第十七話 斥候を探す
休息。
それはソロモンが大切にしているもののなかでも、最上位に位置していた。体質的な理由もあるし、好みの問題もあった。
だけれど、確かにソロモンが休息を欲していたのは事実なのだけれど、それが即座に了承された時点で、なにか嫌な予感はしていた。まるで、『その方が都合がいい』みたいな。ダンタリオンが即座にソロモンを連れ出そうとしたのも、また事実なのに。
そんなわけで、翌日。鬱屈とした気分で目を覚ましたソロモンは、ダンタリオンに連れられて草原に立っていた。ただ、すでに近くにダンタリオンは存在せず、アストレアは同行を禁じられたので、今ここにいるのはソロモンと、もう一人。異形の存在だけだった。
「あ、あの……」
その異形は、腕を四本持っていた。加えて、全身を猿のような毛に覆われて、頭には兜を被っている。わけがわからなかった。
「ソロモン・ディビルズだな」
ソロモンの呼びかけを無視して、その異形は顔をあげて、
「……はい」
「ありがとう」
「……は?」
そして、唐突に感謝を告げた。
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「今からお前に会ってもらう者の名は、レラージェという」
草原へ向かいながら、ダンタリオンは言った。
「彼はお主に感謝もしておるだろうが、恨みもしとるじゃろう」
足を止め、ソロモンの方へダンタリオンは振り向く。
「じゃから、あやつがお主の力となるかは、お主自身に委ねられとるっちゅうわけじゃ」
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「は? ありがとう?」
ソロモンはとりあえず、その異形について知りたがった。
「恨まれこそすれ、感謝される筋合いはないと思うんだが」
草原。見渡す限りに緑が生い茂り、ただし、今二人がいる場所からはっきりと見える木は、数えるほどしかない。そんなまさしく原っぱの真ん中で、異形は弓矢を構え、そしてーー射った。矢は風を切って進み、その数少ない木の一本を倒壊させる。
唐突なその行為に目を丸くするソロモンに、異形は弓矢を下ろしてあぐらをかく。
「……して、ソロモン。レラージェという名前を知っているか」
「あ、ああ。聞いたことはある」
レラージェ。レラージェ・フォーテ。かつて王国が誇った凄腕の弓術士で、しかし、ある時を境に突如として歴史の表舞台から去った御仁。百発百中、勇者さえいなければ、彼がいた時代の王国は世界を統べられたとさえ言われている。
「彼は、どうしていなくなったのだろう」
「……そうだな。たしか帝国との戦争に勝利した二月後に失踪したんだったか。報復にでもあったんじゃないか?」
例えば暗殺者を差し向けられたりーーと。ソロモンのそんな見解に、しかし異形はくつくつと笑って、否定する。
「ふふ、違う、違うぞ、ソロモン・ディビルズ。彼は、ある男に勝負を挑まれ、負けたのだ。そして、その者の道楽で、知性なき獣に変えられたのだよ」
「ーー!?」
つまり、人の身で結界に閉じ込められていた、と。その容姿も、知性すらも剥奪されて、一匹の知性なき獣として、結界の内を彷徨った、と。
「……気付いたか。そう。我が感謝は、我に知性を取り戻してくれたこと。これも、つい最近になって思い出したのだ」
異形は続けて、
「……しかし、千年の月日は長すぎた。憎っくきイグシル・ツレウルドは既に墓の中。もう一度弓を番えられても、それだけが悔やまれる……」
「え、あ、おい、待て」
異形ーーいや、レラージェのその言葉に違和感を覚えて、ソロモンは聞き返す。
「今、なんて言った?」
「千年は長過ぎた、と」
「その次、もうちょいあと」
「……? イグシル・ツレウルドは、もう亡き者だ、と」
「それだ、それ!」
ソロモンは指を彼方へ向けて、興奮を抑えて言う。
「多分、まだ行きてるぞ、イグシル!」
「は?」
レラージェのその呆然は、草原の風に敵わなかった。
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一週間後。ソロモンとレラージェ、それにアストレアは、帝国の都に赴いていた。レラージェは全身を覆い隠すことのできる外套を羽織っている。ソロモンとアストレアは私服だった。嘘だ。ソロモンはそんなものを持っていなかったので、この日のために新調した服だった。
帝都エンペラリウム。アストレア曰く現在最も力を持っている国の、その首都。先の街とは違い、きちんと門番がいたが、アストレアの顔を見ると素通りさせてくれた。わかりやすく活気付いていて、ソロモンは見たことのないものばかり並ぶその店頭に興奮を隠すことができなかった。「はしたないぞ」とアストレアにたしなめられて、ようやく心を落ち着かせる。
「それで、先の話は本当か?」
灰色の外套にすっぽり覆われたレラージェが言う。その姿こそ注視すれば奇妙だったが、そこまで目立ってはいない。背格好が人間のそれというのもあるし、背中に大きな荷物を抱えているのもある。大柄の、雇われ荷物持ちに扮しているのだ。
「ここにいるかは知らない。ただ、生きているのは確かだ」
レラージェの不安そうな声に、ソロモンがそう答えた。
イグシル・ツレウルド。最強の斥候で、凄腕の弓術士で、達人の魔術師。そんな彼の多芸の秘密は、彼の寿命にある。
「本人はあまり知られたくないみたいだけど彼は、ーー妖精族だからね」
それに、彼が死ぬはずもないし、と。
ソロモンは自信たっぷりに、捜索を開始した。
結論から言うと、イグシルは見つかった。
ただし、もうとうに日も暮れたころに、もっと言うと捜索を始めてからゆうに一週間は過ぎた頃に、ようやっと、向こう側から会いに来た。「おつかれ」なんて、いつもの無表情で皮肉を効かせて。
「相変わらず、性格悪いな」
「言うなよ、お前だって大概だろ」
そう。かつて『序列持ちの大衆評価』なるものが物好きによって作られた際、『性格悪そうランキング』一位は満場一致でバアル、二位にイグシル、三位にはなんとソロモンがランクインしていたのだ。これに納得いかなかったソロモンは、わざわざ事実確認に主催者の元まで赴いたほどだ。バアルの獲得票を見てようやっと溜飲を下げたのを覚えている。ちなみに最下位はもちろんアストレア。
「それで、イグシル。今日はもう日も遅い。一日休んで、会合は明日にしよう。レラージェもそれでいいか?」
「……ああ、構わない」
即座に反応したレラージェは、しかし瞳の奥の熱をしっかりとイグシルへと向けていた。そんなレラージェを置いて、イグシルはソロモンへの眼光を鋭くする。
「お前こそ相変わらず、休息癖は治ってないのか」
「当たり前だろ。お前らと一緒にするな」
鼻を鳴らして、イグシルは三人を自分の家へと案内した。部屋の空きは二つしかないとのことだったので、アストレアに一部屋、ソロモンとレラージェで一部屋使うことにした。
家の立地は、帝都の貧民街だった。




