第二十四話 アモン・ヒープ
「何してるんですか?」
ある晴れた日のことだった。一人の少女が、男に話しかけた。
「詩を、書いています」
男は、恥ずかしそうに答える。昼下がりの定食屋での出来事だった。少女は感嘆した様子で、「へえ! すごいですね!」と言う。
「ちょっと読んでもいいですか?」
「……ええ」
やはり恥ずかしそうにしながら、男がノートを差し出す。気まずそうに佇む男の前で、少女は食い入るようにノートを見つめる。
「なんだか、純粋な言葉ですね」
「……純粋?」
「はい。当たり前が、ありのままにある感じです」
言ってから少女は恥ずかしそうにはにかんだが、「何言ってるんでしょう、私」その表現は男にもしっくりきた。ありのままの美しさに魅入られる。それは、男が詩家を目指したきっかけそのものだった。目標に近づけているのだと感じて、嬉しくなる。
「ああ、私もう行かないと」
「はい、いってらっしゃい」
はにかんで、少女は去る。兎の耳が、嬉しそうに跳ねていた。
次の日も、少女はやってきた。彼女はいろんな大森林の住人と、積極的に交流を図っているみたいだった。「なにしてるんですか?」「お疲れ様です」と、まるで思い出でも作るみたいに、脳裏に焼き付けるように日々を過ごしていた。
今日も、少女は男の詩を読む。
「ああ、ここ、変えたんですね」読み始めてすぐにそれに気付いて、「私も、こっちの方がいいと思います」
「そうですか」
「そうです。この後はなにをするんですか?」
世間話に花が咲く。男も自分がそうした有象無象の一人、大森林の住人だから少女が話しかけてくれることを知っていたが、それでも少女との時間は、楽しかった。
それから随分経ったある日。少女の姿を見なくなって久しい曇天の日だった。
「あのうさ耳っ子ならもう来ないぜ」
コーヒーだけを頼んでなかなか店を出ようとしない男に、定食屋の店主が声をかける。
「何か知っているんですか?」
「ああ。あの子、帝国に嫁に出されたらしい。公爵家の娘だったみたいでよ、大森林と帝国との争いを避ける献上品としてだ。たしか、お相手の帝国皇帝は、五十をとうに過ぎているんだとか」
最近お忍びで平民と関わってたのは、思い出作りだってな、と店主は続ける。
「なるほど。知りませんでした」
短いため息とともに言葉を吐き出して、男は席を立つ。どこか遠い目をして、思い出したように店主に尋ねる。
「ああ、ところで、これをどう思いますか?」
男が店主に差し出すのはノート。今まで男が手がけてきた詩たちが入った、大切なものだった。じっくりとそれを眺めて、店主は答える。
「クズだな。作者を知ってるんなら言ってやってくれよ、お前才能ないぞって」
ありがとう、とお礼を言って、男は立ち去った。
男は迷いなく、足を進める。行き先は店主に教えてもらった公爵邸だった。二人の門番を見つけて、尋ねる。
「お嬢様の知り合いなのですが、面会は叶いますか」
「そうですか。しかし、お嬢様は今帝国におられます。当主様への面会でしたら、お忙しい方なので。おそらく叶いませんが、掛け合ってみましょうか?」
「頼みます」
ああ、そうそう、と続けて、
「伝言もお願いできますか。『お前の望みをいくつ叶えたら、私をお嬢様の傍につけてくれる?』と」
承って、門番の一人が奥へと足を運ぶ。それが見えなくなってから、もう一人の門番が軽薄に男に話しかけた。
「なあ、おじさん。お嬢様の執事って、なかなかの立場だぜ?」
「わかっていますとも」
「ドラゴンを狩ってこいって言われるかも」
「望むところです」
くはは、と門番は笑った。心の底から、楽しそうに笑っていた。
戻ってきた門番が告げた要求は、ドラゴンの心臓だった。軽薄な門番に目を向けたが、彼はただにやにやと笑うばかり。それに男は獰猛な笑みを返して、来た道を戻っていった。
「戻ってくると思うか?」
軽薄な門番の問いに、真面目そうな門番が困ったような顔をする。
「やめてください。不謹慎ですよ」
