第二十九話 ブラズはシストに翻弄される
これがかつての青年アストレアであれば。これが、かつてバアルとともにソロモンを屠ったアストレアであれば、「ああ、セーレとやらの魔術は特別なんだろう」と納得して、神剣について特に期待することなく、打開策を練っていただろう。
だけど、違うのだ。ソロモンはアストレアを見る。今代の、年端もいかない勇者が少女。彼女は事実、困惑の表情を浮かべていた。
「神剣に魔力を流せば、アストレアに魔術は効かないんだ!」
もたもたしているうちに、セーレが動いた。いや、結果から行動を起こしたのだとわかるだけで、実際になにか起こりがあったわけでもないが、つまり、ソロモンとイグシルはどこかに転移させられた。
「イグシル、ここはどこだ?」
「ずいぶん遠くに飛ばされたな。帝都に戻ろうと思ったら半日はかかる場所だ。アストレアとは……はぐれたか」
「……正直、今のアストレアが魔術師に負けるとは思わない。このまま俺たちは帝都に戻るのも手だと思うが、どうだ?」
ソロモンの提案に、イグシルは苦い顔をした。
「……逆だよ。ソロモン、神剣使いにとって一番難しいのは、『なにを斬るか』を見定めることだろう?」
○
「ねえ、まーだー?」
一人の少女が体操座りで、いじけた風に呟いた。
「うるせえな。もうちょっとだ、くそ……」
「あー! お姉ちゃんに向かってそんな口きいていいんですかー?」
「だから、静かに、しろ」
テンション高えな、めんどくせえ、と。無視を敢行するブラズにシストはからからと笑う。不謹慎だとは思うが、これもシストなりの気遣いだった。どうにも、お嬢さんの回復が、うまくいかな過ぎる。ブラズは短気なのだ。
「私が必要?」
「……いや、もうちょっと確認してみる」
「そう」
シストはそう、静かにお嬢さんを眺めるのだ。
○
シストとブラズ。その姉弟は、運が良かっただけだった。そもそも小人族というのが、そのために存在する種族であり、それを授かることができたのは、純粋に幸運だったという他ない。
生きる、というのは、死への道を歩むことである。
成長する、というのは、死へと近づくことである。
成長を禁じられた種族、小人族。成長することができないということは、生きることができないということであり、生きることができないということは、その『死への道』が、剥奪されているということである。
そんな存在だからこそ、それの管理にはうってつけだった。
それ、すなわち、冥界。
死を知らぬがゆえに死を尊び、死なぬを知るがゆえに生を尊ぶ。
なればこそ、冥界はそこに安定していた。
「二人、必要なのじゃ」
子供の姿で、しかし髭を長く伸ばした少年、みんなからは長老と呼ばれているその少年が、姉弟を諭す。
「冥界の門番が、一人。暗くて寂しい場所から、何人たりとも現世に迷い戻ろうとせぬように」
長老は右手を挙げた。
「現世の門番が、一人。暗くて寂しい場所へと、資格なきものが迷い込むことなきように」
長老が、今度は左手を挙げて言った。
それをどうやって決めたのかは、姉弟にも定かではない。まだ二人とも幼かった。じゃんけんで決めたのかもしれなかったし、決闘で決めたのかもしれなかった。ただそこにある事実は、ブラズが冥界の門番、シストが現世の門番になったということだけだった。
扉一枚を隔てて、姉弟はもう二度と会うことができなくなった。
「あら、あら、ブラズ。また誰か、暴れているみたいよ」
冥界が荒れようとしたとき、それを抑えるために、シストにはあまねくを『封印』する力が与えられた。
「姉さん。こいつ、まあ、いい奴なんだ。許してやってよ。魂だけでも、輪廻に戻してやろう」
自身の裁定に従って、魂を管理するために、ブラズにはあまねくを『解放』する力が与えられた。
