第二十二話 姉弟と出発する
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かつて、男が一人、名も無き人間の村に生まれた。そもそも、名前のある人間の集落なんて存在しなかった。例外として王国が挙げられるが、そこは人間も住んでいるだけで、多種族混成国だった。
人間は弱者だった。獣人族のような身体能力もなく、妖精族のように魔術も使えない。必然的に虐げられ、迫害され、庇護を求むしかなかった。その反動のように、男は魔術に憧れた。憧れない人間などいなかった。理不尽な身体能力を押し付けてくる獣人はともかく、妖精族などは長い耳と長寿を除けば、人間となんら変わらないように見えていたのだ。自分たちにも魔術が使えれば。そう何度も願った。
ある時、そんな人間の境遇が変わった。人間が、その代の勇者を勝ち取ったのだ。類まれな剣技で成り上がったその勇者は人間にとって英雄だった。男も熱狂した。貧しかった男の村でさえ、毎夜宴会が続けられたほどだった。
程なくして、男は思った。果たしてこの平和は、永遠か、と。勇者は正義の体現者だ。相応しい者にはその身を譲る義務がある。それが一個人の意思を超越するというのは、その頃では常識だった。このままでは、いずれ何もかもが元どおりになる。そう思った。
男は研究を続けた。妖精族の友人ができたのは幸運だった。程なくして、魔術の深奥の、その一歩手前くらいまでは行けたという自負を持つくらいには、熟達した。
人間は、魔力の操作ができないわけではない。ただ、その名の通り妖精である妖精族や、成長を放棄する小人族に比べて、肉体への依存度が高い。そのため肉体から何かを切り離す、『核の生成』というプロセスが極端に苦手だという結論がでた。その証拠として、人間よりも肉体に依存する獣人族は、魔力の操作すらできない。ちなみに寿命が短いのも、肉体に引っ張られているせいだと考えられる。
男は考えた。極端に苦手なだけだ。無理をすれば習得できる。だけれども、一握りの者しか使えない技術で、人間族の繁栄は可能か? 答えは否だ。勇者同様、仮に男が世界を征服しても、一時的なその場しのぎにしかならない。魔術を誰でも使えるようにしなければ。そうもっと画期的な魔術を求めて男は奔走して、そしてついに一つの技術を確立させた。それはいつしか、『結界魔術』と呼ばれるようになった。
○
「まず、帝国は人間の国だ」
「はあ!?」
事情の説明を行うと言って続いたイグシルの言葉に、ソロモンが驚愕した。
「いや、帝国は獣人族の国だろ!?」
そう、かつて帝国は獣人の国だったのだ。たしかに人間の割合が多いなとは思っていたものの、それは悪魔の出現に人類が協力せざるを得なくなった結果だと思っていた。
続きを求めるソロモンに、イグシルが応える。
曰く、帝国どころか、現人類の六割を人間が占めていること。
曰く、魔術を失ってから現在まで人類が生き残っているのは人間のおかげだということ。
曰く、そして人間は、いままでの迫害同然の扱いに憤っていること。
転じて、人間以外の種族は今、ここ帝国においては奴隷同然の扱いを受けていること。
「つまり相談ってのは……」
「ああ。二人を迫害から……帝国から逃がしてほしい」
ソロモンはシストの方を向いた。すると彼女は黙って俯く。その隣で、ブラズがそれに悔しそうに歯をくいしばる。
「……ああ、くそっ。なんで俺たちが……」
ブラズの嘆きはもっともだが、それも微妙なラインだった。姉弟こそ平等に救いを振りまいていたが、過去小人族は人間を迫害している。自分たちと同等の知恵以外なんの力も持たない彼らとの交流を一方的に絶っていたのだ。そして、現存する小人族は姉弟のみ。俗人の買った恨みを、聖人が被る。なんと皮肉な話か。
「それでも、最近までは大丈夫だったんだよ。ついこないだ皇帝が変わっちゃってさ、人間の尊厳を取り戻す、とか言って」
多種族の迫害を始めたんだ、と。顔を上げて悲しそうにシストが笑う。ここでソロモンはイグシルの言った『立場』という言葉の意味に気付いた。
「ああ、イグシルは、妖精族か」
「それも半分だけな」
過去妖精族が人間を迫害したという歴史はない。知識を尊ぶ彼らにとって、知恵さえあれば人間は仲間であったのだ。そして、そんな妖精族の代表的な存在──良くも悪くも世に知られているという意味で──が小人族に手を貸してしまえば、妖精族まで迫害の対象になりかねない。
「頼む。二人を、安全な場所まで届けてくれ」
イグシルが言って、姉弟も頭を下げる。ブラズも、真面目な顔をしていた。
「でも、二人がいるんだったら、戦力的には問題ないだろ? なんで助けがいるんだ? それと、その助けは俺で十分なのか?」
「ああ。この国では、多種族の奴隷としての所有は認められている。だが、もしも多種族が国境を無断で越えると、すぐに人が集められる」
「追っ手がくるってことか」ソロモンが頷いた。「帝国、暇人かよ」
『人間に飼われている奴隷』として出国すれば、追われる心配はない、と。だからソロモンに頼んでいるのだ。面倒ごとを避けるために。
