第三十話 アマイモンは恨む
『序列七位』の地獄の大侯爵といえば、梟面の老執事。また、博愛主義の偏屈詩人の他に、もう一つ、衆目からの呼び名がある。
すなわち、『分かたれた方の善の方』、と。
例えば、「俺の方が強え」アモン・ヒープはあらゆるモノを「俺の方が強え」愛した。穏やかな詩を歌い、自身もまた「俺の方が強え」穏やかな気性をしていた。力を「俺の方が強え」無闇に使わなかった。人間に「俺の方が強え」恋をした。義に厚く友情を「俺の方が強え」「俺の方が強え」「俺の方が強え」尊んだ。
そして。
「俺の方が強え、のに」
目の前に這いつくばるアモン・ヒープを見て、アマイモンは吐き捨てるように言った。
「どうしてお前が善なんだ?」
『分かたれた方の悪の方』こと、アマイモンは、吐き捨てるようにそう言った。
「おい、こら。なんとか言えよ」
アマイモンが蹲るアモン・ヒープの横腹を蹴り上げる。無造作に、サッカーボールでも蹴るように。抵抗することすらできずに、アモン・ヒープはゴロゴロと転がって、ボロ雑巾みたいに横たわる。
その指先が、ぴくり、と動いた。
「……あ、だあ」
アマイモンは無様なその姿を見て、哄笑し始めた。ははは、ははは、ははは。あまりに面白いのかお腹を抱えて大笑いする。高らかに、醜く、まるでこの世の全てがおかしいかのように。
「お前、よくそんなんでソロモンの悪魔を名乗れたなあ! ディビルズ様が聞いて呆れるぜ! なんて滑稽な梟なんだ、ってな!」
「……あ、だぁ」それでもアモンは懸命にアマイモンを睨んで、「……だ、から、あなたは……悪、なのですよ……」
「あ?」
そう呟いて、直後。
右手にはいつのまにかノートが握られていて、そこに何かを書き出した。
○
さて、突然ではあるが。
『ソロモンの悪魔』というのは、全部合わせても七十二体しかいない。かの広野には、世界中から知性なき獣が集められていたのにも関わらず、だ。何十万の魔獣がいて、そうして、彼らは極限の魔力にあてられていたのだから、強くならないわけはなかった。それでも、『ソロモンの悪魔』というのは七十二体しかいない。
強いだけの獣ならいくらでもいた。賢いだけの魔物ならいくらでもいた。強くて賢いだけのモンスターなんて、あそこにはいくらでもいた。
ならば、彼らソロモンの悪魔とそれら有象無象の獣とでは、何が違うのか。
どうしてアマイモンはソロモンの悪魔たりえないのか。
アモン・ヒープが最後の力を振り絞る。アモンと分かたれた際に『ソロモンの悪魔』の称号を失って、それでも懲りずに『東の魔王』として称えられる哀れな生き物に目を向ける。どうしてアモンが『ソロモンの悪魔』たるのか、その片鱗を見せつける。
すなわち、『アマイモンとは、なんの力もない鼠である』、と。
素早く、しかし流麗に、アモン・ヒープはそう書き殴る。すると即座にノートは発光し始め、そうして、アモン・ヒープは自分の魔力がごっそりと引き抜かれるのを感じた。
そのノートは、『概創霊装』と言った。ソロモンの悪魔だけが顕現させることのできる秘密兵器。アマイモンには創り出すことのできない、膨大な力が必要な個人兵器。文字通り、概念を創る程の力を持つ霊装のことを、そう言った。
「……書き換えろ、『虚飾の詩人』」
アモン・ヒープの概創霊装の持つ能力は『虚飾の詩人』。ノートに書かれた虚構の詞で現実を飾る。すなわち、いくらか条件を満たす必要があるが、ノートに書いたことがそれそのまま現実になる、と。
そして、幸運にも──アモンはずっと機会を伺っていたとはいえ──今現在、ようやっと、そのタイミングに巡り合えた。
ノートが発する光が急激に大きくなった。ピカッ、というそれはあまねくを照らし、それは当然アマイモンも例外ではなく、そして、異変が起こる。梟の身体に悪魔のような羽を生やすアマイモンの姿がどんどん小さくなり、やがて、それはなんの力も持っていないような、鼠のそれに変わった。
「……はあ、はあ……わたしと、あなたの、強い方が善なのだ、と……あなたはそう……思っていらっしゃるようだ……」
