第二十八話 セーレに翻弄される
孕まれた時から、おかしなことが起きていたという。
例えば、母親が汲んだ桶の中の水がいつのまにか溢れていたり、スプーンやフォークがぽっ、と大きくなったり、と。日常の何気ないところに、不可解が生まれだしたのだ。それでも、特に何か不都合があるわけでもなく、その少女は生まれた。
ぱちり、と。少女がまばたきをしたときだった。
はじめは、つみきのおもちゃが、浮遊した。大なり小なり区別なく。きゃっきゃと少女ははしゃいで回り、両親は一瞬呆然として、続いて、烈火の如く怒りだした。
「お前さん、今はねえ、ソロモン・ディビルズのせいで、それが生涯最後の魔力なんだよ! 今すぐ魔術を止めるんだ!」
若干零歳にして、少女は母親の言葉を理解した。
すなわち、ソロモン・ディビルズが荒野に魔力を封印した。そのせいで大気に魔力は宿っておらず、両親から引き継いだこの生まれもった魔力のみが、自分に使える唯一の魔力であると。だから、こんなくだらないことに使うわけにはいかないと。
しかし、少女にはどうすることもできなかった。はじめはその不可思議な現象の発動条件もわからなかったほどだ。その間に川は氾濫し家は壊れ、家畜は餓死して森は枯れた。
悪魔だ、と言われた。
魔女だ、と言われた。
疫病神だと罵られた。
どうやらまばたきをするのがいけないらしいと気付いたころには、少女はとっくに村を追放されていた。
それから少女は目を閉じた。目を開くから、閉じなければいけない。はじめから目を開けていなければまばたきをする必要もなくて、ようやく、私は普通の人になれると。
盲目は大した不便ではなかった。しばらくすると目が見えない代わりに耳がよく聞こえるようになり、鼻がよく効くようになり、味をよく感じられるようになった。いつか、自分が本当は目を開くことができることすら忘れるほどになった。
それでも、ふとした瞬間に、間違いが起こることもあった。それは例えば寝起きだったり、驚いたときだったり、耐えきれず笑い出したときだったり。なにが起きるかは少女にもわからず、わかるのは自分が異常なほど膨大な魔力を持って生まれたこと、つまりこの不思議な現象は一生涯自分について回るということと、被害を被ってしまった方には謝り倒すしかないということだけだった。
それは、久しぶりに故郷に帰って来たときだった。
目はしっかりと閉じていた。両親には未だ親愛の情を抱いていたし、生まれ育った村には、多少なりとも愛着が湧いていたからだ。目を閉じて髪の毛を隠すと、自分の正体を悟られないのが、寂しくもあり都合が良くもあった。追放された身でありながら、旅人というていで故郷に帰ってきてしまったのだ。非難されても文句はいえなかった。
「お姉ちゃん、どうして目を閉じているの」
男の子の声だった。私はフードを目深に被っていて、さらにいえばローブを着ていた。その格好を見て大抵の人は、魔術師なのだろう、今時珍しいな、とか、なにかただならぬ事情があるのだろう、くらいの感想を抱き無視してくれるが、確かに、年頃の子供にとっては、ずっと目を閉じているというのは、酷く奇妙に映るかもしれない。
私が答えるより先に、男の子の母親がやってきたみたいだった。
「こら! すみません、うちの子が、失礼なことを」
「え……」
その声は、紛れもなく、少女の母親の声だった。
「あっ……」
気付けば、目を開けていた。心の準備はしていたはずだった。久しぶりに両親に会った時に、万が一にでも目を開くことのないようにと。でも、それは不意打ちだった。ちょっと考えればわかりそうなもの、いいえ、せめて可能性を考慮くらいはするべきだった。両親が新しく子供を作っていることなんか。
そう、繰り返すが、それは不意打ちだったのだ。こんなところで会うと思っていなかったから、たまらず、いや、思わず、目を開けていた。
「え、あ、あなた……」
母親は、全く変わってはいなかった。あれから十数年は経つというのに、全く。
「セーレ、セーレかい? ……ああ、元気にしていたんだねえ……」
母親の目に涙が浮かび上がった。少女は耐えた。決してこの目を閉じぬように、と。涙は少女の瞳にもあとからあとから現れ、まばたきをせずにそれを流し続けるのは、ひどく不快だった。
