第二十一話 姉弟と会う
「では、始めるか」
再び荒野──ただし前回とは違って、帝国を出てすぐの場所──に舞い戻って、レラージェは言った。ソロモンも心して聞こうとは思ったが、そういえば、一体なにを教えてくれるのか、全く知らないことに気付いた。
「まず、我はそなたの事情を概ね把握しておる。その上でダンタリオンが私を選んだ理由について、私見を述べよう」
そんな悩むソロモンに、レラージェが続ける。
「一つ。我が穏健派でも好戦派でもなかったこと。悪くいえば、自分にしか興味がなかったからね。強くなれればなんでもよかった」
わかる、とソロモンは頷いた。恨みつらみだとか、よくわからない。
「二つ。そなたでも、我の願いを叶えられそうだったこと。恐らくダンタリオンはイグシル・ツレウルドの所在を知っていたのだろうな。教えてくれればよいものを……」
恨めしそうな声だった。当然である。一千年は、決して短い時間じゃない。
「そして、最後にーーこれは自慢になるが、我が一番ソロモンの悪魔について精通しているからだ」
静かにつぶやいて、レラージェは「ふん!」と身体に力を込めた。猫背になり、額に青筋を浮かべ、体毛が蠢いているように見えた。いや、事実その体毛は少し伸びていた。
「まあ、こんなものか」
しばらくして、レラージェの身体はまったく変わっていた。赤い体毛は伸び、しかし顔周り、いや目の周りはすっきりとして、全身の筋肉は赤く隆起している。
「我々は、もともと低俗な魔物だ。私であれば低級猿、ダンタリオンは羊か。ベリアルはーー例外だ。正真正銘の地獄の公爵が結界内に迷い込んだ形だったか」
「え、まじで?」
「……ああ。本体が地獄にいるから、我々をこんなに強化した膨大な魔力の影響もそんなに受けてないし、力も制限されている。素であの強さだ。恐ろしい」
感嘆の声をあげるソロモンに、レラージェは「ちなみに、奴が召喚するのは正真正銘の地獄の住人だ」と追い討ちをかけてソロモンを震え上がらせて、話を戻す。
「まあ、なにが言いたいのかというと、まずはバアルのモチーフを探さねばならん。我も知らぬし、恐らく知っているものも少ないだろう。自分の身上を話さぬものも多いのだ、弱点が知られるかもしれないから」
「はあ」
「なかでもバアルは変幻自在と謳われた傑物。これは骨が折れるぞ」
そう言って、レラージェは懐から物騒なものを取り出す。レラージェの主武装である弓矢だ。「え?」と困惑をあらわにするソロモンをおいて、ゆっくりとレラージェは矢を番える。
「え?」
「案ずるな。もともと我の魔術はこういうことに特化しておる」
続いてニヤリと笑って、
「痛くはないよ」
いやああ、というソロモンの絶叫虚しく、矢はソロモンへと射掛けられた。
○
「……があ」
疲労困憊で帰ってきたソロモンを、イグシルがお帰りと迎えた。足を組んでソファに座るイグシルは、他にも来客を迎えている様子が、ドアが開いていたので部屋の外から見えた。
「だれ?」
そう聞いたのは、女の子の声だった。決して成熟してはいない、あどけなさの残る声音だった。
「ああ。聞いて驚け、ソロモン・ディビルズだよ」
イグシルの返答に、女の子が「まあ」と言った。もう一人、「はあ?」と不機嫌そうな声を出したのは、男の子の声だった。
自分の話題を出されて、靴を脱いで、ドアの前で入っていいのかどうか気まずく佇んでいると、イグシルがソロモンを見て手招きした。それに甘えて静かに部屋へと入っていく。
「……あ」とソロモンが呟いて、
「ほんとだ」と女の子が手を叩いて、
「……ち」と男の子が舌打ちした。
彼と彼女は二人とも小さかった。年の頃は十三、四程度の幼子だ。二人とも真っ白な髪をしていて、それを男の子は肩口まで、女の子は背中まで伸ばしていた。目が大きく、口は小さく、鼻が高い美形。それでいて小さいとは、典型的な小人族だった。
二人とも、ソロモンとは知己である。男の子が舌打ちしたのは、単純に彼はソロモンが嫌いだからだ。それを知っているので、ソロモンも「ああん?」と大人気なく睨みつけて言う。
「俺だって嫌いだよ、お前なんか」
「……そうだね。俺が悪かった。だから、つっかからないで」
ソロモンはため息をついた。鼻につく、変に大人ぶった態度は相変わらずのようだった。ちっとも悪いとは思っていない風な謝罪にソロモンは少年を睨みつける。
「こら、ブラズ。仲良くなさい」
「わかってるよ」
