第三話 死にかける
読んでくれている方がいることに驚愕。
これからも定期的に更新していく予定です。
転生してまず思ったことがある。
それは、『魔力がある』ということだ。
はは、と乾いた笑い声が出た。赤子の声で発したその音は酷く滑稽だった。ソロモンの何十年もの努力は、ここが何年、何千年先なのかは知らないが、既に無に帰したあとだった。
さて、そんなことよりも、まずは目先の安全である。ソロモンは赤子で、ここは荒野。見た限りでは転生する直前のあの荒野のようだが、果たしてそんな偶然があるものか。いや、そんなことはどうでもよくて、問題はここに人通りがあるのか、どうか。
成長魔術、というものがある。とは言っても決して万能なそれではなく、人間に使うのであればよほどの技量が無ければ骨格は歪み、筋肉は枯れる。主に植物なんかに使われる魔術だった。最悪の場合、これも検討しなければならない。
ここで問題となっているのが、転生時に設定した条件だ。天涯孤独が運命付けられた赤子。これはそのまま生活していた場合の運命か、それとも現在もソロモンが背負っている十字架か。こんな状況なのならば、もしかするとあと数時間もしないうちに死ぬ予定だったのかもしれない。魔力があるということは魔物もいるということで、ぽろっと現れたそれにあっさり食べられるはずだった、というのも納得できる。ソロモンならば自衛可能だが。
ソロモンが転生時の条件に『魔力』や『結界魔術への適性』を設定しなかったのには理由がある。それは、結界魔術は主に外部に依存するため、術者の適性や魔力量なんかによる制限はほとんど受けなくてすむから、というものだ。
これは覚えなくていいことだが。
例えば基本となる火や水、主に五大元素系統と呼ばれる魔術は、まず自身の体から核を精製して、それを外部の魔力で塗装、つまりコーティングする。だから火の魔術の使用には体温の低下が伴い、風の魔術には酸素低下が伴う。
いかに高名な魔術師といえど無から有を作り出すのは難しいという話だ。だからまず自分の体温なんかを代償に『小さな力』を錬成して、それを魔力で『大きな力に』する。ここが一番いわゆる『適正』に左右されやすい部分だ。
さて、よって術者の良し悪しというのはいかに効率良く核を精製できるか、また、いかに繊細に核を塗装できるかで決まるのだが、どちらができなくてもいけない。核の精製に不器用であればすぐに息切れを起こし、塗装ができなければ威力を出せないからだ。ちなみにソロモンは核の精製において、他の追随を許さない稚拙さを見せた。
そう、ソロモンは核の精製がほとんどできなかった。ただその代わりといっては何だが、核の塗装においては尋常でない非凡さを見せた。そうして開発したのが『核の精製に頼らない魔術』、つまり、『結界魔術』である。
だからソロモンにおいては、肉体の魔術への適性なんかは二の次にして問題ない項目だったのだ。ちなみに転移や転生なんかは基本にとどまらない上級魔術で、故にこそソロモンにも習得できたプロセスがあるのだが、それはまた別の話である。
と、不吉な音が聞こえた。赤子の身なので振り返ることは出来ないが、それはただの雷のようにも聞こえ、また、獣の唸り声のようにも聞こえた。晴天だった。
ひた、ひたという音とともに近付いてくる唸り声は、今の自分の非力さ故か、イグシルに大樹に縛られた時のアストレアよりも恐怖を喚起した。知性なき獣を恐ろしいと思ったのは久しぶりのことだった。いや、まだ獣かどうかはわからないけれど。
視界が黒に染まった。意識を向けてみると、意外と視力がない、というより、目が開いていないのが分かった。それでも完全に開いていないわけではないので、生まれたてではないだろうというのに、今更気付いた。