二人の交流といえば、その魂の行き交いだった。ああブラズは、こんな魂を解放してあげたのね。ああ姉さんは、こんな風に魂が暴れるのは嫌いなんだ。言葉を交わすことは禁じられ、しかし、互いが扉一枚先にいることはわかる。
直接は会えないけれど、すぐそこに、いる。
それが、ありありとわかる。
姉弟はながらくの安寧を得ていた。姉弟の安寧は冥界の安定を意味し、それは生死の絶対性を意味していた。
ある日。シストのもとに、三人の男女がやってきた。男が二人に、女が一人。ひどく怒り狂った様子で、シストにつっかかる。
「我らが僧侶を、返してくれ。なんど蘇生させても生き返らない」
背後。冥界の奥で、ブラズが眉をしかめたのが、シストにはわかった。
姿こそ子供のそれなれど、そこに佇むは冥界の絶対神とも呼べる少女。神々しきに黒髪をたたえ、シストは一歩、前に出る。
「一度目は、慈悲」シストがもう一歩、前に進み出た。「二度目は、温情。三度目は、なんと、そなたらの力技で、無理矢理に僧侶殿は蘇生なされた」
やってきた三人の男女は、困惑の表情を浮かべた。「だから、なんだというのだ。四度目はダメだとでもいうのか」と。
「一度すらダメに決まっているだろう!」シストは叫んだ。「それを、弟は、冥界のルールを破ってまで、自分が罰を受けてまで、そなたらが仲間を生き返らせていたのだぞ! それを三度も! 今すぐ己を恥じて、この場を立ち去れ!」
先頭の男。浅慮なそやつが、剣を構えた。
「そっちがその気なら、こっちにも考えがある」
「ハ」
普段なら、シストとてこうまで激情しない。
「ハハ、ハハハ」
でも、シストは知っていた。ブラズの身を切るような思いを。いや、実際に、『人を生き返らせる』というのは冥界の禁忌の一つなのだ。それを破るということは、ブラズはいっそ殺してくれと思うような、凄惨な罰を受けているだろう。身を切られ、心を削られ、しかし、死ぬことはできないでいるだろう。
感謝されこそすれ、どうして私たちは、剣を向けられている?
「ハハハハハ!!」
拳を構える男が言う。「正体を表したか、魔女め」
杖を構える女が言う。「仲間を返してもらうわよ」
剣を構える男が、言った。
「いざ尋常に、勝負!」
尋常とは、もしや、じょーくのつもりであろうか?
○
「なに、してんだよ」
数百年ぶりに、姉弟は再会した。
しかし、冥界のなかで。
「それで姉さんが死んでたら、世話ねえよ」
地面に倒れる姉を、弟は優しく抱き上げた。うつ伏せだったのを仰向けにして、顔についた泥を、丁寧に払ってやる。ここは冥界だ。だから当然のことなのだが、綺麗な顔だな、とブラズは思った。
そうして力を込めたブラズの手を、突然に、姉の手が掴んだ。
「!? どうして、動いて……」
「だめ、だめよ、ブラズ……」最後の力を振り絞っているかのように、シストがか細い声で言う。「僧侶殿には、大義があったでしょう……? でも、私には、何もないわ……」
喋らなくていい。そういうブラズを無視して、シストは続ける。
僧侶には、いや、あの四人のパーティには『魔王を倒す』という大義があった。だから僧侶の蘇生はたとえ禁忌と言えども、『世界のため』の蘇生だったのだ。だから、ブラズに降りかかった天罰も、あの程度で済んだのだ、と。
シストを生き返らせてしまったら、そこに『大義』はないのだから、今度こそブラズは死んでしまうと。
「……でも、でも!」
「ごめんね」
シストを中心に、一つの大きな魔法陣が浮かび上がった。
青い。真っ青な魔法陣はそのまま二人を包み込み、冥界を包み込み、そして、そのまま、何もかもを包み込む。
「ああ、だめだよ姉さん、それは……」
ブラズにはそれがなんなのかわかっていた。そもそもシストは『封印』することしかできない。封印しようとしているのだ。『ブラズの冥界での権能』を。冥界にいるがゆえに与えられている絶対的な力と、権限。冥界において最強であるブラズの、死者蘇生を私欲で強行することすらもできる、その権能を。