「それほど恨みが強いってことだろう。ようやく悪魔関連がひと段落ついて、目先の脅威がなくなったとたん、これだ」
その言葉に少し引っかかるところを覚えたが、ひとまずは無視して話を進める。
「わかった。ちょうど帝国でしたいこともなくなっていたところだしな。行き先とか、出発時刻とか、もろもろはお前らに任せるよ。それじゃ」
改めて了承して、ソロモンは席を立って自室へ戻る。イグシルにあてがわれた部屋だ。貧民街に建っているくせに、ここはやたらと大きな家だった。
○
「ふう」
自室のベッドに寝転んで、ソロモンは一息つく。思い出したかようにレラージェとの特訓の疲れが襲ってきたのか、そのため息は思ったよりも重たかった。
結論から言うと、あの時のツケだとかは、全く関係がなかった。てっきりソロモンは姉弟の事情に関する問題だと思っていたのだ。種族というのも事情といえばそうだが、そうではない。姉弟にはもっと歪ななにかがあるのだ。おそらく、あの時ソロモンが彼女らに深入りしていれば解決できたかもしれない、なにかが。
「ああ、アストレアにも聞かないと」
言って、ソロモンは重い腰をあげる。うろ覚えに屋敷をうろついて、たしかアストレアの部屋だと思う扉をこんこんとノックする。
「はい」
出迎えてくれたのは、私服姿のアストレアだった。今日は一日部屋で休むと言っていたとおり、どこか眠たそうだった。
「ああ、ソルモか」
部屋へと招いて椅子をすすめてくれるアストレアに甘えながら、ソロモンは事情を説明する。続けて、これは旧友を助ける行為なので、ついてくる必要はないとも。
「だとすると、ここで一旦別れることになるが……」
「いや、私も行こう。帝国の……ううん、人間の迫害は、私にとっても目に余る」
これにソロモンは喜んで、しばらく世間話に花を咲かせた。アストレアは、ソロモンの時代の話をよく聞いた。楽しんでいる様子だったので、その心の奥でどんなことを考えているかなんて、全く想像もしていなかった。
ソロモンは忘れていたのだ。アストレアと初めて会った時、どこか彼女が焦っているようだったのを。
○
出発は次の、そのまた次の日だった。すぐにでも出たかったようだが、なにかと準備もあるだろうと一日を用意してくれた。ソロモンとアストレアにとっても、その配慮はありがたかった。
まず、帝都を抜けた。来た時同様、アストレアの顔を見て、ソロモンら四人は素通りできた。奴隷云々の説明もいらなかった。帝都を出てからは、馬車で移動する。御者にはブラズが手を挙げた。目指す先は妖精族の住む大森林である。まだまだ先だ。
「これ、ソロモンいらなかったね」とシストがいたずらっけに笑った。ソロモンはうるせえと思った。
しばらく進んで、反対側から進んでくる人影が見えた。近づくにつれその地味を装われた燕尾服が目立ってくる。白髪の似合う老執事だった。トランクを引いて、ゆっくりと歩いてくる。
近くまで来て、老執事は一礼する。ブラズは無視するつもりだったみたいだが、挨拶をされては仕方がない、と馬車を止めた。
「お忙しいところすみません。私はヒープと申します」
老執事が名乗る。ブラズも名乗って、「主人を呼ぶ」と自分の首輪をチラつかせて、ソロモンに声をかけた。ソロモンがそれに応えて外にでる。
「どうも。俺はソロモン。どうかされましたか?」
「まあ、珍しいお名前で。人を探しておりましてな」
ヒープはトランクから一枚の紙を取り出す。そこにはウサギの耳を生やした可憐な少女の似顔絵と、WANTEDの文字。
「我が主人、お嬢様でございます。どこかでお目にかかってはございませんかな?」
荷台から顔を出していたシストが「ひっ」と息を呑んだ。降りてきてソロモンの耳に口を近づけて、言う。「……彼女、ひと月前に処刑されてるわ」
「本当か?」
「ええ。それを見て、私たちも逃亡を決意したんだもの」
二人して、なんとも言えない表情になった。そんな様子を訝しむヒープに、シストが悲しそうに手を向ける。
「おい!」
「いいのよ。これが、本当にしあわせなの」
シストの手から暖かな光がヒープに浴びせられる。それが収まると、まるでなにもかも忘れたようになってヒープは歩みを開始する。
見えなくなるまで見送って、ソロモンが尋ねる。
「なにをしたんだ?」
「……彼、きっと女の子の死んだのを知っているわ。認めたくなくて忘れてるのよ。だから、軽めに記憶を封印したの。些細なきっかけで封印は解けて、一緒にお嬢様の死も、思い出す……」
「それは……」
また、気まずい雰囲気になって、馬車に乗る。それを見てブラズも馬車を出した。アストレアはもう見えなくなっただろうヒープの方向を、食い入るように見ていた。
それからは、一日夜を明かして、もうあと二日も馬車を進めれば妖精族の住む大森林にたどり着く。そんなところまで何事もなかった。つまり、そんなところまできたのに、そこで何事か起きたのだ。
具体的には、イグシルが四人を呼びにきた。
「すまない。危険は十分承知だ。だが……」
そのままイグシルは深刻に表情を落として、
「このままでは、帝都が滅びる」
と言った。




