六十度全方位を見回して、恭しく礼をした。仰々しく、それから何十秒も頭を上げない。
「御託はもういい。さっさと頭を上げい」
低い声でバアルを脅すは筋骨隆々の男。上半身は裸で白髭を生やし、腰に白い布を一枚まいているだけ。これで棍棒でも持とうものなら、神話の巨人と言われても信じよう。そんな彼が、苛立ったようにそう言った。
「おや、ありがとうございます。『序列五十位』フルカス殿」
「……御託はいいと言うておろうが。そんなものよりもまず、お主には我々に為すべきことがあるはずだ」
頭を上げてさえなお芝居がかった仕草のバアルに、フルカスが苛立ったように言う。
「どうしてソロモン・ディビルズの居場所を教えない。どころか、どうして奴の居場所を隠す?」
これにバアルは嘲るように笑って、
「……ん? ああ、いや、もしやこの場の誰一人、あの程度の隠蔽も見破れていない? 誰もまだ、ソロモン・ディビルズを捕捉できていない?」
「義理が通らぬと言うておるのだ!」
フルカスがバン! と机を叩いた。
「できるできないの話ではない。お前が教えるのが義理だとて、我々はこうして集まっておるのだ。誰も探していないのだよ、こうして問い詰めて、お前を縊り殺すのも面白いかと思うてな、バアル!」
くつくつ、と笑い声が部屋に響き渡る。地獄の底から聞こえてきそうな低いその声は、この中で一番小柄な、痩せ細った男から発されていた。
「……くっく。いやはや、嬉しい誤算だ。……が、それはおいといて、『探していない』とは、皆さまの恨み辛みとはその程度のものだったのですか。『地の果てまで巡って探し出してでも殺してやる』というようなお気持ちの方はおられないのですか。私は残念です」
「くどいぞ! お前は我々に意見できる立場に無い!」
そうしてフルカスがバアルを問い詰めようと席を立った、その時。
キン、と。
剣閃の煌く音と、光とが、会議場に走った。ごとり、と血と鈍い音とを伴って落ちるのは、先ほどまで唾を飛ばさんばかりに捲し立てていた、フルカスの首だった。
「くどいのはお前だ、フルカス。まずは話を聞かないか」男だった。腰に流麗な真白い剣をさしてはいるが、両腕を胸の前で組んでいる。とても剣を振ったとは思えない。黒髪は左目にかかり、それでも端正な顔立ちがわかる。出で立ちは腰の剣と同じ色の、白装束だった。「……バアル公の処罰はそれからだ」
「……『序列五位』マルバス公ですか」
「聞いていなかったのか? いいから、話をしろ。何のためにここに我々を集めたのだ」
誰も何も言わない。つまり、マルバスのこれが、この場の総意ということだ。バアルはおちゃらけた雰囲気を消して、しかし薄ら笑いはそのままに、話し始めた。
「かつて、私は言いましたね。君たちが全力を出せば世界なんて簡単に陥落する。だけどそんなのはつまらないだろうと。なぜなら君たちのその力はソロモンからの貰い物の力で、ソロモンに勝つまでは、それは決して君たち自身の力とは言い難いから。借り物の力で威張るなど、愚か者のすることだから」
マルバスが黙って聞いているのを見て、バアルは続ける。
「じゃあ、何をもってソロモン・ディビルズに勝ったとしましょう?」
ざわざわと、誰が相談するわけでもなく、言葉が飛び交う。
死闘。戦い。競い合い。殺し合い。腕比べに、デスマッチ。果たして飛び交う意見のほとんどには、共通するものがあった。
「そう、一対一でございます」バアルは右手と左手を戦わせるように、ぶつけた。「断言しますよ。僕が君たちにソロモンの居場所を教えていたら、ソロモンを隠さなければ、君たちは真っ先に殺しにかかって、袋叩きにして、そうしてソロモンは死んでいた。先程は馬鹿にしたけれど、君たちがソロモンを憎んでいるのは確かでしょうから」
ここで反論は、出なかった。確かに、穏健派は自分の力でソロモンを殺したい。しかし皆がその思いを持って殺しにかかったら、何の楽しみも、悦楽も得られずに、ただソロモンが死するのみである。それでは復讐として、いささか以上に物足りなかっただろうから。
「だから、公平に、何もしないのはどうか、と、提案しに来たんです」
ここで、怒声が飛び交った。
せっかく何百年も待たされて、どんな体たらくだと。ソロモンを殺せるから、今まで大人しく待っていたというのに、ここへ来て『何もするな』とはどういうことかと。しかして、その咆哮は、マルバスのバン! と机を叩く音で、止まった。
マルバスがあたりを睨む。それに怯まぬ者などいなかった。机の上に置いた右手を組み直して、マルバスが言った。
「……続けろ」