話が戻る。姉弟。少年は基本的に姉である少女に忠実で、姉も少年を思っている。その関係性はソロモンも嫌いではなかった。情とは違う、そうあるべきが当然であるかのような二人の佇まいは美しかった。
イグシルも挨拶が終わったのを見てとって、ソロモンに隣を勧める。これでイグシルとソロモンが、姉弟に対面する形となった。しかし、ソロモンは今までどんな話をしていたかわからない。自分のために改めて説明させるのも申し訳なくて、目線で三人に続きを促した。
口を開いたのは少女ーーシストだった。
「……それで、引き受けてくれるの?」
「……難しい」
会話が始まってすぐ、ソロモンは自分がここにいていいのか疑問をもった。確かに先ほど態度で無視されることを了承したが、自分を招いたのはイグシルなのだ。少しくらい説明があってもいいじゃないか、とふてくされた。
だから、左うちわに聞いていた話が、牙を剥いた。
「ソロモンに任せよう」
ソロモンが席に着いてからしばらく。唐突に、イグシルがそう言った。
「こいつは暇だし、立場もない。適任だ」
「……そうね。頼めるかしら」
イグシルが目に力を込めた。厳粛で、「話を聞いていませんでした」とは言えない雰囲気だった。後で冷静に考えてみれば、この状況で、ソロモンが事情を聞くことをはばかるものなど存在しない。無理に素直に聞いていなかったことを告白せずとも、検討したいからと詳しい事情を要求すればよかったのだ。
だけれども、シストは静かに見つめてくる。きっと、ソロモンが聞き流していた話は、それで十分彼女らの事情を把握できるものだったのだろう。呆れたような目で見るブラズはソロモンの無知に気付いていたようだったが、その目が尚更ソロモンを煽り立てた。イグシルも、依然黙ってソロモンを見つめている。
気付けば、「わかった」と言っていた。
こうして、ソロモンは背負えもしない重荷を、またも背負ってしまう。悪魔討伐宣言に続いて、二度目の大きな失敗だった。
○
さて、まずは姉弟の話をしよう。昔の話だ。ソロモンが未曾有の大災害を起こす、それよりもかなり昔の話だ。
かつて、清貧姉弟と呼ばれた存在がいた。美しく、幼く、そして貧しい人々をためらいなく助けるその少年少女の噂は瞬く間に広まった。実際にはかれらは小人族だったので外見ほど幼くはないかもしれなかったが、そんなことは外聞には関係がなかった。
姉弟は強さを求めていたわけではなかった。むしろ、自分たちの強さを忌々しく思っている様子だった。ソロモンからみても、かれらは出会った時から成長した様子はなかったが、それでも姉が『序列四位』、弟が『序列五位』に選ばれるほどには、強かった。そして、力を恨むがゆえに、それを正しいことのために使おうとしている節があった。
姉弟は生い立ちを語らなかった。小人族というのだって、ふとした偶然から手に入った情報だ。だから、きっとどこか特別な存在なのだろうけれど、かれらが小人族としてどのような立場でどうしてそんな力を持っているのか、ソロモンは知らなかった。ただ事実として、現存する小人族は姉弟の二人だけである。当然、肉親同士であるかれらに交配する様子はないので、絶滅が運命付けられているとも言える種族が、小人族だった。
ある日、決して自分たちについて語らなかった姉が、ソロモンに言った。特に酒精が仕事をした夜だ。
「弟は、ブラズはすごいの。私なんかより、全然」
ソロモンは相槌を打ったが、そうとは思えなかった。純粋な実力でも、人間的な精神力も、姉の方が優れている。これは、ソロモンだけの所感ではなく、大衆評価でもあったと思う。
「あのね、私の力、知っているでしょ」
ああ、と平静に答えたが、内心ソロモンは驚いていた。弟の自慢話は、まだ日常茶飯事だったが、シストが力だとか、魔術なんかについて話をするのは、本当に珍しかったのだ。それも自分から。
「私、今もね、ブラズを封印しているの」
次いで驚くソロモンに、夜空の下でシストは続ける。
「それしか、方法がなかったの。そのせいであの子はいつも窮屈な思いをしているわ。性格だって、昔はもっと優しかったのよ」
はにかんで、
「ああ、ごめんなさい。ちなみに、私もブラズの封印にいつも力を使っているから、本当はもっと強いわ」
と、冗談めかしてシストは話を終わらせた。
ソロモンは微笑んで、相槌を打つことしかできなかった。そのままシストはブラズの眠る天幕へと戻っていく。ソロモンはしばらく星空を見ていた。
「ああ」
懐かしい記憶を思い出して、思った。
ようやく、あの時のツケが回ってきたのだ、と。