「ああ、ああ! だめだだめだ、そんなことをしたら、僕は一生姉さんを恨む!」
淡い光に閉じ込められたまま、ブラズが叫ぶ。
「姉さんが生きていてくれさえしたらいい! あなたが死んではダメなんだ! やめて、俺の力を奪わないで、ああ、あんた本当に死ぬぞ!」
魔法陣が回転を始める。淡く青い光は際限なく強くなり、やがて、あたりは真っ白に覆われた。
直前、ブラズは、シストが微笑んだのを見た気がした。
○
ブラズは、いつのまにか、地上に投げ出されていた。冥界を治める権能を失ったのだ。もう冥界に存在する権利は無くなったということだろう。あたりを見回して、腕の中にシストがいないことに気が付いて、絶望した。
「何やってんだよ、姉さん……」
それから、ブラズは研究を重ねた。
幸いにして時間は山ほどあった。魂を扱う感覚は心得ていた。毎日何千という魂と触れ合ってきたのだ。それを呼び出し、操るその術は死霊術と呼ばれていたが、そんなことはどうでも良かった。目的はシストを生き返らせること。ただそのために、ブラズは幾万もの歳月を費やした。
死者が生き返ったとして、その責任は『冥界の管理者』にある。だからかの僧侶が生き返ったときにも、『蘇生魔術』を使った女魔法使いは天罰を受けずに、ブラズが全ての責任を背負った。そうして、今現在『冥界の管理者』の席は空席である。
魂というのを理解している魔術師は少ない。その知識を存分に発揮し、念のため冥界のルールをグレーゾーンギリギリで潜り抜けられるような『死霊術』を、ブラズは完成させることに成功した。
「頼む。頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む!!!」
その日。ブラズは天より高い信仰心と、地の底より深い執念とを以て、それを決行した。蘇生。いや、死霊としての復活。意思も記憶も生死すら存在するが、死霊であるがゆえに蘇生ではない、復活。唯一冥界に許されるであろう、復活術。
果たして、蘇生は完了した。
「ーーあ」
「あれ? どうして?」
ブラズの封印はいまだ解けていない。いまもまだ、『冥界の主としての権能』は封印されている。封印されているということは、シストの術が、魔力が残っているということで、だからシストの魂が生きていることは知っていた。輪廻に帰っていないことは知っていた。それでも、目の前に現れた黒髪の少女に、ブラズは抱きつかずにはいられない。
「あ、あー。……頑張ったんだね」
何も言わずに、シストはブラズを慰める。その胸に顔を埋めて、ブラズは泣いた。その背中を、シストはいつまでも撫で続ける。涙が枯れるほど泣いて、ようやくブラズは立ち上がることができた。
あの四人の男女は、魔王を倒すことに成功していた。英雄だなんだと持ち上げられていたので、見つけるのは容易だった。探し出して殺した。
○
「お嬢さん、死んでないんじゃないの」
「……」
ブラズの死霊蘇生は完全だ。完全なる死者蘇生だ。それをもってしてこうまで回復に苦戦するとなれば、なにかお嬢さんのそれには別の要因があるに違いないとシストは言う。
「ちょっとブラズの封印、解いてみようか」
「いや、え、は?」
「やらないよ、やらない」
冥界の管理者に返り咲けば、お嬢さんの現在の状態を知ることなど容易い。だが、そうしてしまったら、もう一度、ブラズを封印するためにシストが死ななければならない。できないこともないが手間である。シストは笑った。
「冗談だよ。……あーあ、はやく終わらせてくれないかな、ソロモン」
「前から思ってたんだけど、なんでそんなにあの男を気に入ってるんだよ」
「えー、嫉妬してる? だめだよー、私たちは家族なんだから」
何も言わずにブラズはお嬢さんに向き直って、集中し始める。それを見てシストがまた笑った。
このように、封印結界の中は、平和であった。