アモンがよろよろと立ち上がる。いつのまにかノートは消えていて、顔も人間に戻っている。杖を拾って、それに全体重を預けてようやっと立っていられるような、ぼろぼろの状態。しかし、目の前の鼠を睥睨し、アモンは気丈に言い放つ。
「だから私が善なのだよ、アマイモン……」
その言葉を最後に、アモンは事切れたかのように、操り人形が糸を切られたかのように崩れ落ちる。いくら『概創霊装』とはいえ、アマイモン程の存在を消滅させるにはアモンのコンディションが悪すぎた。魔力は枯れ、身体の節々は悲鳴をあげている。限界だったのだ。
アモンの視界がぼやける。このまま眠ってしまいたい。しかし、ダメなのだ。私はお嬢様のもとへ向かわなければならない。そう、這いつくばってでも封印結界の方へと進もうとするアモンはしかし、ふと、視線を感じた。
勘を頼りに、あたりを見渡す。ぼやけた視界の先には、確かに、真っ赤な瞳がアモンを見つめている。小さな小さな獣のようだ。目を細めてよく見ようとする。細長い尻尾に丸い耳。灰の体毛に赤い瞳。ああ、どうやらただの鼠のようだ。アモンは胸を撫で下ろして、匍匐前進を再開する。
いや、待った。
なにかがおかしい。しかし、なにがおかしいのかはわからない。ぼやけた視界が邪魔をする。思考にうっすらもやがかかる。
ああ、そうだ。
どうしてただの鼠が、こうもアモンを見つめている?
「ハハハハハハ!!」
直後だった。哄笑が鳴り響いたのは。
鼠の身体が肥大する。筋肉が膨れ上がり、もはや原型を留めない。尻尾は蛇に、胴体は狼。羽根をはやし、そうして、頭は真っ白な梟に。
「焦ったな、アモン・ヒープ! そのノートを使ってテメエを回復していれば、まだ勝機はあったものを!」
なぜだ。どうして。疑問がアモンの頭の中を駆け巡る。『虚飾の詩人』の現実改変は並大抵の拘束力ではない。そこに鼠になれと記されたのなら、知性すら剥奪され、ただの獣に成り果てる。さすれば、もう元の姿に戻ろうなんて考えすら浮かばなくなるはずなのに。
「どうしてって顔をしてるな! 理由は簡単、俺がお前と戦うのに、概創霊装の対策をしてねえわけがねえだろうが! 概創霊装一個で戦況をひっくり返されたらたまらねえ!」
完全に復活したアマイモンが嗤う。その手には、一本のペンがある。
「お前の概創霊装『虚飾の詩人』はノートが本体に見えるが、違う! ノートとペン! 分かたれた方の悪の方、確かにお前に劣る俺の力じゃあペンまでしか創りだせなかったから、お前がノートを取り出すのを待っていたのさぁ!」
その姿を見て、地に伏したままアモンは悟る。ああ、はじめから勝負は決まっていたのだ、と。
手元のノートでは、アマイモンを鼠にする旨が『斜線』によって掻き消され、アモンの弱体化が記されていた。
魔術師の勝負の行方は、事前準備で八割が決まると言われている。行き当たりばったりの遭遇戦であるアモンに対して、アマイモンは周到に準備を整えてきたのだ。
うすうす、分かっていたことだった。アモンとアマイモンの戦闘力に毛はどの差もありはしない。体術も、剣術も、杖の扱いや、魔力量。使える魔術から鉤爪の鋭さまで、それらは全く同じである。にも関わらず、正面からぶつかりあうたびに、アモンの傷だけが、増えていくのだ。全く同じ力であるはずなのに。
アモンとアマイモンの力で、唯一違いがあるとすれば、それは『概創霊装』の有無のみである。さらに言えばそれだけが、戦う前から負けていたアモン・ヒープ唯一の勝機であった。だがそれもこうして無効化され、今、アモン・ヒープは満身創痍に這いつくばっている。
「良い様だな、アモン・ヒープ。『劣化品』にやられる気分はどうだ、『本体』様よ!」
アマイモンが再びアモンを蹴り上げる。いたぶるように、決して殺さないように、何度も何度も蹴りつける。
「お前は『概創霊装』を使えて、俺は使えない! 俺は人を殺したくてたまらないし、お前は穏やかに過ごしたい! ちょっと性格が違うだけだろうが。なのに、どうしてお前が善で、俺が悪なんだ!」
「……」