「……目、開いてるねー」
男の子の声を聞いたその時に、限界が来た。また、油断したのだ。この子は自分の弟なのだ、と考えると、愛らしさが溢れてきて、今すぐにでも抱きしめたくなって、それで、それでーー
ーー少女は、目を閉じてしまった。
村は、大厄災に見舞われた。
○
「えっぐ……うぅ……っ」
一人の少女の啜り泣きが、虚しくあたりにこだまする。少女のまわりには何もなく、強いていうなら、血溜まりだけが存在した。それすらも、少女を傷つけるものであるからして、その少女の絶望は計り知れなかった。
どうして帰ってきたの、と。
あんたなんか産まなければ、と。
幸せを、返してくれ、と。
再会の感動に咽び泣いていた母親は、一転溢れんばかりの罵声を少女に浴びせた。そんな母親も、もうこの世にいない。父親も、初めて会った弟も、村長も、隣の家の長男も、みんな、みんな……。
もう、どうにでもなれ、と。わたしはあらんかぎりの力を込めて、魔力を込めて、わたしにこんな力を分け与えた世界を呪って、目を閉じてーー。
○
ーー何も、起きなかった。
いや、起きた。まず、大気が変わったのがわかった。よく見ると、荒野は荒野でも、ここが先ほどまでとはまるで違う場所だということに気付いた。あたりに血溜まりはなく、目の前に、一匹の人型梟がいた。
「弱え、弱え。そのくせ、もったいねえ。せっかく自分の全てを投げ出すってぇのに、そんな程度でいいのかぁ?」
目の前の梟は甲高く耳に障る声でそう言った。
「制約は強ければ強いほどいい。絶望は深ければ深いほどいい。恨みは積もれば積もるほどいい」梟は両手を広げる。「まずはソロモン・ディビルズを憎め! 続いてこの結界の忌々しさを憎め! お前を産んだ母親を、お前に理解を示さなかった父親を、お前を助けようとしなかった仲間を恨め!」
どくどく、とどす黒いなにかが自分の中に入ってくるのが、少女にはわかった。いや、少女にはもうそれが、目の前の梟によるものか、自分の内側から湧き出るものかの区別すら付かなかった。
「そうして世界を憎むことができたならーー」
梟は少女に手を差し伸べる。
「ーー俺と、一緒に世界をぶっ壊そう」
少女はその手を恐る恐る取って。
そうして、その日から、少女はまばたきをしなくなった。
○
ソロモンは結界を展開した。
「……くっ、ここは、どこだ!」
どこかに転移したとき、また、転移させられたとき。即座に結界を展開してあたりを索敵するのはソロモンの癖のようなものだった。ソロモンを中心に同心円上に広がる結界は、右にアストレア、左にイグシルを感知して、そうして、少し離れた前方に、一人の少女、セーレを、観測した。
「イグシル、お前、ここがどこだかわかるか!」
「帝都郊外、それも、かなり遠いな」
イグシルの反応は早かった。なんらかの方法で、おそらくソロモンと同じタイミングで現状把握を終えたのだ。アストレアは言うに及ばず、既に戦闘態勢に入っている。
「イグシルは帝都に戻ってくれ。ここは俺とアストレアでどうにかする」
ソロモンとアストレアはこのあたりの地理に明るくない。最速でアモンに加勢することができるのはイグシルだろう。また戦力的にも、決してセーレを見縊っているとかではないが、ここは二手に分かれるべきだった。それを理解してか、イグシルの行動ははやかった。これぞ斥候の本領発揮とでも言わんばかりに、瞬く間に姿を消した。
そう、またたく間に。
「はあ!?」
気付けば、今度は森の中だった。
森。森林。密林真っ只中。またしても、転移させられたのだ。反射のように結界は展開され、左右にアストレア、イグシル、そして、前方には、やはりセーレを捉えた。
「邪魔はさせません」
透き通った青い瞳は、ピクリとも動かず。腰まである、虹色に光る髪の毛は優雅に漂い、能面のような顔もまた、美しいまでに無表情だった。
「あちらの決着がつくまで、あなたたちが何もなさらないのであれば、手は出しません」
その唇が、機械的に動いた。その内容に一瞬理解がおくれ、そうして、ソロモンの脳裏には『セーレはソロモンの悪魔なのだ』という考えのみが、稲妻の如く走り抜けた。アストレアの手前、ソロモンがこの提案にうなずくことなどあってはならない。