「ありがとうございます。では皆さまに問い掛けますが、他にどうすれば良いのでしょう? ここにいる皆で殺し合いをして、勝った一人にだけ教えましょうか? それともここでソロモンの居場所を公表しましょうか? ならば、やはり皆で寄ってたかってソロモンを殺しにかかるでしょうから、一対一は叶わない。かと言って君たちが殺し合うのも、やはり、君たちの本意ではないでしょう」
マルバスが目を瞑ったまま頷く。
「ソロモンの方にも、君たちを討滅する意思はある。座して彼らを待とうじゃないか、と、そういう提案です。踏ん反り返って、首を長くして待ちませんか。じき、遠からずソロモンは君たちに挑みにくるでしょう。ああ、それすらも待てないという者はーー」バアルは傍に佇む少女を見て、「ーーニアを殺すといい。ニアを殺すことができた者には、僕がソロモンの居場所を教えましょ……」
ドガァン、と轟音が会議場に響いた。土煙が舞う。手を出したのは扇情的な格好をした女。肩とお腹とが露出した黒い服を着て、しかし、手には棍棒を持っている。凄まじい怪力で、人型が持つにはあまりに大きな棍棒。それで、ニアに殴りかかった音だった。
「……まだ話してる途中じゃないですか、サブノク侯」
空中に浮かんで、ニアをその手に抱えてバアルが言った。殴りかかった姿勢のままの女を見下ろしながら。
「連れを襲わせるなんて、あんたやっぱり鬼畜だね」
「うーん、僕を標的にしてもいいんですけどね、僕が死んだらソロモンの居場所を教える人がいなくなっちゃいますから。ただ──」
またもバアルの背後から、バアルが手に抱えるニアを狙って魔術が放たれる。銃弾、いや、魔弾だった。放つは拳銃を携えたモノクル眼鏡の男。男の拳銃は『概創霊装』。必中必殺の一撃が、バアルに着弾しようとしたその時だった。
「ひょっ?」
「──ただ、ニアの側には必ず僕がいますがね、シャックス侯」
バアルが、素手で弾丸を握り潰していた。怪我をした様子もない。シャックスが魔弾に込めた『能力』が発動した痕跡もない。ただただ無効化された。魔弾はどこかに消え去った。驚く一同をおいて、バアルはふっ、と消え去った。
姿の見えぬままに、声だけが会議場に木霊する。
「復習です! 君たちのとりうる道は三つ! 一つは座してソロモンを待つこと、一つはニアを殺すこと、最後の一つは僕の魔術を破って、自力でソロモンを見つけること! それでは、皆々様の息災を祈っております!」」
それを最後に、声は聞こえなくなる。気配も魔力も、まるでそこに最初からいなかったかのように忽然と消える。
会議場には数多の舌打ちと、雄叫びと、轟音とだけが残された。
○
戦場。
セーレの首が、飛ぶ。アストレアが剣を振り切ったのだ。そのままさっ、と剣を振り、その血を払う。セーレの身体は力なく崩れ落ち、そうして、宙を舞うその首からは、最後の言葉が放たれる。
「『理想の眼鏡』」
共に放たれるは魔力。緑色の、どうしてか蛇人でもなんでもないソロモンにも、その魔力が緑色だと分かって、その緑色の魔力は天高く舞い上がる。ふよふよ、と漂うそれを見届けて、セーレは安らかに目を閉じた。
そうして、ぼとり、と。セーレの首が、落ちた。
「追わなくていいのか?」
ソロモンがアストレアに問う。漂う緑の魔力はどこかへと飛んでいき、やがて見えなくなっってから、アストレアは言った。
「いいんだ。優しい魔力だった」
害を為すような力は込められていないよ、と。遠くを見やりながら佇むアストレアを見て、ソロモンは「そうか」と頷いた。
○
さて、事後処理というものは、えてして何よりも手間がかかるものである。
「……仕方ない。俺がやろう」
イグシルがそう言った。やる、というのは、復興の指揮を取る、というわけだ。帝国の政界に住む人間に事情を説明したり、葬儀屋や建築家等の業者と連絡を取ったりだ。特に前者において、アマイモンは仮にも帝国皇帝であった。説明は容易とは言い難かった。
『全皇帝アマイモンは乱心し、帝国を襲撃後、どこかへと消え去った』、と。
最終的にはこう取り繕うことにした。事実を述べるならば襲撃者はアモン・ヒープであるし、アマイモンやアモン、また全皇帝の側近セーレすらも『ソロモンの悪魔』であるのだが、その辺りまで説明するとややこしくなるので省略した。
「私が、全ての元凶です。帝国の民にはいくら謝ろうと謝りきれません」
アモンはそう言って全てを明らかにすることを望んだが、イグシルが却下した。曰く「全ての責任をいなくなったアマイモンに擦りつける方が楽」なのだそうだ。今では誰よりも率先して倒壊した建物の再築など、復興作業に励んでいる。
被害の程としては、十数人の死傷者と、戦場となった場所あたりの建物の倒壊。そこまで甚大なものではなかった。なんなら『よくある魔物の襲撃』と思っている国民も少なくない。これには主にレラージェ・フォーテの尽力が大きい。レラージェがアモンを抑え切ったからこそ、この程度の被害に収まったのだ。