そうして気がすむまでアモンを痛めつけて、ふと、アマイモンが攻撃の手を止めた。そうして穏やかな表情で、聞こえるはずもないのに、アモン・ヒープに語りかける。
「お前にはどうしてもなにかを傷付けたくなったことがあるか? 俺はある。とんでもない殺戮衝動だ。こんなものに耐え切れるわけがない。もしもお前にもコレがあるんだったら、本能を我慢して善人ぶってるお前が気に喰わねえ。コレがないんだったら、ただのラッキー、生まれ落ちたその性質で善とされてるお前が、気に入らねえ」
もう、飽きた。気も済んだ。言いたいことは言った。目的は達した、俺の方が強い。アマイモンが人間の姿に戻って、そうして杖を構えた。乱暴だった様相は鳴りを潜め、静かにアモンの首に照準を合わせる。
「……じゃあな、兄弟」
振り下ろされた杖は、凄まじいまでの轟音を立てて、止められた。
はらり、と、綺麗な黒髪が、なびく。
「ようやっと参加できるわ。私も混ぜてくれるわよね?」
聞こえるは背後。杖を止めるは封印結界。アモンの体は完全に包まれ、攻撃できそうにない。アマイモンは舌打ちを一つして、振り返っては獰猛に嗤う。
「俺が怖くて逃げ出したくせに、よくもまあそんな口がきけるなあ、かわいいかわいい小人族ちゃん?」
対して、冥界の女門番も不敵に笑う。まるで何もかもがおかしくてしかたないというように。
「やだやだ。少しは居心地の良い国を作ってから言ってくださるかしら、獣嫌いの皇帝さん? そも──」
シストは周囲を一瞥して、
「──私が本気出したら、たくさん被害がでちゃうもの」
このあたりの住民の避難はあらかた完了している。というより、それはシスト自身で済ませたことだった。両手を組んで前に出し、身体を伸ばして元気にのたまうシストに、『周りを気にしなくていいんなら倒せるぞ』と挑発するシストに、果たして、アマイモンは笑みを絶やさない。
「殺すぞ、ガキが」
血気盛んに飛びかかるアマイモンの背後で、アモンもまたシストに気付き。
そして、ぼんやりとその背後に見える愛しの姫の姿に、知らず涙が溢れ出た。
「……ありがとう、ありがとう……お嬢様を助けてくれて、ありがとう……」
しかし、シストを手助けすることは愚か、お嬢様のもとに駆け寄って御護りすることも今の自分には出来はしない。悔しさに、涙は後から後から溢れ出てきた。
○
一方その頃、帝都から三里は離れた森の中。
「くそっ、鬱陶しい!」
まただ、とアストレア・ヴィ・レイヴは悪態をつく。
アストレアに魔術は効かない。だから強制的に転移させられることは無いから、アストレアが帝都の方に向かおうとすれば、セーレは姿を現して直接それを妨害する他ない。
そうするしかない、はずなのに。
「……くっ、私はどこから攻撃されている?」
典型的なヒットアンドアウェイ。アストレアが歩を進めようとすればセーレが妨害する。それはいい。計画通りだ。
だが、どこから攻撃されているのかわからない。
「くそ、くそっ! 私はどうしたらいい……!?」
物言わぬ機械のように、淡々と義務をこなすように、セーレはあれ以来喋らない。それがまた一層、アストレアの焦りを募らせるのだった。
○
「これ、まずいな」
「ああ」
ソロモンとイグシルは走り続ける。だが、一向に進んでいる気配がない。同じ場所をぐるぐると回されているようにも感じるし、歩んでも歩んでも少しも進んでいないようにも感じる。あきらかになにかがおかしかった。
「あれは、ただ転移させられたわけではなかったというわけか。これは……相変わらず『ソロモンの悪魔』は馬鹿げた魔術を使う」
「なんとかできそうか?」
「……厳しいな。術式こそ複雑ではないが、なにせ魔力量がばかげている。だから嫌いなんだよ、『ソロモンの悪魔』は……」
俺はまだ人間をやめちゃいないからな、とイグシルが言った。どの口がとソロモンは思ったが、しかし、ソロモンにどうにかできるアテがあるわけでもない。黙って走り続けながら、二人は待つことしかできない。
「頼む、アストレア。気付いてくれ……!」