『世界の敵』たるソロモン・ディビルズは、自分の罪を償い続けなければ、アストレア・ヴィ・レイヴに殺されてしまう。
「だ、そうだ。こいつを倒さないとアモンの加勢には行けないみたいだが、どうする」
「だが……」
イグシルから、念話が飛んでくる。
念話。思考を他者に飛ばす魔術。これの便利なところは、語弊なく思考を伝えられること。ソロモンとアストレアは、余すことなく、イグシルの言い分を理解した。
・セーレとやらの魔術の発動条件がわからないこと。
・あるにしても、魔力の起こりもなく唐突に発動するので、特定することに特に意味はないだろうこと。
・だからここで探るべきは、その魔術の発動範囲や、効果であること。
・結論。セーレの魔術を転移魔術と仮定して、我々三人がひとところに固まっているから、我々は転移させられているのではないか。
つまり、三人がばらばらに散れば、転移させられないのではないか、と。
バッ、と。イグシルは真後ろ、帝都の方向に、ソロモンは右に向かって、アストレアはセーレの方向、前方へと、それぞれ一斉に散開した。アストレアを無視すればそのまま斬りつけられ、イグシルを無視すればアモンのもとへ行かれてしまう。ソロモンを見失うことはひどく厄介な状況を生む、と。
対して、セーレは、まばたきをひとつ、残念そうに、おこなった。
「……これは、厄介だな」
やはり、三人揃って転移させられた。やはり前方数メートル先にはセーレの姿が見える。攻撃の意思は無いようで、ただ、能面の如く立ち尽くすのみだ。
逃げてもダメ。向かってもダメ。隠れようとしても、ダメ。
許されるのは、向こうの決着を座して待つのみ。
八方塞がりだった。此度の戦いはアモンただ一人に委ねられる。誰もがそう思った時だった。
いや、待てよ。このメンツで、たった一人の悪魔にこんなに翻弄されることなんて、あり得るのか、と。
ソロモンは思う。何かを見落としている気がする。この際ソロモンのことはどうでもいい。はるか太古の人間だ。化石である。しかし、イグシルはどうだ。アストレアはどうだ。悠久の時を研鑽につぎ込む彼らをもってして、こうまで完封されるのか。
なにかカラクリがある。カラクリなんてなくても、突破口はある。『世界樹の申し子』イグシル・ツレウルド。『勇者』アストレア・ヴィ・レイヴ。エルフの神子に、新参の勇者……。
(ああ、そうか)
ソロモンはひとつ、重要なことを忘れていた。
「アストレア、どうして神剣持ちが、魔術に引っかかってやがる!」
「……?」
アストレアは困惑気味だった。自分の得物と、ソロモンとを行ったり来たりに見ながら、ああ、やはり、これだから無知はやつは!
「『今現在』を書き換えるのが魔術だろうが! 『今現在』の基準なんだよ、その神剣は!」
当たり前のことすぎて、忘れていた。
そもそもだ。神剣とは、魔術師によって作り換えられ過ぎた世界の、基準点として設けられたストッパーである。
大気が、海が、大地が、人格が、魔力が、臓器が、どれだけ弄り回されようとも、神剣だけは、変わらずそこに存在し続ける。『今現在』を切り取り続ける。『今現在』を証明し続ける。そんな基準点があるから、そこに戻ってくることができれば安全だ、という目安があるから、魔術師は人智を超えられる。
つまり、神剣は魔術で改竄できないのだ。その神剣の所持者ももちろん、言うに及ばず。
「ああ、もう、いいから黙って指示に従え! なんでこんなことまで伝承が途絶えてるんだ! 神剣に魔力を込めて、帝都に向かって走り続けろ!」
ソロモンは嫌らしく笑って、アストレアは未だ顔に困惑を浮かべて、そして、セーレの表情が、少しだけ、歪んだように見えた。
「そうすりゃセーレはアストレアに構わなきゃならない! 神剣持ちは転移させられないんだからな! アストレアを止めようとするセーレを、俺たちが止める!」
イグシルもここに来て理解したようだった。彼は元来性格が悪い。ソロモンと同じ顔をして笑って、そうして、ソロモンとイグシルは、武器を構えた。
「どっちが先にくたばるか、これはそういう勝負なんだよ!」