視界を埋める黒。生暖かい風と、密接する唸り声。赤子の鼻は未熟なのか、匂いを感じなかったのは幸運か否か。くんくん、と、まさに目と鼻の先で匂いを嗅がれる気配を感じた。ぽた、と真横に雫が落ちた。涎、と一瞬思うも、その雫の大きさから、それは信じたくない考えだった。
「……がぅ」
その獣の矜持か。まるで食前に手を合わせて感謝を示す人間のようにそう呟いて、ゆっくりとソロモンに覆い被さる。獲物の非力を信じているのか警戒する素振りはなく、口を大きく開いて、ソロモンを咥えこもうとした。
「がぅ?」
がっ、と。しかし、その咀嚼は何かに阻まれた。それは獣の目には見えず、しかし獣はそれが何かを知っていた。魔術だ。見たことはないが、それに似た匂いを知っていた。獣は知る由もなかったが、その匂いは魔力と呼ばれるもののそれだった。
「は?」
しかし、今度の困惑の声はソロモンのものだった。いやいやいや、おかしい。パリン、がっ。結界が噛みちぎられた。魔力を伴ったわけでもない獣の噛みつきで、自慢の結界が破られた。今の体でどこまでできるか分からないため本調子では決してないが、それでも、元史上最強の結界魔術師の、結界。念のため二重に張っていなければ、今頃ソロモンはあの世行きだった。
「……やっえあ……か、こ……の」
やってられるか、こんなの。舌ったらずにそう呟き、ソロモンは離脱を試みた。今噛み付かれている結界の形を操作し、まるで液体が滑り落ちるように地面へと向かう。着地には新たにクッション用の結界を設置し、なんとか成功。そんなに生前と術の齟齬は多くない。あたりに魔力をばらまき、視力以外で『敵』を探る。そう、すでに獣はソロモンの『今世の調子を確かめる練習相手』ではなく、明らかな『敵』だった。
獣は、大型の犬のようだった。ただし、ティラノサウルスを優に超えるくらいの。その頭だけでも、今のソロモンの二十倍はくだらない。ただしかし、確かに脅威だが、そのただ大きいだけの犬っころが、ソロモンの結界を破る。悪態をつかずにはいられない。
どう、料理してやろう。結界魔術は魔術としては万能だが、万能の魔術ではない。あらゆる魔術の代わりになれるが、どんな奇跡も起こせるわけではない。特に今の、自分の攻撃手段を把握しきっていない状態では、勝つ方法は限られる。
とりあえず動きを止めるか。そう考えて、警戒しているのかあたりをゆらりゆらり歩き回っていた犬っころを、それより少し大きな結界で覆おうとした。
ばっ、と、今までの動作からは想像できない俊敏さで犬が横へ飛ぶ。魔力の匂いがわかり、結界魔術は外部の魔力を用いる。その犬にとって、結界発生の予測は容易だった。
しかし、ソロモンの発動は並のそれではない。完全に捉えることはできなかったが、半分は捉える。ソロモンから見て犬の左半身は結界外、右半身は結界内にある状態だ。犬は踏ん張り、自由を得ようとするが、その膂力を知るソロモンはもうヘマは犯さない。捉えている結界に力を込めながら、それを犬ごともう少し大きな結界で覆い、少しずつ縮めていく。数秒後には、犬は身動きを封じられていた。
「……さー、ど、すうあ」
さて、どうするか。問題はここからだ。もう逃さない。なんなら、ここでこの体の適性を調べてから煮るなり焼くなりしてもいい。
そう思っていると、遠くから誰かが駆けてくる音が聞こえた。だっ、だっ、と、確実にこちらに向かってきている。
それは恐るべき速さでソロモンたちの近くに現れ、そして、
「疾ッ!」
と、犬を真っ二つに切った。
もちろん、ソロモン自慢の結界ごと。
「大丈夫か? ……おっと」
土煙を上げ、一刀両断された犬を背に、大剣を手にした女性──肉付きから女性とわかった──は、ソロモンを見つけて、眉を片方だけあげた。それは獰猛な笑みのようでもあり、苦悩の表情のようでもあった。
「赤子も魔術を使う時代か。恐ろしいな」
いや、お前らの方がおかしいよ、と、ソロモンは思わずにはいられなかった。