しかし、事実として、死者の慰霊碑の前に花を持ってきて追悼する遺族たちの涙を流す姿がそこにある。アモンやリンスは胸を痛めて、それを黙って見ることしかできない。事実を吐露して懺悔することも、アモンには許されていなかった。余計な混乱を招くから。
そんなこんなで日々が過ぎ、ダンタリオンが『ソロモンの悪魔』の情勢を持ってソロモンたちのもとにやってきたのは、戦いが終わって一週間ほどたった頃だった。
「と、こういうわけじゃ」、と。
ダンタリオンは『会議場』での顛末を語って聞かせた。ソロモンはバアルの戦闘能力の高さにも驚いたが、それよりも気になることがあった。
「バアルはどうして俺を守ってくれるんだ?」
「……知らぬ。本人に聞いてみればよかろ」
それもそうだな、とソロモンは思った。どうせまた絡でもない理由なのだろうけど。
さて、今後の方針である。
イグシルは帝国に残るらしい。「まだ色々としなければならないことがある」そうだ。イグシルが残るのならばとレラージェも残り、リンスは元アマイモンの妻皇妃としての仕事がまだあるらしい。上に立つものとしての責務というやつだ。リンスに付き添う形で、アモンも帝国残留を決めた。
残りはソロモンにアストレア。そして、清貧姉弟シストとブラズである。
「本当に付いてくるのか? ……シスト」
「ええ! そんなことを聞かされたら黙っていられないでしょう! 何より面白そうだわ!」
シストは元気よく答え、御者台に座るソロモンは頭をかいた。
御者台。そう、御者だ。ソロモンは馬をひいていた。まるで私はまるでしがない旅人です、と言わんばかりに貧相な格好で、ぺしぺしと馬の尻を叩く。がたんごとん、と揺れる馬車には、アストレアにシスト。それから、ブラズとダンタリオンが乗っていた。
御者台に座るソロモンを一瞥して、ブラズが言った。
「……姉さん。わざわざこんな奴を助けてやることはない。こいつが自分で撒いた種だろう。勝手に野垂れ死なしとこう」
「あん? もともと助けてくれと頼んだ覚えはないんだが?」
「……だから姉さんに話しかけてるんだろうが」
「こっちだってお前みたいな馬車もひけないやつの助けなんかいらないね!」
「……あ?」
ブラズは御者台に身を乗り出して手綱を奪い取り、馬車を操作しだす。それからも二人は言い合いを続け、それはいつしか殴り合いになって、手綱は奪い奪われを繰り返して、しかし馬車は進み続ける。不安で仕方がない行進だった。
それを笑うはアストレア。微笑ましいと口元を手でおさえ、それから改めてシストに向き直った。
「いや、しかし、ありがとう。戦力は多いに越したことはないよ。なにせーー」アストレアは馬車の進む先をちらりと見やる。「ーーこれから魔界を攻略するんだからな」
「……憂鬱だ……」
ブラズに突っかかられながら、ソロモンは空を仰いで、そう嘆いた。
ダンタリオンがソロモンたちに状況を説明してすぐのことだった。今後の方針の話になったときに、ダンタリオンはすかさずこう言った。「拠点が必要だ」と。
「バアルの『隠蔽』も万能ではない。いつかはソロモン、お主の居場所も『穏健派』の連中にバレるじゃろう。そうなった時に、そこが市街地だったりしたらどうじゃ」
「今回みたいに、一般人に被害が出るな」
ソロモンが答えた。
「そうじゃ。それに魔術師にとって、『工房』はいくらあっても困らんものじゃろう。じゃから、どこかに拠点が欲しい」
ソロモンは顎に手を当てて考える。
「……でも、人間から奪い取るわけにもいかないだろう? そのうえ周りに一般人がいなくて、『工房』を作れるくらい設備が整っていて、『ソロモンの悪魔』を迎え撃てるほどの態勢を整えられるような、そんな都合の良い場所なんかあるのか?」
ソロモンがここまで言ったところで、アストレアが顔を青くして、ブラズは顔をしかめて、シストはぽかんとする。ダンタリオンが嫌な笑い方をして、アストレアがため息をついた。
「……魔界。もう何百年も前に『ソロモンの悪魔』の一体に奪われて、以来人間が立ち入っていない『国』のことを、魔界、という。そこなら設備も整っているし、一般人なんかいなくて、そして、迎撃には持ってこいな場所だろう。そこには『ソロモンの悪魔』が住み着いているから、いつかは攻略しなければならない場所でもある」
苦々しい顔で、アストレアがそう言った。ダンタリオンは髭に覆われていてさえわかる意地の悪い含みを持たせて、ほっほ、と笑った。
「そういうことじゃ!」
はあ、と。それが誰のため息だったのかはわからない。
こうして、ソロモンら一行は魔界に赴くことになった。