「不謹慎? じゃあお前はあのおじさんが死ぬってのに賭けるのか」
「誰もそんなことは言ってません」
男は、たった三時間ほどで戻ってきた。その手には、巨大なドラゴンの心臓が三つ、握られていた。
こうして、男は兎人族の少女の執事となった。
「お久しぶりです」
久しぶりに見る少女は、ひどく痩せていた。無理もない、と男は思う。少女はまだ二十にも満たない幼子なのだ。それが、自分の親ほどの年齢の人間と結婚している。それでも笑う少女に、男はどこか懐かしさを覚える。
「驚きました。ああ、えっと……」
「アモンです。アモン・ヒープと言います。これから、どうぞよろしくお願いします」
ヒープとお呼びください、と言うと、少女はううんと首を振る。
「よろしく、アモン」
知らず、涙が溢れてきた。
数年経って、皇帝が変わった。革命が成功したわけではない。前皇帝は無事に天命を全うされ、そのまま帝位が継がれたのだ。新皇帝には、どこか過激な印象を受けた。
「アモン、頼みがあります」
少女の頼みというのは、ここから海を挟んで別の大陸にあるという花を取ってきてほしい、というものだった。動乱の今お側を離れたくはなかったが、「もう皇后でなくなった私には、権限はほとんどないの。皇帝がそれを望んでいるのですよ」と言われれば、納得するしかなかった。それを取ってこられそうな人材も、アモンしかいなかった。
帰ってくると、ちょうど少女が首を落とされていた。
遠かった。その首が切り落とされ、宙を舞うまでそれが少女だと気付かなかったほど、遠かった。呑気に真っ青な花を丁寧に握っている自分に腹が立ち、拳はその花を握りしめていた。瞬間、真っ青な花は色を失い、不思議な光がアモンを満たす。
「……ああ」
途端に、夢現となる。視界と思考が曖昧だった。記憶も定かではなくて、ふと目に入った張り紙には敬愛するお嬢様の顔と、【WANTED】。良かった、まだ生きている。帝国から逃げているんだと思って、それを剥ぎ取って、静かに呟く。
「探さなきゃ」
まずは、大森林へと向かおう。そこで見つからなかったら帝国の、穏健派のもとを回ろう。匿ってもらっているかもしれない。それでもダメなら、皇帝を問い詰めよう。そう踵を返すアモンは、無意識に自分が事実から逃げていることに気付かない。帝国から探した方が効率がいいのは、一目瞭然なのに。
結局、大森林を、一ヶ月ほど探し回ったが、お嬢様は見つからなかった。次は帝国か、とアモンは重い足を動かす。その途中でソロモンと名乗る青年と出会って、白い髪の少女に指を向けられて、すべてを忘れ、そして、全てを思い出した。
○
「私の気持ちがわかると言ったな」
ボロボロのレラージェを前に、アモンが静かに呟く。
「そういえば、不思議だ。自分にしか興味のなかったレラージェが、帝国民を守っている。仁義に生きる節はあったといえば、あったが」
声を低くして、
「レラージェ。お前、イグシル・ツレウルドに会えたのだろう」
これに答えることはせず、レラージェは荒く息を吐く。半日ほど、戦った。その時間だけ聞けば十分に思えるが、まだ四人を呼びに行ったイグシルは帰ってきていない。足止めとしては落第点だろうとレラージェは思う。
アモンは、何も言わない。手も出さない。レラージェの返答を待っているようだった。仕方なく、レラージェはどこか懺悔するように、静かに言う。
「……ああ」
返答を聞いて、アモンは狂ったように笑い出す。
「は、はは、はははは。なあ、今、どんな気持ちだ? 夢が叶ったお前の前に、夢破れた惨めな老いぼれが一人!」
自嘲するようにひとしきり笑って、アモンは笑みを消す。
「八つ当たりなのは、わかっている。すまない」
呟くように独白して、アモンはレラージェに近付く。こつ、こつとその挙動は緩やかだったが、レラージェは動かなかった。目と鼻の先まできて、アモンは杖を振り上げる。
「地獄で会おう」
そして、杖が振り下ろされた。




